1078話 謁見の間へ
「こちらの部屋だ」
長々と待たされた小部屋を後にしたテミス達は、部隊長に連れられて再び王宮の中を歩いた後、一つの豪奢な扉の前で足を止めた。
その巨大な観音開きの扉の両脇には、まるで門を護る門番の如く、身綺麗に整えた兵士が槍を手に佇んでいる。
「ご用命有らせられた、『万事屋』狐助殿である。謁見を賜りたい」
「…………」
「…………」
そんな兵士たちの前に歩み出た部隊長が、緊張感を帯びた厳かな声で用件を告げるが、二人の兵士は黙したままただコスケ達へチラリと視線を走らせただけで、微動だにする事は無かった。
「……? どうした? 陛下にお取次ぎを――」
「――ならん」
「なっ……!?」
「陛下の謁見を賜わるは一人」
「『万事屋』の狐助一人」
しかし、そんな二人の兵士の反応に焦れた部隊長が、一歩前に進み出た直後。
二人の兵は一糸乱れぬ動きでカシャリと槍を合わせると、欠片たりとも感情の籠らない声で代わる代わるに言葉を紡いだ。
それの様子はまるで、血の通わぬ機械のようで。
槍を突き付けられた部隊長は元より、その背後に居たテミスとコスケさえもゴクリと喉を鳴らした。
「クッ……」
まずい。非常にまずい。想定外だ。
コスケの背にその身を隠しながら、テミスは唇を噛み締めて、必死で打開策を模索し始める。
あの様子では、交渉の余地など微塵も無いだろう。
精神干渉系の何かか、はたまた何者かが死した体を操っているのかはわからない。
だが、この部隊長のように口先三寸の舌八丁で丸め込み、この場を突破する事は恐らく不可能だ。
ならば……強行突破か? 否。それでは私の正体が露見してしまうし、そもそも奴等の目的を暴くという目的が潰えてしまう。
万事休すかッ……!!!
頭の中で様々な方策を巡らせたものの、現在の偽った立場を維持したまま、この状況を打破できる策は無い。
テミスがそう結論付けた時だった。
「明鏡止水の法。お見事でございます」
「シズクさんッ!?」
コスケの隣に控えていたシズクが静かな声と共に歩み出ると、小さな笑みを浮かべて二人の兵へと視線を向ける。
しかし、その声色はいつもの丁寧な口調ながらも無邪気さが隠れたシズクのものではなく、まるで感情というものを全て捨て去ってしまったかのように、のっぺりと平坦な声が発せられていた。
「下がれ」
「控えろ」
同時に、部隊長へと向けられていた兵士たちの虚ろな視線はシズクへと向けられ、重ねられた槍が不気味に揺れ動く。
だがそれでも、シズクが前へと歩む足を止める事は無く、一定の歩調で兵達へと近付きながら言葉を続けた。
「されど火急の折故、今再び水鏡の如く留めたお心を呼び起こして頂きたく存じます」
そして、唖然とその姿を見守る部隊長を追い越し、怪し気に光る槍の穂先も越えて、槍の重なる前まで進み出ると、シズクはピタリと足を止めてひざま付き首を垂れる。
その姿はまるで、犯した罪を裁かれるために、自ら処刑台へと歩み出た罪人のようで。
固唾を呑んで様子を見守るテミスは、飛び出しそうになる己の身体を必死で留めながらも、いつでも割って入る事ができるように、深く身を沈めて突撃の構えを取っていた。
すると……。
「偽りなき言葉。合わせたる鏡にて承った」
「今再び我等が心に灯を」
「……共に、分かち合わん」
兵士達はシズクへ向けて突き付けていた槍をあげて言葉を紡ぐと、空いた片手をそれぞれにひざま付いたシズクの肩へと乗せて言葉を紡ぐ。
何が起こっているのかは分からないが故に。テミス達はただ、食い入るようにその様子を見ている事しかできなかった。
だが、一つだけ察する事ができるのは、恐らくシズクが突破口を開いたのだという事だけだ。
「フゥッ…………」
「……して、如何に?」
「我等は玉座を護る衛兵。明鏡止水の技を解いてまで告げる用とは何事か?」
足元にひざま付いたままのシズクが微かに息を吐くと、二人は穏やかな瞳で眼前に立ち並ぶ一行を見据えると、静かな声で問いかけた。
その声は、静かながらも先程までの無機質極まる声色とは異なり、二人が己の意志を持つヒトである事を物語っていた。
「ウ、ウム! 謁見の予定はこちらの狐助殿だけであったのだが、お求めになられている事柄には、どうしてもこちらの二人が必要との事なのだ」
「フム……」
「こちらの娘は兎も角、ソレは……」
問われて我を取り戻したかのように、部隊長が再び大仰な口調でそう告げると、二人は足元のシズクを見た後、コスケの背後に居るテミスへと視線を向けて眉を顰める。
「チッ……」
またこのパターンか。と。
二人の兵の視線を受けたテミスは小さく舌打ちをすると、うんざりとした心持ちで虚空を仰いだ。
どうせ、今の私にできる事など無い。と。半ば丸投げするような思いで居たのだが……。
「少しだけ……スミマセン」
「ん……? ぶぎゅッ――!?」
「っ……!!」
「な……!?」
微かな囁きと共に、テミスの眼前でユラリとコスケの肩が揺れ動いたと思った直後。
気付けばテミスは、頭をコスケに鷲掴みにされた格好で、頬を床へと押し付けられていた。
続いて、コスケはテミスの首に嵌められた首輪に指をかけると、そのままズルリと持ち上げて、驚きを露にする衛兵へ怪し気な微笑みを向けながら口を開いた。
「ホラ……検体ってヤツですよ。せっかくの謁見なんです。成果は余すことなくお見せしなくては」
「…………」
そう告げたコスケに身を任せ、まるで抵抗する事すら許されていないかのように脱力しながら、コスケの意図を理解したテミスは、内心で苦笑いを浮かべていた。
要するに、またお得意の心理戦だ。
相手は人間という種を蔑む連中。ならば、従者だと思わせておいてから、ペット以下の実験動物であると思わせれば、なるほど交渉は受け入れられやすいかもしれない。
「…………。承知した」
「……そういう理由ならば致し方あるまい」
「ありがとうございます。さ……いつまでアタシに持たせるのですか? コレの世話は従者であるアナタの役目でしょう?」
「は、はいッ……!!」
最早、完全に悪徳商人の仮面を被ったコスケは、そのままの調子でシズクへと語り掛けて、テミスの身柄をシズクへと託した。
しかし、相も変わらずコスケの変わり身について行けていないのか、テミスの傍らへと駆け戻ったシズクは青ざめた顔で、目尻に涙さえ浮かべていた。
「では……参りましょう」
「ウ、ウム。取次ぎを頼む」
「っ……。『万事屋』狐助様。参じますッ!!!」
だが、コスケはそんな事尚歯牙にもかけずに、涼やかな笑みを浮かべてそう告げると、二人の兵は顔を見合わせて頷き合った後、大きな声を張り上げながら扉を開いたのだった。




