1055話 挑戦と団欒
テミスが悪戯をはじめてから数日。
朝食時と夕食時の仮拠点は、これまでにない賑わいを見せるようになっていた。
結局の所、テミス自身が直接手を下したのは一人だけであったが、自らの衣装に慣れた頃にはシズクとカガリも次々と標的を仕留める事に成功した。
故に、ルールに則り『暗殺された』者は仮想に身を包み、各々の空き時間を利用して食事の準備を手伝うようになったのだ。
「…………」
だが。
メイド服にミニドレス、果てはバニースーツといったものまで。見るだけでも賑やかな様相を呈しているホールを眺めながら、テミスは言葉を失っていた。
最早確認するまでもなく、特異な衣装に身を包む事は既に罰ゲームとしての機能を失っている。しかしそれ以前に、この拠点を利用するほとんどの者が、暗殺を躱す事ができなかったというのは問題だろう。
「ハァ……ムネヨシの奴に、戦闘訓練でも提案しておくか……」
テミスは楽し気に仕事に励む兵達に小さく嘆息すると、苦笑いを浮かべて視線を厨房へと戻した。
そこでは、最早異彩を放つ事の無くなったミニスカメイド服に身を包んだシズクと、異様に丈の短い着物に身を包んだアヤが、真面目な顔で調理に励んでいる。
「…………おかしい」
手際よく鍋を振る二人の手によって着々と料理が出来上がっていくのを確認すると、テミスは傍らの小さな椅子に腰をかけながら呟きを漏らす。
最初は外に出る事のできない私の暇潰しの為に始めた事の筈だった。
だというのに何故。私はこんなに暇を持て余しているのだろう。
「おかしいって……何がよ?」
「ン……? 暇すぎてどうにも……な」
「あぁ……皆張り切ってるからねぇ……」
そんなテミスの元へ、厨房の外から空いた器を手に入ってきたカガリが、皿を水桶の中へと落しながら声をかける。
思えば、一番最初に斬りかかってきた所為もあるのだろうが、シズク以外のギルファー出身の者で、こうも気軽に声をかけてくる者はカガリくらいのもので、彼女はその堅苦しくない口調も相まって珍しい存在といえた。
シズクが真正面から素直に好意を伝え、慕ってくれる甘えん坊とするならば、カガリは自らの気分次第で自由気ままに立ち回る孤高の一匹猫といった所だろうか。
「罰を受けて張り切るくらいなら、その熱意を普段から持っていて欲しいものだがな」
その、ともすればぞんざいとも言える口調に何処か癒しを感じながら、テミスは溜息まじりに言葉を返した。
だが、カガリはテミスの言葉にピクリと眉を跳ねさせると、ゆっくりとした歩調でテミスへと歩み寄りながら、クスリと不敵な笑みを浮かべて口を開く。
「何とぼけた事を言ってるの……皆、貴女と関われるって言って張り切っているのよ? 私には何一つ理解できないんだけれど」
「何……? 私と……?」
「そ。もしかして、気付いていない? 同じ拠点の中に居はしても貴女、相当近寄りがたいわよ?」
「……無理もない話だ。私はこの国の者ではない……その上人間だからな」
「違くて」
カガリは会話を交わしながら、テミスの座る椅子を回り込むようにして背後へと立つと、自身の指摘に難しい顔をして答えたテミスの言葉を即座に否定した。
同時に、テミスの死角に入った左手を、スルリと短いスカート裾へと這わせると、その陰に隠されたナイフへと伸ばす。
「過激派との戦いや今回の一件、どう考えたって貴女は融和派にとって英雄よ。そんな英雄様があの子たちに見せる顔といえば、真面目な厳しい顔だもの。距離を感じるのは当り前よ」
「クス……なるほど。合点がいった。確かにその通りだ。翻ってお前は、私が倒れた時も側に居たからこそ、その飾らぬ態度という訳か」
「っ……!! それだけじゃ……ないけど……。不快に思われるのでしたら、修正いたしますが?」
「必要ない。今のままで構わんさ。あと――」
テミスは僅かに口ごもったカガリに涼やかな笑みを浮かべて言葉を返すと左手を持ち上げて、額にかかった髪を避けた。
その背後では、カガリが得意気な笑みを浮かべながら、キラリと光る小型のナイフの切っ先をテミスへと向けていた。
次の瞬間。
「――会話を装うのならば足音を殺すのは逆に不自然だぞ? ナイフを抜く時の衣擦れの音にも注意すべきだ」
「えっ……!?」
ぱしり。と。
カガリの手に握られたナイフがテミスの首筋に突き付けられる直前。音もなく閃いたテミスの左手が、ナイフを持ったカガリの左手を掴んだ。
同時に、テミスは淡々とした口調でカガリに助言を加えると、掴んだ腕を捩じり上げながら、ゆっくりと立ち上がって不敵な笑みを浮かべる。
「あッ……ウッ……」
「直前に殺気を漏らすなど言語道断。止めを刺す瞬間まで気は緩めん事だ」
「クッ……!! 降参よ……」
「フフ……だが私を狙うその気概は買おう。精進すると良い」
その余裕の表情に敗北を悟ったカガリがナイフを手放すと、テミスも捕まえていた手を離して捩じり上げていた腕を開放した。
「あっ!! 居たッ!! テミス様!! ……とカガリ? ま、いっか。それより、配膳終わりました! 次は私達の番ですよね!? ダシマキの作り方、教えてください!!」
「ずるい!! 私も私もッ!! 卵が破れちゃってテミス様みたいに上手く巻けないんですよ!」
「解った解った。なら、コツを教えてやるから自分の分を自分で作ってみると良いさ」
すると、丁度そのタイミングで、配膳に出ていた兵達が厨房へと入ってくると、朗らかな声をあげた。
そんな明るい笑顔を見せる兵達にクスリと小さな笑みを浮かべると、テミスは優しくカガリの肩を一度叩いてから、兵達と共に火の準備をして待っているシズク達の方へと向かったのだった。




