1051話 動乱一過
世界から、争いが無くなる事は無いだろう。
それが、武器や魔法なんかが蔓延るこの世界では猶更だ。
ならば、争う力そのものである武器と魔法を消し去ればいいのか?
否。武器を棄てれば魔獣などの被害に歯止めが利かなくなるし、魔法を忘れれば人々の生活レベルは原始の時代まで後退してしまう。
結局の所、この手の事柄に根本的な解決策など無いのだ。
あちらを立てればこちらが立たず。それこそ、天井におわす全知全能の神様とやらでも無ければ無理な話で。
つまるところ、平々凡々たる我々は、この欠陥だらけの世界の中で、日々起こる問題に対処して生きて行くしかないのだろう。
「……なんてな」
テミスはクスリと小さく笑みを浮かべて呟くと、とりとめもなく漂わせていた思考を現実へと引き戻した。
今の時刻は恐らく昼前といった所だろうか。部屋の外から聞こえてくる相も変わらず賑やかな声を聞きながら、テミスは未だ敷きっぱなしの布団の上に寝転がりながら、自室の天井を見上げていた。
「これで……上手く纏まれば良いのだがな」
センリとの戦いから数日。
獣人たち……特に過激派連中の中核を担うセンリを殺した事で、テミスはともすればこのまま戦争になだれ込んでしまうかとも思っていた。
だが、奇しくもセンリ自身が、衆目の中で同じ獣人族であるシズクへと加えた暴虐が瞬く間に噂として広まり、その首を落としたのがシズク自身であったという事も手伝ってか、獣人たちの憎しみが高まる事は無かった。
むしろ。世論の興味はボロボロのシズクを救う為に駆け付けた人間である私へと向けられているらしく、お陰でこうして拠点の中で存分に午睡を貪る事が許されているのだ。
今頃はムネヨシ辺りが、この好機を逃すまいと奮闘している事だろう。
「テミスさん? 起きていますか? もうお昼ですよ?」
「ん……あぁ。起きているとも、入って良いぞ」
「はい。では、失礼します」
テミスがここ数日の事を思い返していると、控えめなノックと共が部屋の戸を揺らし、外からシズクの声が聞こえてくる。
その声に気の抜けた返事を返すと、テミスは横たえていた半身を起こして自室の中へとシズクを招き入れた。
「……まぁた寝間着のままお布団でゴロゴロして。せめて一枚羽織って呼んでくださいよ」
「別に良いだろ……暇なんだよ。外にも出れんしな」
「全く……少しは恥じらいというものをですね……。ハァ……もう良いです。お昼は食べられますか?」
「クス……そうだな。いただくよ」
部屋に入ったシズクは開口一番で深い溜息をつくと、酷くだらしのない格好で迎えたテミスに苦言を呈した。
しかし、当のテミスは欠片ほども気にしていないのか、はだけた寝間着を直そうとすらせずにシズクへと言葉を返している。
シズクは眉を顰めてテミスへと視線を向けた後、再び大きなため息を一つ吐くと、諦めたかのように声色を変えて問いかけた。
そんなやり取りは、ここ数日で構築されたシズクとテミスの間で交わされるいわばお決まりのものだった。
「ところで……体調はどうだ?」
「お陰様で、すこぶる良好です。むしろ、傷を負う以前よりも調子がいい位でして」
「フム……問題が無いのならば良い……か……」
お決まりのやり取りを終えたテミスは布団の上に腰を掛けたまま、のそのそと身支度を始めると、微かに頬を赤らめながら視線を逸らすシズクへ向けて問いを投げかける。
シズクの傷に関しては、コスケが十全にその約束を果たしてくれたらしく、彼が死の縁にすらある者ですら蘇らせる事のできる秘法を以て治療を施した事になっている。
彼女の言葉通り経過は良好。その日のうちに呼び寄せたミチヒトに診せても、全く問題無いであろうとの事だった。
故に、狐助の元にはその秘法を求める客が殺到しており、様子を見に行ったオヴィムの話では、相も変わらずあの飄々とした態度で捌いていたらしい。
「お互い、面倒な身の上だな」
「いいじゃないですか……テミスさんは。名前も素性も知られていないんですから。私なんて一歩も外に出られないどころか、ムネヨシ様達にも迷惑が……」
「クク……ムネヨシなら、その辺りも案外うまくやるだろうさ。できれば、私が暇に殺される前に何とかしてほしいものだがね」
「そんなにお暇なら、一緒にお仕事しますか? 料理に洗濯、掃除といくらでもお仕事はありますよ?」
シズクと言葉を交わしながら着替えを終えると、テミスは喉を鳴らして笑いながらシズクの視界の中へと歩み出る。
すると、シズクはどこか恨めし気な視線をテミスへと送りながら、溜息まじりの言葉と共に部屋の戸を開けて廊下へと先導した。
「そうだな……それも面白いかもしれん」
「えっ……!?」
テミスがのんびりとシズクの背を眺めながらそう言葉を返すと、シズクは思わず驚きの毛を上げてその場に立ち止まり、目を見開いてテミスを振り返った。
そんなシズクの反応にクスクスと楽し気に笑いを零しながら、テミスは悠然とした足取りで驚きに足を止めたシズクを追い越して、良い香りの漂うホールへと向かったのだった。




