1073話 恐れ知らずの一手
昇ったばかりの朝日が降り注ぐギルファーの町を、石畳を蹴るけたたましい音が響き渡る。
その硬質な音は数人では収まらず、少なくとも数十名の兵士たちが、早朝の町を駆け回っていた。
「クク……連中。随分とお前にご執心らしい。連中の目を見てみろ……疲労の滲んだ淀んだ瞳に酷い隈だ」
「おまけに……私達に気付いていませんね。こんなに堂々と歩いているのに」
「つくづく思いますよぉ。噂なんてアテにならないと。こんなの大胆不敵だとか言う次元じゃありません……狂人の所業だ」
「ハハハッ……!! おかしなことを言う。別にお前は逃げも隠れもしていた訳では無いのだろう? ただ、連中に言われた通りに準備をしていた。今はただ、準備が整ったが故に戻るだけさ」
そんな街路の真ん中を、コスケとテミス、そしてシズクは羽織った外套を朝の風にはためかせながら、誰を憚ることなく万事屋へ向けて歩んでいた。
無論。姿を隠すためのフードは被らず、その素顔を冷えた外気に晒している。
「それにしても、酷い奴が居たものだ。どこのどいつかは知らないが、勤勉な兵達に夜を徹して探させるなど……可哀そうではないか」
「全くです。館を離れるまでは恐ろしい程入念に索敵をするなんて、何と心の無いお方なのでしょう」
「とんだ人でなしが居たものだな? それにしても……クハハッ!! どいつもこいつも必死で探し回っているのは、細い路地や建物の隙間ばかり……鼠でも探しているのかね?」
「……お二人とも? 私は厭ですからね? まかり間違ってこのような所で切り結ぶ羽目になるのは」
通りの傍らを兵士が駆け抜けていくのを横目で眺めながら、テミスとコスケは歩を進めながら互いに軽口を叩き合っていた。
しかし、シズクはただ一人、唇を尖らせて二人を嗜めると、油断無く周囲へと気を配りつつ進んでいく。
だがシズクのそれは、聞き流していれば酔っ払いの戯れ言程度にしか聞こえないテミス達の会話とは異なり、逆に後ろめたさを浮き彫りにしていた。
「フム……どう思う?」
「問題無いかと。幸いにも捜索している兵達はアタシ達の想定以上に疲れ切っているようですし、まず気付かれる事は無いでしょう」
「フッ……やれやれ。お前も大概甘いな」
「そこは~、何といいますか……ホラ、アタシは師でも上官でもありませんから」
「チッ。流石商人だ。口が上手い」
「それがアタシの取り柄ですので」
丁寧に、そして慎重に周囲へと視線を配るシズクを眺めつつ、二人が雑談に花を咲かせる中。一行はギルファーの中心街を横切り、歴史と風格を感じさせる建物が並ぶ区画へと差し掛かる。
その街並みは、コスケが万事屋を構える通りである、エモン通りが近いことを示しており、シズクの緊張もより一層高まっていく。
しかしシズクの気合に反して、街並みが変わった辺りからコスケを探し回っていると思われる兵達の数は減り、朝の静かな街並みがテミス達を包み込んだ。
「テミスさん。油断なさらぬよう。罠かもしれません」
「シズク。我々は集合地点へと向かうだけだ。そう気張るな」
「いえ。私も木っ端兵士の一人ですからわかります。今の彼等に気取られれば、恐らく会話は通じません。即座に襲い掛かってくるかと」
「……ったく」
「ひゃっ――!?」
「――忘れるな? 私達は今、斥候でも兵士でもない。ただのコスケ付きの使用人兼小間使いだ」
頑として気を張ったまま緩めないシズクに、テミスは一つため息を吐くと、突如としてその手を閃かせてシズクの外套を捲り上げた。
本気で振るわれたテミスの手の迅さにシズクが反応できるはずも無く、シズクの身を隠していた外套は空気を孕んでバサリと舞い上がり、包み隠していた身体を露にする。
そこには。酒場で給仕をしていた時よりは少しばかりスカートが長いものの、メイド服を身に纏った肢体が隠されていた。
「ズ……ずるいですよ!! テミスさんはこんなヒラヒラした格好じゃないじゃないですか!!」
「良いんだよ。その代わりがコレだ」
「わわっ……!!! 出しちゃ駄目です。私が悪かったですから!!」
だが、シズクが顔を赤く染めながらも負けじと反撃を試みると、テミスは僅かに外套を緩めて、自らの首に嵌められた革の首輪を指し示す。
それは魔力的な力も無いただのアクセサリーではあるものの、紛れも無く『奴隷』である証そのもので。
シズクは跳び上がらんばかりに驚きを露にすると、凄まじい速さでテミスのはだけた外套を掴んで首元を覆い隠す。
「……緊張はほぐれたか?」
「びっくりし過ぎて逆にドキドキが止まりません!」
「それは何よりだ」
「……お二人共」
そんなシズクを揶揄うようにテミスが微笑みを浮かべると、シズクは拗ねたように唇を尖らせて身体を離す。
すると同時に、まるで機を窺っていたかのようなタイミングで、先頭を歩くコスケが静かに口を開いた。
その視線の先には、彼の店である万事屋が軒を構えていて。
「ご準備を」
その軒先には、ひと際豪奢な飾りの付いた装備に身を包んだ一人の兵士が、数名の兵と共に腰を据えていたのだった。




