96話 付き従う者
翌朝。
陽もまだ昇らず、静まり返ったファントの町のメインストリートを銀の髪が翻った。
周囲の景色に溶け込むその外套が、微かに紫がかった空の光を僅かに反射して怪しい雰囲気を一層際立たせていた。
「すまんな……マグヌス、サキュド。しばらくの間……頼んだぞ」
テミスは外套のフードを脱ぐと、遠くに見える詰め所を見つめて呟いて門の方へと足を向ける。この時間でも夜番の衛兵が詰めているだろうが、緊急任務だとでも言えば誤魔化せるだろう。
「ククッ……警備を固めたせいで、出るのも苦労するとはな……」
テミスは皮肉気に頬を歪めて呟くと、足を速めながらひとりごちる。
事前に警備体制を調べたテミスが考えた挙句に出した結論は、誰にも確認されずに町の外へ出るのは不可能だと言う事だった。
ひとたび外に出れば防壁の上に配置した兵に補足され、全ての門には衛兵が詰めている。個々人の注意力に差があるとはいえ、思い付く限りで全ての穴を潰したテミスの警備は、抜け出せるような穴は存在しなかった。
「ま、お陰でこうして動き回れる訳だが……っ!?」
そう呟いて、次第に大きくなる門へ駆けだそうとした時だった。横合いの暗がりから大きな影が飛び出してきてテミスの前へと立ち塞がった。
「テミス様……いかがされたのですか?」
声と共に街頭の元へと歩み出たその影は、厳しい表情を浮かべたマグヌスだった。
「いや……少々朝方の散歩をだな」
「剣をお持ちになって……ですか?」
「……散歩のついでに稽古でもするつもりだったからな」
「ではその外套とお荷物は何でしょうか?」
「っ……」
テミスはマグヌスの質問攻めを苦しくも躱そうと試みるが、早々に追い詰められて黙り込む。
剣までは何とか理由付ける事ができたとしても、旅人用の道具袋は流石に説明が思い付かなかった。
「あの騎士を……白翼の騎士を助けに……行かれるおつもりなのでしょう?」
「何ッ!?」
マグヌスが発した言葉に、テミスは目を丸くして驚きの声を漏らした。
確かに悩むそぶりは見せていたかもしれないが、フリーディアの件はマグヌス達も知らないはずだ。
「ルギウス殿からお聞きしました。テミス様が何に苦悩されていたのかも……そして、恐らくこうしておひとりで向かわれるである事も」
「アイツめ……」
眉根を寄せたマグヌスがそう語ると、テミスはため息と共に額を押さえた。
向かわせるつもりが無いのならば、何故ああも焚き付けるような事を言ったのだろうか。
「我々に、案がございます」
「案……だと?」
「はい。必ず納得いただけるかと。ですが準備に少々時間がかかりますので、ご出立をどうか昼までお待ちいただけないでしょうか?」
そう言うとマグヌスは頭を下げ、微動だにしなくなる。恐らく、私が返答を返すまでこの姿勢を保つつもりなのだろう。
「んっ……?」
テミスが呆れながらマグヌスを眺めていると、その足元に大きな荷物が置かれているのが目に入る。さてはこの男、返答次第ではこのままついてくる腹積もりなのではないだろうか?
