1062話 憧れを追って
「シズク。カウンター2番さん。アヤはテーブル5番さんだ」
「はいっ!!」
「っ……了解です!!」
夜。
闇の帳も降り切り、ギルファー郊外にある白銀の館の周囲は静寂に包まれていた。
だが今夜は、その一階ホールに設えられた食堂を、繁華街に軒を連ねる酒場もかくやという程の喧噪が満たしている。
その理由は明白で。
昨日までは朝と夕の食事しか用意していなかったテミスが、急に酒や肴もふんだんに取り揃えた酒場を始めたのだ。
「カガリ。ダシマキ一丁上がりだ。カウンター3番さん。ついでに冷酒のお代わりも聞いて来い」
「わかったわ」
この場に集う面々の身が味わう事のできる秘密の酒場には、初日から多くの者達が肩を並べ、出される酒や珍妙な料理に舌鼓を打っていた。
そんな中。テミスは白銀の館に出入りする数人の兵を使いながら、厨房とホールを出入りして的確な指示を下していく。
「ウゥム……これは……ッ!!」
「テミスさんがまた何かを企んでいると聞いて足を運んだのですが、見事な手腕ですねぇ……。アタシの目から見ても惚れ惚れする程です」
「肴の味も量も申し分なし。酒は言わずもがな……いやはや、これは参った。仕事を投げ打ってでも通いたくなってしまうな」
「フッ……」
カウンターでは、ムネヨシとコスケ、そしてオヴィムが肩を並べて酒杯を傾けながら、賑わう店の様子を楽し気に眺めている。
尤も、ファントでのテミスを知るオヴィムだけは、素直に感心しているコスケと感動に肩を震わせるムネヨシの反応も楽しむかのように、一人だけ密かに口角を緩めていた。
アルス様と共に各地を巡る旅の中では、時には酒場へ赴く事も少なかった。中でも、他社の追随を許さぬ腕前を持っていたのは、間違い無く彼女が家と呼ぶあの宿屋だろう。
確かに、ファントの宿で給仕をこなしていただけあって、テミスの手腕には目を見張るものがある。だが、給仕に慣れぬ兵達の練度不足を鑑みて尚、まだまだ店の女将としては未熟だな……。
そう胸の中でひとりごちりながら、オヴィムは上機嫌に酒と肴に舌鼓を打ち続けた。
「フッ……単なる思い付きとはいえ、悪くない成果じゃないか」
バサリ! と。
厨房に戻ったテミスは腰に纏ったエプロンを満足気に翻すと、不敵な笑みを浮かべて呟きを漏らす。
このエプロンは、夕刻に戻ってきたアルスリードの贈った土産だ。曰く、いつも美味しい食事を作ってくれてありがとうございます……と、何とも可愛らしい言葉を添えて手渡してくれた逸品だったが、彼の土産は素晴らしい閃きも連れてきてくれたのだ。
そう。外に出る事ができないのならば、内に引き込んでしまえばいい。
加えて、敵に気を配らなくて良いこの館での酒の席ならば、愚痴や世間話に耳を傾けるだけで、直接情報を仕入れる事ができるッ!
ついでに、未だ給仕に慣れない者達に指示を出しながら自らの仕事をこなす事で、滞りなく指揮を執る為の修練にもなるのだ。
「まさに一石三鳥!! ついでに、私の暇も潰れるから四鳥かッ!? ハハハッ!!」
「テ……テミスさん……野菜の皮剥き……終わりましたぁ~」
「ン? ご苦労。ひとまず小休止だな。アルスリード。ひとまずお前は休んで居て良いぞ」
「はぁい……ありがとうございます」
厨房で一人、高笑いをするテミスの元へ僅かにふらつく足取りでアルスリードが歩み寄ると、テミスはその仕事ぶりを確認した後、小さな笑みを浮かべて労いと共に指示を下した。
このアルスリードお手伝いはオヴィムたっての希望で、なんでもこれ程安全に労働を知る機会は無いし、様々な体験をさせて多くの技術を身に着けさせたいらしい。
「クス……だが、この分では全員上で雑魚寝かな? それとも、このままホールに捨て置いてやろうか」
「す……凄いなぁ……テミスさん。僕より全然働いてるのに、全然元気だ」
「フッ……そうでもないさ。お前のお陰だよアルスリード。お前が食材の下ごしらえを手伝ってくれるお陰で、私が並行して調理をできている」
「アハハ……お役に立てているようなら……何より……です」
「勿論だとも。なにせ今日は急だったからな……手間のかかるモノを用意する事はできなかった。だがこの分ならば……明日の仕入れが楽しみだ。クク……フフフッ……!!」
テミスはまさに疲労困憊といった様子のアルスリードと満足気に言葉を交わしながら、有り余る退屈の中に見つけた新たな楽しみを前に、高鳴る胸を躍らせて笑いを零したのだった。




