1061話 募る苛立ち
テミスの起居する拠点である白銀の館が完成し、大宴会が催されてから数日。
今日も今日とてテミスとシズクは館に籠り、代り映えのしない退屈な日々を過ごしていた。
しかし、大した娯楽も無い館に籠り続けるのはテミスにとってはかなりの苦痛を要する行為であり、その精神は限界に近付きつつあった。
「なぁ……オヴィム。シズクは兎も角、私の方の噂はそろそろ収まったんじゃないか?」
ホールに設えられた大きなテーブルの上に力無く突っ伏しながら、テミスは部屋の片隅で太刀を磨くオヴィムへと問いかける。
市井に流れる噂の足は速い。ならばもう、十分過ぎる程に時間は過ぎたはずだ。
「いや……残念ながらそうでもない。今や元の噂に尾ひれや背びれ所か、羽まで生えて飛び交っている始末だ」
「……面白くもない冗談だ。あの程度の小競り合いなど、この町ならば幾らでもあるだろうに」
「腐心する気持ちは理解できる。お主が他国からの尖兵だなどという噂を聞いた時は、思わず笑いが零れたわ」
考え得る中でも、最悪に近い返答が返ってきて辟易とするテミスに、オヴィムはガハハと豪快に笑い声を上げると、手入れを終えた太刀を鞘へと納める。
全くもって、酷い男も居たものだ……と。テミスはオヴィムの笑い声を聞きながら胸の中で毒づくと、テーブルの上へと投げ出した身体で寝返りを打って言葉を返す。
「笑い事ではない。ほぼ正解じゃないか」
「ククッ……何を馬鹿な。お主のようなじゃじゃ馬を御せる者などこの世に居らんわ」
「ハァ~……ったく。外に出れん私の身にもなってみろ。私が最後に剣を握ったのがいつだか分かるか? 今や私の大剣の役目は部屋の隅で室内を彩る飾りが良い所だぞ!」
「そうがなるな。気持ちはわかるが、間違っても抜け出すなんてしてくれるんじゃないぞ? 今や外套なんざ役に立たん。ついこの間も、お前を探して人間狩りが催されていたのだからな」
「チッ……」
オヴィムの零した不穏な言葉にテミスは舌打ちを一つすると、不機嫌さを露わに明後日の方向へと視線を向けた。
これは完全な八つ当たりだ。私とて、オヴィムは悪くない事など十二分に承知している。
だが、毎日あの大剣に降り積もる埃を払う度に思うのだ。剣を磨く事はできても、満足に動く事のできない現状では、腕を磨く事はできない。
ならば、この剣に降り積もる埃のように、私の腕は何処まで鈍っていくのだろうか……と。
「……今日はいつにも増して荒れてますね。テミスさん」
「致し方あるまい。望んで怠けるのならば兎も角、こうも軟禁同然では鬱憤も溜るというもの」
「相手が相手……でしたからね。加えて、センリのやったシズクさんへの制裁の所為で、かなり注目されていましたから」
「ウム……」
荒むテミスを気遣ってか、上階から下りてきたアルスリードがオヴィムの元へと足早に歩み寄ると、声を潜めて言葉を交わす。
無論。声を潜めたとてテミスの耳には全て届いてはいるのだが、やり場のない苛立ちを抱えたテミスは、一切の反応を見せる事無く二人の会話を黙殺した。
きっと、彼等はこれからアルスリードの為の鍛練へと出かけるのだろう。
だからこそ、オヴィムは今も尚気遣わし気な雰囲気を漂わせながらこちらの様子を窺っているし、アルスリードはどこか怯えているかのように、私から距離を取っている。
「っ…………!!! ハァ~~~~。お前達、あまり私を見くびってくれるなよ? たとえお前達がこれから鍛練へ赴くのだとしても。今の状況で無理に付いて行くなどと言いはしないさ。あぁ、憎らしい程に羨ましくはあるがなッ!!」
そんなオヴィム達の態度にテミスは深い溜息を吐いた後、身体を起こして二人を振り返ると、半ばやけくそ気味に声を張り上げた。
そうだ。そんな事をしても何にもならない。ただ、今日この日まで耐え忍んできた日々を無に帰すだけだ。
「テミスさん……」
「お主……」
「えぇい!! そんな哀れみの籠った眼で見るんじゃないッ!! 下らん気を回すくらいなら、土産の一つぐらい買って来い!!」
「――っ!」
テミスは自らを見てボソリと呟いた二人に再び叫びを上げると、懐から黄貨を一枚取り出してアルスリードへ向けて弾き飛ばす。
安宿であれば十分に泊まれる程度の金額だ。私への土産を買う金額を差し引いても、二人が好きなものを買える程度には残るだろう。
キィン。と甲高い音と共に宙を舞った黄貨は、綺麗な弧を描いてアルスリードの手へと収まり、二人は僅かに驚いた顔でテミスを見つめていた。
「……釣りが出たならくれてやるさ。さっさと励んで来い」
「えっと……。ありがとう……ございます……」
「フッ……。アルス様、お金はひとまず私がお預かりします。帰りに幾つか商店を回りましょう」
「じゃあ……行ってきます!! お土産。楽しみに待っていてくださいね!」
「……行って来る」
「あぁ。待っているぞ」
投げ渡された黄貨をアルスリードは、自らの頭を撫でるオヴィムの言葉に従って素直に預けると、元気な声を残してオヴィムと共に外へと歩み出て行く。
テミスは小さな笑みを浮かべてその背を見送ると、再び脱力して机の上に崩れ落ちたのだった。




