1067話 契りを越えて
数分後。
シズクとユカリは、まるで数年余りの空白を埋めるかのように、仲睦まじく身体を寄せ合いながら語らいを続けていた。
その様子は、周囲で見ている者達ですら中てられてしまいそうなほどに濃密で、ともすれば恋人かくやという程だった。
しかし、そんな二人の作り出す蜜月の世界も、テミスがコトリという軽い音と共に、二人の眼前へ出汁巻を乗せた皿を差し出した事で終わりを告げる。
「……悪いが、宿は無いぞ?」
「ン……ゴホンッ!! し、失礼!! つい感極まってしまった……」
「あ……わわ……ごめんなさい!! テミスさん!!」
「いや……別に私は構わんが……」
途端に、驚いたようにビクリと身を竦ませたユカリがテミスへと告げ、傍らのシズクも慌てながら頭を下げる。
しかし、テミスは口元に柔らかな笑みを浮かべながら、触れ合う程に近い距離で揺れる二人の肩へと視線を向けると、穏やかに口を開く。
つい先ほどまでは、シズクを膝の上へと乗せる形で身を寄せ合っていた二人ではあったが、今や互いに気を張らない距離感へと収まっている。
姉と妹。本来ならば、これが二人の正しい在り方なのだろう。
「フ……敵わないな。やはり……」
「……?」
「ん……? 今、何か言ったか?」
「……何も。それよりもホレ。せっかく二人分作ってやったんだ。冷ますなよ? 続きは食べながらで構わんから」
「っ……!! 本当に出してくれるとは……有難いッ!! 先程はこの冷酒を頂かなかったかったからな……気になっていたんだッ!!」
テミスは胸の内に抱いた微かな痛みを噛み殺すと、皮肉気な笑みを浮かべて二人を促した。
すると、ユカリは即座に目を輝かせて箸を取ると、まずは傍らに出した冷酒をちびりと一口味わってから、器用に切り取った出汁巻を口へと運ぶ。
その傍らで、ユカリが職を堪能する姿を見つめるシズクの瞳が、僅かに物欲しげな光を帯びたが……。
「……お前は果実水だ。まだやる事が残っているだろうが」
「ぁぅ……ですよね……」
ぶっきらぼうな言葉と共に突き出された冷えたジョッキに、シズクは肩を落としてゆっくりと口を付ける。
「っ~~~~…………ふぅぅッ……!! 美味いッ!!」
「ふふっ……ユカリ姉様、わかります。その気持ち」
「クス……」
だが、ぷるぷると身体を小刻みに振るわせた後、ユカリが万感の思いと共に大きく息を吐くと、シズクはすぐに嬉しそうに笑みを浮かべた。
そんな二人の満足気な様子を肴に、テミスは小さく微笑みを浮かべ、自らもカウンターの裏で杯を傾ける。
良い雰囲気じゃないか。まるで客と女将。まだ不慣れが故に粗は目立つが、これで暫くの間は暇に殺されるようなことは無さそうだ。
そう、テミスも一息を吐いた時だった。
「……ありがとう。話を続けよう。先程……っ! あ~……そちらのテミス殿が仰ったように、今回の一件に猫宮の現当主……つまるところ我等の父母は一切関わっていないのだ」
「チッ……!! テミスで構わん。むず痒い。そういうお前はネコミヤユカリだろう?」
「ム……承知した。紫と書いてユカリと読ませる。私もユカリで構わない」
語り始めたユカリが突如として言葉を濁すと、テミスは自分達がシズク伝手に話を聞いてはいたが、直接自己紹介をしていない事を思い出すと、即座に舌打ちと共に口を挟んだ。
すると、ユカリは素直にテミスの言葉を首肯した後、軽い自己紹介を挟んでから言葉を続ける。
「それで……だ。これはシズクに対する処分にも絡んでいてな……。つまるところ、当主が判断を下してくれたのならば、こうしてここを訪ねるのに時間がかかる事も、このような内容で無かったかもしれないのだが……」
「フム……」
「……? ユカリ姉様?」
歯切れ悪く、持って回ったかのような言い回しで語ったユカリに、テミスはクスリと笑みを浮かべて沈黙し、シズクはその珍しい様子に目をパチパチと瞬かせながら、暢気に出汁巻を頬張っていた。
「っ……。つまるところ現在、猫宮家の当主……お前達の父母は家を空けていると?」
「あっ……!! んん゛っ!! そういう事に……なる」
「えぇっ!? お父様とお母様が!?」
おおかた、無為に当主の不在を報せるなとでも言い含められていたのだろう。だがその代わり、材料はまるで言い当てて下さいと言わんばかりに差し出されていた。
テミスは、急に緊張感というものを何処かへ忘れてきたかのように緩んでいるシズクに内心でため息を吐きながら、ユカリが差し出した答えを真っ直ぐに言い当てる。
すると、ユカリは唸り声を漏らしながらもテミスの推理にコクリと頷いてみせた。
「すまないが、私からはこれ以上話す事はできない」
「構わんさ。既に一線を越えかけているのは理解している。そちら側に居るつもりならあまり無茶をするな」
「かたじけない。私個人の本心は兎も角、姉としては……望まなくとも構わない、けれど二人がもしも帰りたいと願った時、その場所を護りたいんだ」
「…………。フッ……」
恐らくは、無意識なのだろう。
ユカリはテミスへ向かって柔らかく微笑みながらそう告げると同時に、シズクへと静かに伸ばした手で、その頭を優しく撫でていた。
一方でテミスも、一直線に自信を見つめるその視線を真正面から受け止め、どこか満足気な笑みを浮かべている。
それは、酷く曖昧で婉曲な表現で。恐らくは、言葉を向けられた私しか理解できないのかもしれない。
だが、言葉こそ違えどユカリの浮かべていた暖かな微笑みと思いは、私が魔王城へと旅立つ日のアリーシャとマーサのようで。
「使者ではなく、お前個人としてならば……また顔を出すなら何か作ってやる。っ……新しい酒でも出そう。まだ飲むだろう?」
「っ……!!! あぁ……あぁ……っ!! ありがとう……!!」
「ふふふっ……」
テミスは途切れ途切れにユカリへと言葉を返した後、時間と共に赤く染まっていく顔を背けると、逃げるように言い残して厨房へと飛び込んでいく。
その背中を、目尻に涙を浮かべながら大きく頷くユカリの声と、嬉し気に笑うシズクの笑い声が追って行ったのだった。




