95話 並ぶ肩・伸びる背中
テミスがフリーディア捕縛の報を知ってから3日後。その男は突然テミスの元を訪れた。
「やぁ、その様子だとやはり悩んでいるみたいだね。テミス」
「ルギウス……何の用だ? 復興支援用の資材ならマグヌスに……」
「心労の絶えない戦友を心配して駆け付けてはいけないのかな?」
訪れたルギウスに目もくれずに言葉を返したテミスを遮って、人の好い笑顔を浮かべたルギウスがテミスの前へと進み出る。
「僕は昨日知ったばかりなんだけどね……君の所の情報網はとても優秀らしい」
「……まぁな」
ルギウスを前にして尚、テミスの物憂げな態度は直らず、曖昧な口調で生返事を返すばかりだった。
「やれやれ……これは相当だねぇ。マグヌス、少し軍団長殿をお借りしても良いかな?」
「ハッ! 主の無礼……まことに申し訳なく……」
「良いよ良いよ。知らない仲じゃないしね。じゃ、テミス。少し歩こうか」
「ああ……」
ルギウスは頭を下げるマグヌスに笑いかけると、その笑顔をそのままテミスへと向けて問いかける。しかし、テミスはこれに頷きはしたものの、一向に席を立つそぶりを見せなかった。
「ククッ……本当に重症らしい。ホラ、行くよ。たまには気分転換でもしないとね」
「むっ? はっ……? 待てルギウス。一体どこへ行くと言うんだっ!?」
含み笑いを零したルギウスは、傍らに掛けてあったテミスの帽子を手に取ると、少々乱暴にテミスの頭に被せてその腕を掴んだ。視界を閉ざされて初めて現実へと意識を戻したテミスが声を上げるが、ルギウスはお構いなしに腕を引っ張って外へと連れ出したのだった。
「それで……君は一体何をしているんだい?」
ルギウスに連れて来られたのは、いつかの日に彼と酌み交わした防壁の上だった。いつもは見張りの衛兵を置いているのだが、我々と入れ違いに席を外したらしい。
「何をしていると問われてもな……何もしていないと答えるしかあるまい」
テミスは風に髪をなびかせながら、ロンヴァルディアの方角を眺めて呟いた。事実、ここ数日は仕事も手につかず、気が付けば考えに没頭している有様だ。ファントが現在の体制に移行していなければ、今頃私の机の上は書類で溢れかえっていた事だろう。
「ならば訊き方を変えようか。フリーディア……なぜ彼女を救いに行かない?」
「……っ!」
ルギウスの斬り込んだ問いかけに、テミスの眉がピクリと跳ねる。ルギウスは私達の間柄の事を知らないはずだが、聡いこいつの事だ……戦場でのやり取りで悟ったのだろう。
「私は魔王軍の所属だぞ? 何故敵である奴を救いに行くと考える?」
「純粋な魔王軍の所属なら、わざわざ第二軍団の怒りを買ってまでプルガルドの施設を潰さないだろうね」
「…………」
含み笑いと共に発せられたルギウスの言葉にテミスは黙り込んだ。要は相手の問題なのだ。身内の膿を切除するのであれば何とでもなるが、他人の懐に潜り込んだ挙句、我を通したとあれば最悪、魔族と人間族の間に取り返しのつかない亀裂を生みかねない。
「君は君の正義を貫くべくここに居るのだろう? それとも君の正義は、相手によって出したり引っ込めたりできる程器用なものなのかい?」
「何だと……? 今、何と言ったルギウス」
薄ら笑いと共にルギウスが挑発すると、テミスの目つきが鋭いものへと変わる。同時に、ゆっくりとした動きで右手が防壁に添えられた。
「言った通りさ。何に怯えているのかは知らないけどね……このフリーディアって子は君と最後まで戦っていたんだろう? ならば殿の役目を全うした彼女は、称賛される事はあっても捕まる謂れは無いはずだ。正義を語るのならば、誰よりも彼女の正しさを理解している君が動かない理由などそれしかないだろう?」
「私が……怯えてるだと?」
「ああ。ドロシーの施設を潰して彼等の悪徳を見逃すというのならば、君の正義は殴りやすい頬を殴っているだけの自己満足に過ぎない」
「言うに事欠いてそれかルギウス……」
言葉を交わす度に、二人の間に険悪な空気が漂い始める。剣呑な光を目に宿したテミスの右指が微かに動いた瞬間、再びルギウスが口を開いた。
「君がそんな人間でない事は百も承知さテミス。その顔を見れば尚更ね。ならば、君を縛るモノは何だい?」
「っ!!」
表情を一変させたルギウスが柔らかく微笑むと、牙を剥いていたテミスの顔が驚きに変わる。まさかこいつは、本当に損得を抜きにしてここへ来たとでも言うのだろうか?
「……何を企んでいる?」
「別に何も。ただ、眩しい正義を掲げた友が迷っているみたいだったからね。挫けないようにその背を押しに来ただけさ」
「馬鹿な……何故そんな……」
目を見張ってそう漏らしたテミスに、ルギウスは視線を空へと向けるとはにかみながら言い放つ。
「君の掲げる正義に惚れたからさ。強き身で弱きを護り、強きを挫く。そんな矛盾を孕んだ君の正義がどこまで行けるのか楽しみでね」
「…………フン……性格の悪い奴だ」
ルギウスの言葉を聞いたテミスは頬を歪めると、防壁に添えていた右手を静かに離して腰へと当てる。ルギウスが私に見出した正義とやらは見当違いだが、確かにコイツの言う事には一理ある。
「まぁなんだ……感謝はしておこう。友よ」
「ふふっ……君からそんな言葉が聞けるとは、お節介を焼いた甲斐があったね」
ルギウスに背を向けて歩き出したテミスに、その後ろをついて歩を進めるルギウスが面白そうに言葉を投げかける。
「ならば……やる事は一つだな……」
皮肉にも、ここ数日でそれは証明されている。心を決めたテミスはそう呟くと、早速頭の中で計画を練り始めるのだった。