1081話 想いは絡んで
ギルファー王夫妻の謁見を切り抜けた後、テミス達は兵達に連れられ、新たな部屋へと通されていた。
そこは、謁見を待つテミス達が押し込められていた小部屋などよりはるかに広く、揃えられている家具や調度品一つをとっても、比べ物にならない程の高級感に溢れている。
使用人としてのテミス達へあてがわれた部屋ですらこれなのだから、コスケに用意された隣の部屋は一体どれほどのものなのだろうか。
「っ……」
「フゥム……ムム……」
しかし、そんなシズクの感想とは裏腹に、テミスは部屋に着くと即座に目に付いた椅子へと座り込み、難しい顔をして唸り声を上げている。
だが、眉根に深い皺すら寄せて考え込んでいるテミスを相手に、シズクが声をかける事ができるはずも無く。シズクは少しだけ湧いた好奇心を心の奥へと押し殺して、黙したまま部屋の隅に置かれていた木の椅子へと腰を下ろしていた。
無論。時折発せられるテミスの唸り声以外に音を立てる者の居ない室内は、静けさすらも音を発していると紛う程に静まり返っており、その静けさがシズクの緊張感を持続させていた。
「いや……しかし……」
「…………」
けれど、憚ることなく本心を延べるのならば。
シズクは今すぐにでも、自分の傍らに設えられたベッドに身体を横たえ、疲弊した心と体を休めたかった。しかし、傍らに設えられたベッドは窓に沿って壁側と部屋の内側の二つ。仮初の関係が如何なるものであったとしても、テミスがどちらかを選ぶまでは、シズクがその身を横たえる事はできるはずもない。
故に。一刻も早くテミスの思考が終わる事を願いながら、シズクは息を殺してその時を待ち続けていたのだ。
そして……。
「……妙だ。妙だと思わんか?」
「…………」
「シズク?」
「へっ……!? は、はいっ!? ど、どうしましたか?」
「…………」
緊張に次ぐ緊張の連続を強いられてきたシズクの意識が途切れかけた時、突如としてテミスの発した問いによって沈黙が破られ、眠りへと誘われかけていたシズクの意識がすんでの所で引き戻される。
だが、咄嗟に取り繕ったものの、その大き過ぎる隙をテミスを相手に隠し通せるはずも無く、固く結ばれていたテミスの唇がゆっくりと綻んでいった。
「いや……すまない。後にしよう。考えてみれば、あの小部屋での休息を除けば、昨日から動き通しなんだ。疲れるのも無理はない」
「えっと……!? いや、これは……その……ですね……」
「良いとも。無理はするな。むしろ真面目過ぎるお前が、こんな敵地の只中ですら眠る事ができる豪胆さを身に着ける事ができたことを喜ぼう」
「ッ……!!! 申し訳ありません!! 確かに気が緩んで――!?」
そこから続けられた慈悲に満ち溢れた言葉は、おおよそ普段のテミスの言動からはかけ離れた、似つかわしくないものだった。
だからこそ。シズクが浮かべられた柔らかな笑みに、告げられた優しい言葉に恐怖を覚えるのは無理も無い事で。
しかし、顔を青ざめさせて慌てて立ち上がりながら謝罪の言葉を口にするシズクの言葉が、最後まで紡がれる事は無かった。
何故なら。
慌てふためくシズクへゆっくりと歩み寄ったテミスが、笑顔のままシズクの肩に手を置くと同時に足を払い、そのままシズクを投げるようにして、ベッドの上へと押し倒したのだ。
「――すまない」
「ごめんなさい!! 二度とこのような失態をお見せしませんので……えっ?」
そしてボソリと呟かれた言葉に、シズクは必死に口走っていた謝罪の言葉を止めると、驚きに目を見開いて間近に迫ったテミスの顔を見上げた。
その顔は、いつもテミスが浮かべている自身に満ち溢れた不敵な笑みではなく。まるで自身の失態を悔いるかのように唇を噛み締めた、悔し気な表情を浮かべていた。
「シズク……お前が無理をしたのは私の責任だ。シズクがずっと気を張っているのはわかっていた。だが、眼前の問題に意識を囚われ、シズクが疲弊している事に気が付けなかった。すまなかった」
「いえっ……!! そんな……!! 謝らないでください!! むしろ私がテミスさんの足を引っ張ってしまって情けない限りです」
「……頼むから、無理はしてくれるな。ここは敵地。倒れてからでは遅いんだ」
「あ……」
ベッドに押し倒された格好のまま、苦し気にそう告げるテミスの言葉に、シズクはようやくテミスが心の底から自分の身を案じているのだと理解した。
それが何故かはわからない。けれど、自らがその背を追い求める人に、何処か認めて貰えたような気がして。
シズクの胸の内を狂おしい程の喜びが溢れると同時に、血の気が引いていた頬が一気に紅に染まった。
ちょうどその時。
「テミスさん? シズクさん? そちらはどう……で……す……?」
ガチャリ。と。
主人の部屋である隣室へと繋がる内扉が開くと、朗らかな声と共にコスケがテミス達の部屋へと姿を現した。
直後。
コスケは投げかけた言葉を言い終わる前にぴしりとその場で動きを止めると、ゆっくりと踵を返し、音もなく扉を閉めたのだった。




