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9話 安寧の光

「い、いらっしゃいませ!」


 テミスがマーサの宿に担ぎ込まれた翌日。

 俺は、アリーシャの予備の給仕服を借りて、食堂に立っていた。どうやらこの宿では、宿泊客に食事を提供する時間は食事処も兼ねているようだ。朝夕の二回の食事の時間と、夜の酒場の時間が俺の働く時間だ。


「クールな出で立ちだもんだから、もっと苦労するかと思っていたけど、存外できるじゃないか。これなら、すぐに出しても大丈夫さね」


 俺の接客を見たマーサさんは、そう言って笑いながら俺を即戦力として起用したのだ。


「まさかファミレスのバイトが、こんなところで役に立つとはな……何が役立つか解らんものだ」


 客が去ったテーブルを拭きながら、苦笑いする。しかし当り前ではあるが、元の世界のファミレスと異なる所などいくらでもある。


「テミスちゃん! あそこのテーブルの人」

「わ、わかった!」


 当り前だが、店員を呼ぶベルなんて便利な物は無い。こちらで客の食の進み具合を見て、おかわりや飲み物のオーダーを取りに行くのだ。夜の部、つまり居酒屋の時間帯になれば、大声で呼んでくれる客も居たが、それでも、店に居る全ての客の動向を把握するのは至難の業だ。


「お飲み物は?」

「んっ? 新しい子かい?」

「ええ、まぁ……。少しだけですが」

「そうかい、んじゃ通わないとなぁ。どれ、会えた記念だ。ワインでも貰おうか」

「かしこまりました」


 アリーシャに指示されたテーブルに向かって、コップが空なのを確認してからオーダーを取る。確か、この世界のワインはなかなかの高級品のはずだが、今日だけでこんな具合のやり取りは3回目だ。


「マーサさん! ワイン、お願いします!」

「えぇ? またかい? あいよっ!」


 調理場のマーサに声をかけ、用意されたワインを受け取って客の元へ戻る。


「お待たせ致しました」

「はは、ありがとよ。おじさんはもちっと、フレンドリーに話してくれると、嬉しいけどな。ホレ、アリーシャちゃんみたいに」


 お客の男が、アリーシャに視線を送る。確かに、アリーシャはお客に接する店員とは思えないほど、砕けた感じで話しているが……。


「が、がんば……る?」

「クククッ……いや悪ぃ。無理せんでいいさ。それはそれで可愛くて好きだがな。ホレ、マーサさんが呼んでるぜ?」


 言葉に詰まりながらもトライしてみたが、どうやら落第らしい。

 可笑しそうに喉を鳴らして笑ったお客の男に、ワインの代金を握らされる。


「あっと、これ……」

「良いんだよ。頑張ってくんな」


 テミスがお客に握らされた金額を確認すると、ワインの値段に加えて銅貨が1枚多かった。だが、それを指摘してもお客は笑って、カウンターで待つマーサの方を指すだけだった。


「あ、ありがとうござ……ありがとう!」


 ここで問答して二人の足を引っ張る訳には行かない。くれると言っているんだから貰っておいて、後でマーサにでも相談しよう。

 そう決めると、テミスは美味そうにワインを啜るお客に笑って送り出され、マーサの元へ戻る。


「えっと……」

「次、猪肉のステーキ。あそこの、魔族の人ね」

「はいは~いっ!」


 それだけ言って引っ込むマーサを見送っていると、元気な返事と共にアリーシャの手が横から伸びてくる。


「チップは分けておくんだよ。後から分ける時間なんて無いからねっ!」


 アリーシャはすれ違いざまにそれだけ言って、踊るようにステーキの皿を持って駆けていった。


「チップ……」

「テミス! 空いた皿持ってきてくんな!」

「は、はいっ!」


 元の世界との違いを噛み締める暇もなく、厨房のマーサから檄が飛ぶ。とりあえず、もろもろは後に回して、今は精一杯仕事をしなくては。


「っと、こりゃ……無駄な気を使っていると潰れるな」


 空いた席の皿を片付けて、ふきんで清める。料理や客の熱気もあるが、アルバイトと違うのは、この圧倒的なスピード感と求められる自己判断だろう。当然と言うべきか、マニュアルなんてものは存在しない。


