1060話 ひねくれ者の誓い
「さぁ……もう満足だろう? 早く行くと良い、皆が待っているぞ」
凍て付く冷気に晒されていた身体が冷えてきた頃。
テミスは軽快な口調でそう話を締めくくると、シズクの背を軽く叩いて促してやる。
自分よりも少し長く、シズクはこの場所で黄昏ていたのだ。慰め程度に酒を飲ませたとはいえ、身体は冷え切っている事だろう。
「そう……ですね……。貴重なお話を聞かせてくれてありがとうございます」
「ハァ……今更畏まるな。むず痒い。兎も角、お前は堂々と胸を張っていれば良いという訳だ」
「フフ……はい。テミスさんがそう言うのなら。信じます」
ぶっきらぼうに告げられたテミスの慰めの言葉に、シズクは小さく笑顔を浮かべると、コクリと頷いてみせた。
その瞳にはもう、独りこの場所で黄昏ていた時のような物憂げな光は無く、彼女らしい実直さを感じさせる、穏やかな意思が宿っていた。
そして、テミスが穏やかな視線を送る前で、シズクは腰を落ち着けていた瓦礫から立ち上がると、テミスの言葉通り宴会へ戻るべく扉へと足を向けた。
「ん……それで良い。私はもう少し、この静かな場所で酒を楽しんでから戻るとするさ」
「わかりました。でも……早めに戻ってきてくださいね? テミスさんもこの宴会の主役なんですから!」
だが、テミスは不敵な笑みを浮かべて手にしたジョッキを揺らしながら、シズクの背中にそう告げると、苦笑いを浮かべたシズクは肩越しに振り返り、溜息と共にそう言い残して室内へと戻っていく。
「クク……何も聞かされることなく叩き起こされ、料理を作らされた私も主役……ねぇ」
テミスは喉を鳴らして不敵に笑うと、シズクの気配が完全にこの場離れるのを確認してから呟きを漏らした。
事実、私も主役だと言ったシズクの言葉に偽りは無いのだろう。
宴会の事を私に伏せていたのも驚かせる為。だが、私自身が食事の用意をし始めたのがシズクの唯一の誤算だったはずだ。
私へのサプライズと、大宴会へ招いたゲストたちへの最高のもてなし。その二つを両立させるために思い付いた苦肉の策こそが、私の寝込みを襲うことだったという訳だ。
「……お前はどう思う? カガリ」
「ッ……」
そんな事を考えながら、テミスは口角を吊り上げたまま、屋根に空いた穴へと声をかける。
瞬間。鋭く息を呑む音と共に、ぎしりと崩れ残った屋根が軋みをあげた。
「シズクなら先に行かせたぞ。そんな所から覗いていないで下りてきたらどうだ?」
「…………」
投げかけた問いに答えが返ってくる事は無かったが、テミスは上機嫌にクスクスと笑いながらジョッキを傾けると、屋根の上へ向けて言葉を続ける。
すると、まるで逡巡でもしているかのように数秒の間を置いてから、屋根に空いた穴の端からカガリがぴょこりと姿を現すと、ヒラリとテミスの前へ僅かな音と共に着地した。
「何故……私があそこに居ると?」
「クス……カウンターから不安気にチラチラと二階を見ているお前が目に入ってな。私が向かえばお前が着いて来ると予測するのは容易い事だ」
「でも……それだけでは、私が屋根の上居るとはわかるまい!!」
「いいや。そうでもないぞ? この建物の壁はホールでの馬鹿騒ぎを完全に遮断する程には強固だ。それはあの扉も同様。即ち、会話を盗み聞く為には何らかの方法で外に出なくてはならない」
「ぐッ……!!」
「だが、一階の扉は宴会の真っ最中だ。当然使えない。残る手段はこの扉と、二階の部屋の窓から屋根によじ登る程度。扉から我々に気取られずにここへ侵入するのは不可能。ならば残る手段は一つしか無い」
テミスの問いを無視して、カガリが悔し気に問いかけると、テミスは愉し気な笑みを浮かべて朗々とカガリが屋根の上に居ると解った理由を説明してやる。
その説明が進むたびに、カガリは口惜しさを噛み締めるように拳を握り締めたり、肩を震わせたりしていたが、テミスが説明を終える頃には、諦めたかのように溜息を吐いて脱力していた。
「それで……? 私に何の用だ? シズクが立ち去っても残っていたのだ、何かあるのだろう?」
「っ……!! まぁ……うん……」
そんなカガリの反応を楽しみながらテミスが再び問いかけると、カガリはシズクの腰掛けていた瓦礫へ腰を下ろすと、ぴくりと肩を跳ねさせた後もごもごと口ごもる。
そして、彼女らしくないしおらしい態度に驚いたテミスが言葉を止めると、短い沈黙の後にカガリはゆっくりと口を開いた。
「お礼を……言わなくちゃと思って。シズク姉様を……助ける為に、あのセンリお爺様と戦って……倒してくれたから。その……本当に……ありがとう」
「クス……。あぁ、シズクが無事でよかった」
「ふ……フンッ……。私は姉様を危ない目に遭わせるアンタなんて大っ嫌いだけど、シズク姉様がアンタを慕う限り……仕方ないから、従ってあげるわ!! それだけッ!!」
言葉を紡ぐ度に、カガリは急速にその顔を朱に染めていくと、最後は畳みかけるように叫びを上げ、テミスの返事を待たずに建物の中へと脱兎の如く駆け出していく。
その背中を不敵な笑みを浮かべて存分に眺めた後。テミスは勢い良く扉が閉まる音を聞きながら、美味そうにジョッキの酒を呷ったのだった。