「一つだけ問おう」
「ハッ!」
「私が半日出立を遅らせる事で、その分彼女の苦しみは長引く訳だが。これはどうするつもりだ?」
問いかけながらテミスは、我ながら、議論にも値しない最低の問いだと心の中で自らを嘲った。
そもそも数日間無為に頭を悩ませておいて、どの口がそれを問いかけるのか。こんなもの、抜け出すのに失敗した苛立ちをぶつけているに過ぎない。
「冗――」
「それについても問題ないかと。むしろ、彼女の苦しみも短くなるかと愚考します」
自嘲の笑みを浮かべたテミスが、冗談だ。と問いを撤回しようとした途端。それを遮ったマグヌスが、頭を上げて力説を始めた。
「我等の作戦が上手く運べば、テミス様の安全は保証され、かの騎士の救出も容易になるでしょう。是非、具申したく……」
「ほぅ……?」
再び頭を下げたマグヌスに、テミスは顎に手を当てて息を漏らす。
堅物のマグヌスがここまで力説するのだ。それはおそらくかなり出来の良い作戦なのだろう。
「わかった。説明してみろ。詰め所で良いな?」
「ハッ! ありがとうございますっ!」
その内容に興味が湧いたテミスは、頬を歪めると小さく頷いて踵を返したのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「はぁ……なるほどな……」
朝日が顔を覗かせ、弱い光がファントに差し込んだ頃。マグヌスの説明を受けたテミスは湯気の上がるコーヒーを片手に頷いた。
「いかがで……ありましょうか?」
「悪くはない……いや、むしろ効果的だとも言える」
テミスは率直な感想を漏らすと、コーヒーを口に含んで思考を巡らせた。
マグヌスの提案は確かに理に適っており、彼が大言壮語を吐いた通り、私の身の安全を確保しながらフリーディアの救出を早める画期的な作戦だった。
「だが……少々時流が見えていないな」
テミスが目を瞑ってそう告げると、目の前のマグヌスの表情が凍り付く。
「先の戦いがあった直後に、ファントから兵が越境すればどうなる?」
「っ……! それはっ……」
テミスが地図を指でなぞりながら指摘すると、顔を青くしたマグヌスが言葉を濁した。
その一方で、指摘した問題の解決策はテミスの中にすでに思い浮かんでいた。しかし、それを使ってこの作戦を実行する為には、どうしても確かめておかねばならないことがあった。
「マグヌス。正直に答えてくれ」
「ハッ!」
「なぜそこまでしてフリーディアの救出に手を貸す? お前達は魔王軍だろう?」
テミスは机にカップを置くと、真剣なまなざしでマグヌスの目を見つめた。
事実。マグヌス達の視点から見れば、フリーディアはただの敵将だ。助ける価値もなければ、私がそれを助けるのを止めこそすれど、手を貸す理由などどこにもない。
「テミス様……無礼を承知で申し上げます」
「赦す。どんな言葉でもいい。隠さず、飾らず言え」
「ハッ……では、失礼いたします」
深く腰を折ってそう前置きをしたマグヌスにテミスは即答した。どんな言葉であろうと、完璧に封殺する理論武装は既に頭の中で考えてある。
テミスが見据える前でマグヌスは大きく息を吸い込むと、覚悟を決めたように身を起こして口を開いた。
「テミス様。水臭いです」
「……はっ?」
「いいですかテミス様。我々はテミス様の部下なのです。その志に共感し、その強さに憧れてこの十三軍団の旗の元に集っております」
「いや、だがそれは……」
「それが誇りであり、我等が志。とうに我等の正義は、テミス様の正義となっております。それは、ドロシー殿の……いえ、ドロシーの旗下のあの施設を潰した時から皆同じです!」
「っ……」
鼻息荒く、テミスの言葉さえ遮って言い終えたマグヌスが、真っすぐとテミスの目を見つめ返した。その目には強い忠誠の光と共に、彼自身の意思の光が揺らめいていた。
「…………済まなかった。どうやら、私はお前達を見くびっていたようだ」
長い沈黙の後、衝撃から脱したテミスはマグヌスから視線を逸らすと呟くようにそう告げた。
少なくとも、彼等は私の正義を理解してはいない。フリーディアを救うと言っている時点で、その事は明らかだった。
私の意図を理解しているのならば、フリーディアを助けるのではなく、ヒョードルを殺しに行くというはずだ。
「……だが、それでいい」
テミスはボソリとそう呟くと、コーヒーを勢い良く飲み干して勢い良くカップを机へと戻す。
少なくともこれで、彼等が魔王軍としてではなく、私の私兵に近い認識で動いている事は明らかになった。ならば、それを最大限利用しない手は無いだろう。
「マグヌス。お前の作戦を採用する」
「ハッ! あ、ありがとうございますッ!」
「だが……越境はここからだ」
ニヤリと悪どい笑みを浮かべると、テミスは言葉と共に勢いよく地図の一点を指を差した。それを見たマグヌスは目を丸くして、疑問符を浮かべながら口を開いたのだった。
「はっ……テプロー……でありますか?」
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