1065話 黄金色の奇妙な縁
ユカリの注文を受けたテミスが、厨房へと引っ込んでから数分後。
「お待たせいたしました。こちら、冷酒と出汁巻です」
コトリ……という軽い音と共に、テミスの手によってユカリの前に酒と料理が配膳された。
その所作は外食をする機会に乏しいユカリであってもわかる程に洗練されていて。しかし同時に、まるで対峙した敵に本心を読まれまいとする戦士と相対したかのように、発せられた言葉から意志を感じなかった。
「……警戒する気持ちは理解できる。だが、どうか私に敵意が無い事をわかってほしい」
「ン……? あぁ、気分を害したのならすまない。そういう訳では無い。どうも一度染み付いた癖は簡単には抜け切らんみたいでな」
そんなテミスに対して、ユカリは少し悲し気に、しかし真剣な表情で語りかける。
しかし、配膳を終えたテミスはジョッキに飲み物を注ぎながらクスリと小さく笑うと、カウンターへ寄り掛かって言葉を濁した。
この『店』をはじめてから、テミスはファントの町で学んだアリーシャのような接客が一度もできた事は無かった。
その結果、行き付いたのは事前に定めた文脈をなぞる、一番最初の接客へと戻したのだ。
「要は気にするな、という事さ。お前を歓迎する意思に嘘はない」
「そ……そう……か。勘違いならばすまない。余計な事を口にした」
「良いさ。気を張るのも仕方が無いだろうよ。だが、折角出したんだ。冷めてしまう前にひとまず摘まんでみろ。話はそれからだ」
「あぁ……解った。いただこう」
ゴクリ……。と。
自信に満ちた微笑みを浮かべて料理を勧めるテミスに、ユカリは密かに生唾を飲み下して緊張を紛らわせた。
つまるところ、押しかけて来たのはお前なのだから、まずは自分が出す食事を口にして誠意を見せろ……という事なのだろう。
バクバクと高鳴る胸の鼓動を自らの内で聞きながら、ユカリは手元に用意された箸へ静かに手を伸ばすと、ホコホコと暖かな湯気を立てる出汁巻卵へと向ける。
表面上のこととはいえ、歓迎すると言っているのだ。隣にシズクも居る事だし、今更毒を盛るなどと言う卑劣な事はしないはず……。
「……」
ユカリは再び生唾を呑み込むと、箸先を向けた料理を静かに見据えた。
美しい黄金色だ。今も尚、良い香りの湯気が発せられている所を見るに、先程作ったばかりなのだろう。ぷるんと瑞々しく艶めくその姿は、箸で触れずとも絶妙な柔らかさを保っている事が分かる。
「っ……!!! こ……れは……」
覚悟を決めてパクリと一口。
箸先で触れてはじめてわかる程巧みに入れられた切れ込みにより、一口大に切り分けられた出汁巻を口へと放り込んだ瞬間。ユカリは驚きに目を丸くして簡単の声を漏らした。
口へ入れた瞬間に柔らかな卵はほろりと崩れて消え、代わりに濃厚な卵の味が舌を包み込む。そして同時に、じゅわりと湧き出た芳醇な出汁の香りが鼻へと抜け出たのだ。
「…………美味い。驚いた……こんなにも美味い料理は初めて食べたぞ」
「……! そ……そうか。美味いのならば、何よりだ」
「フッ……」
「ふふっ……」
一度味わってしまえば動き出した箸が止まる事は無く、気付けばユカリは一口、また一口と夢中になって出汁巻を口へと運んでいた。
その傍らでは、ユカリの零した心からの飾らぬ絶賛にピクリと眉を動かしたテミスが、どこか照れくさそうに、そして誇らし気に視線を逸らしていたが、それを視界に収めていたのは、ユカリの傍らで嬉しそうに微笑むシズクと、静かに頬を歪めたオヴィムだけだった。
「あぁっ……!?」
そして数分後。
すっかり空になった皿の上で箸が空を切ると同時に、皿を小突くカシンという軽い音に続いて、ユカリの口から悲痛な声が溢れ出た。
「も……もう無くなってしまったか……。いや……ありがとう。筆舌に尽くしがたい絶品だった」
「…………。あ……あぁ。いや、気に入って貰えたならば何より……だ」
自分の皿が空になった事に気が付くと、ユカリはしみじみと後味を噛みしめながらテミスへ小さく頭を下げて礼を口にする。
一方で、夢中になって出汁巻を平らげるユカリに毒気を抜かれたのか、テミスは僅かに動揺を露わにした後、小さく微笑んでユカリの賞賛に応える。
その相手が誰であれ、自分の作った物を美味い美味いと平らげてくれれば悪い気はしない。何なら、今すぐにもう一皿作って来てやろうかと申し出たくなる程の食べっぷりだった。
だが。彼女は何かの用を携えてここへ出向いてきたのだ。公私はきっちりと別けねばなるまい。
「それで……? 本題に入ろうか。お前は何の用があってここへ来た? ……その後で良ければ、もう一皿作ってやる」
「本当かッ!!? っ~~~~!! じゃない!! いや、頼むッ!! あぁっ……!!」
「グフッッッ……!!! グッ……ククククッ……!!!」
「フフフフッ……もぅ……紫姉様ったら……」
至極真面目な口調で口を開いたテミスだったが、付け加えた言葉にユカリが即応し、わたわたと慌てる様に、傍らで会話に耳を傾けていたオヴィムが堪らず噴き出した所で限界だった。
一瞬だけ戻りかけた緊張感は跡形もなく霧散し、暖かな笑い声がホールを満たしていく。
「ゴホッ……ゴホ……ッ!! お主もだ。テミスよ。言わずとも理解できるのだから、素直に美味そうに食べてくれて嬉しいと伝えれば良いものを……」
「し……仕方が無いだろう!! それだけ絶品だったのだからッ!!!」
「揶揄うなオヴィム!! えぇい畜生……!! どうしてこうなるんだ!! あ~……ひとまずだ!!! 話を聞かせて貰えるか!?」
そんな笑い声の中。
顔を茹蛸のように真っ赤に染めて叫びを上げるユカリの声と、同じくらい頬を朱に染めたテミスの怒鳴り声が、同時に響き渡ったのだった。