「いらっしゃいませ!」


 テミスが机を片付け終わった時。キィ……と音を立てて扉が開き、見覚えのある魔族が入ってきた。


「お、居た居た。噂から君じゃないかと思っていたが、やっぱりか。存外サマになってるじゃないの」

「っあ、衛兵の……」

「そ、覚えてくれててあんがとよ。バニサスってんだ」


 バニサスがにこやかに近付いてくると、今しがた俺が片づけた席に腰を落ち着ける。


「ちろっと心配してたんだぜ? あの時から顔色があんまり良くなかったからな。魔力もブレてたし」

「魔力……? それに、噂……?」


 バニサスの言葉に首をひねるが、厨房からの視線を感じて思考を隅へ追いやる。


「ごちゅっ……今日は何に? オススメは猪肉のステーキだ……です」

「ククッ……、んじゃそれにメシと蜂蜜酒を頼むぜ」


 先程の客の言葉を思い出し、かつての知識から引用して、それっぽく言ってみたのだが失敗だったようだ。バニサスにも面白そうな顔で笑われてしまう。


「しょ、少々お待ちください」


 うむ、やはり慣れているのが一番だ。急いでカウンターに戻ると、マーサにオーダーを通す。


「猪肉のステーキに、ライス。あと、蜂蜜酒お願いします!」

「あいよ、ライスは?」

「へっ……?」


 予想外に返ってきたマーサの言葉に、テミスの顔が青くなる。

 待ってくれ。ライスのサイズがあるなんて聞いてないぞっ……。


「大盛り~っ!」

「あいよ」


 真っ青な顔でバニサスの元へ戻ろうとした時、アリーシャが横からオーダーを通してくれた。


「バニサスさんは、ライスいつも大盛りなんだっ」

「全部……覚えて?」

「うん。慣れるまでは、聞いても良いと思うよっ! っと、そろそろ看板かな」


 驚愕に少し声を震わせながらアリーシャを振り向くと、彼女は当り前のように笑ってウインクして店の外へと出ていく。


「お待たせっ! っと、テミスこれ運んだら看板を――って、アリーシャが行ったか、んじゃ、よろしく」


 バニサスのオーダーを持ったマーサが、店を見渡して指示を出すと、再び厨房の中へと消えていく。


「お待たせしました。銅貨1枚と――」

「キタキタッ! 閉まる寸前に入れてラッキーってね。ああ、釣りは取っといていいぜ。少なくて悪いが、衛兵の給金じゃこれで限界なんだ、勘弁してくれな」


 配膳した途端にバニサスは、テーブルの上に置いてあった銅貨二枚をこちらに滑らして食事を始める。


「あ、ありがとう……」


 こちらの世界では、チップは当たり前なのだろうか。だとしたら、今までの旅路では途轍もないケチをしていたことになるな……。


「バニサスさん、今日はこれから?」


 俺が貰った金を、給仕服のポケットにしまって立ち去ろうとすると、アリーシャがやってきてバニサスに声をかけた。


「うんにゃ、今日は昼番だった。嬢ちゃん……っと、テミスちゃんみたいな旅人ももう居なくて退屈だったぜ」

「またまた。平和なのが一番だよ」

「んだな」


 ステーキとご飯を交互に頬張りながら、バニサスが器用に会話する。客もはけてきたためか、アリーシャもゆっくりと会話をする余裕ができたみたいだ。


「テミス」


 何を話そうかと考えていると、小さくアリーシャに目配せされて袖を引かれた。


「んじゃ、ごゆっくりね!」

「おう、ありがとよ」


 アリーシャの声に合わせて一礼すると、2人でバニサスの座るテーブルからカウンターまで戻ってくる。


「アリーシャ?」

「ごめんごめん、テミスちゃん、あのまま会話しそうな雰囲気だったから……」

「ああ、うん。そういうモノなのかなって……ありがとう」


 正直、どんな話題を振っていいかわからなかったから困っても居たんだが。


「んで……どう?」


 悪戯っぽい笑みを浮かべて、アリーシャがテミスへ問いかける。

 客がはけて緊張が抜けたのか、ぼうっとした倦怠感が襲ってきていた。


「なんというか、温かいな。お客さんも、アリーシャ達も」


 テミスはカウンターに身を預けながら答えると、倦怠感と共に押し寄せてきた果てしなく身勝手な達成感を噛み締める。システムの違いや戸惑いもあって、アリーシャみたいに上手くはできなかったが、次はもっと上手くやれるだろう。


「そう?」

「ああ、元の――っ、前居た所では、もっとよそよそしかった」

「ふぅん……もしかして、みんなテミスが最初にやってた感じとか?」


 危うく、元の世界などと口を滑らせるところだった……。しかし、何とか聞き流してくれたようで助かった。


「そうだな、ああいう対応をしないと、怒られるから」

「なんか、そこでご飯食べても楽しくなさそう……」

「皆、好きでやってる訳じゃないからな……」


 俺はかつての職場を思い出して感傷に浸りながら、かつてのアルバイト先の事をアリーシャに語り聞かせる。

 あの時は当たり前だと思っていたが、少なくとも、アリーシャみたいに楽しそうに働いてる奴なんて一人も居なかったな……。


「アンタら、お喋りは良いけど机拭きは終わってるのかい?」


 厨房の方もひと段落したのか、カウンターに顔を出したマーサが半目で声をかけてくる。


「うん。もう全部終わってる。テミスちゃん様々だよ」

「そんな事は……色々迷惑かけたし……」

「ま、その辺は後でだね。これでも飲んどきな」


 マーサは一転してニカッと笑うと、なみなみと飲み物の入ったジョッキをテミス達に差し出した。

 緊張と焦燥で喉がカラカラなので、正直凄くありがたい。


「ありがとう、ございます」

「お~っ! やったねっ!」


 テミスはアリーシャと共に嬉々として受けとると、二人で笑い合いながら木製のジョッキを傾ける。


「っしゃ! 美味かった。悪いな、遅くまで。また来るぜ」


 しばらくそのままアリーシャと談笑していると、コップの蜂蜜酒を飲み干したバニサスが、席を立って戸口で手を振っていた。


「ありがと~! またねっ!」

「あ、ありがとうございました!」


 慌ててジョッキを置いて頭を下げる俺と、そのまま手を振って送り出すアリーシャ。何故かアリーシャの方が自然なのは慣れなのか。


「おし。ハケたね、私らも食事にしようか」


 バニサスが退店するのを待っていたのか、ちょうど店の扉が閉まったタイミングで、沢山の皿を乗せたプレートと共にマーサが現れる。


「おおっ、今日はすっごい豪華だね」

「まぁね、テミスの歓迎のつもりだったんだけど……」

「……だけど?」


 言葉を濁したマーサが苦笑いをしながらこちらを見ている。何かまずい事でもしてしまったのだろうか?


「この分なら、毎日コレでもお釣りがくるさね」

「あぁ、確かに。今日のテミス、凄かったもんね。っとあ、私もテミスって呼んでいい?」

「え、ああ。もちろん。でも、凄いって?」


 アリーシャは首をかしげる俺のポケットを指さして、満面の笑みで笑って口を開く。


「みんなテミスのこと見てるんだもん、ちょっと嫉妬しちゃうよ」

「へっ?」


 仕事をこなすのに必死で気が付いてなかったが、見られていたのか……。かなり恥ずかしい。


「ま、ちとカタ過ぎるのはあるけどね。夜はカウンターでアタシの手伝いをしてくんな」

「あっ、はい……」


 俺達の前に皿を並べながら、マーサがぴしゃりと言う。やはり、付け焼き刃な俺の接客では力不足だったか。


「あはっ、テミス勘違いしてるよ」

「えっ?」


 思わず机に視線を落とした俺の頬を、アリーシャがつつくいてくる。


「夜の部は、けっこうイヤらしいお客さんとか多いから。たぶんだけど、テミス上手くあしらえないでしょ?」

「あっ……」


 言われて、昨夜のアリーシャを思い出す。確かに、腰やら尻やらを触ろうとする手を見事にかわすあの動きは、俺にはできそうにない。

 対抗するのであれば、せいぜい掴んで投げ飛ばすか、触られる前に手首を捻り上げるか。掴むに留めたとしても、ひと悶着になるのは間違いないだろう。


「でしょっ? テミスなら多分我慢しちゃうんだろうけど、それはそれで良くないから……」

「あったり前さ。ウチは娼館じゃないんだよ。テミスも、そういうことされたら言うんだよ」

「うん……」


 二人の心遣いに、思わず頬が緩む。あまり長居をしてしまうと、本当にずっとここに居付いてしまいかねない暖かさだ。


「うん、良い顔だ。アンタみたいな子は、そうやって笑ってるのが一番さ」

「うんうん、最初はお姉ちゃんみたいって思ったけど、こうやって見ると妹みたいでぎゅってしたくなるよ」

「ははは。確かにこういう所はそうさね」

「うっ……」


 明るい笑い声が、食卓を包む。顔から火が出そうなほど恥ずかしかったが、どこか心地いい。安心して安らげる場所と言うのはきっと、こういう場所の事を言うのだろう。


「さ、食べちゃいな。この分だと、夜の部も忙しくなるよ!」

「はいっ!」「うんっ!」


 二つの元気のいい返事が、暖かな光に揺れる店内に響き渡った。

8/1 誤字修正しました

2020/11/23 誤字修正しました

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