1050話 空虚へと至る
『終わり』は、いとも呆気なく訪れた。
積み重ねたかつての思い出が胸の中を過る事も、この手で祖父の命を絶つという罪禍が重くのしかかってくる事も無い。
ただの一振り。そのあまりの空虚さに、ゴトリと音を立てて崩れ落ちるセンリの亡骸の前で、シズクはただただ茫然と立ち尽くしていた。
吹き渡る冷たい風がシズクの纏った外套を巻き上げ、同時にその身と手に携えた刀身を包んでいた焔が少しづつ薄らいでいく。
「……終わったか」
「はい」
どれ程の間、そうして立ち尽くしていたのだろう。
白刃の舞い踊る派手な戦いや、血に塗れた残虐な公開処刑が終わりを告げ、見物に訪れていた人々が、一人……、また一人と減っていく中で。
シズクは背後から呼びかけられた静かなテミスの声に、ただ一言だけ答えを返す。
「けじめを果たして、満足か?」
「……わかりません」
しかし、虚脱感にも似た空虚さに満たされたシズクの心中など慮る様子も無く、テミスの声は次々と変わらぬ口調で問いを重ねた。
けれど、その声を煩わしいと思ったのもほんの一瞬の事で。
結局、シズクは自らの胸を支配する想いに耐え切れず、溢れた思いは問いとなって口から零れ落ちた。
「テミスさんは……いつもこんな気持ちなんですか?」
「ン……?」
「……もっと、何かあるのだと思っていました。それが例え苦しみであっても、喜びであっても、背負っていく覚悟はありました。けれど……」
「あぁ……そうか。フフ……虚しいだろう?」
「っ……!!!」
刀を手にして立ち尽くしたまま、まるで縋るように問いかけるシズクに、テミスはゆっくりと歩み寄ると、その傍らに立って事も無げにその胸中を言い当ててみせる。
その顔には、シズクの抱いている思いの全てを見透かしているかのような、優し気な笑みが浮かんでいた。
「安心しろ。それが正常だ。そうやって虚しさを抱くのが当たり前の事なんだよ」
「え……?」
「考えてもみろ。今回お前がやってのけた『けじめ』にしても、私がこれまで悪党たちを斬り伏せてきたのも、言わば連中によって奪われたマイナスをひとまずゼロへと戻すだけの復讐に過ぎん」
「それは違いますッ!! だって、テミスさんはその剣で沢山の人を助けて、希望を紡いできたじゃないですかッ!!」
しかし、優しさに満ち溢れた表情で告げられた言葉は、テミス自身が築いてきたものまでをも全て否定していて。
シズクは半ば反射的にテミスを振り返ると、声を荒げてテミスの告げた言葉を拒絶した。
だが。
「いいや……違わない。何故なら、私は人を助ける為に剣を振るってはいないからな。私の戦いで誰かが助かったのだと言うのなら、誰かが希望を抱いたというのなら、それはそいつらが自分で成し遂げた事さ」
テミスはシズクの肩に優しく手を置くと、涼し気な笑みを浮かべて言葉を返す。
その穏やかな表情は何処か寂し気で。同時にシズクは理解する。今、自分が如何なる言葉を重ねたところで、欠片ほどもその思いが揺らぐ事は無いのだろうと。
故に、シズクはゴクリと一つ生唾を飲み下すと、空虚だった心に灯った一つの想いに突き動かされるように口を開く。
「っ……!! だったら、私も其処へ行きます。今はまだ、テミスさんの言う事はわからないけれど。いつか必ず……辿り着いてみせますッ!!」
「…………あぁ」
そんなシズクの決意表明に、テミスは僅かに考える素振りを見せた後に、小さく頷いてみせた。
だが同時に、テミスの胸には確信があった。例えどれだけの時があろうと、シズクが自分と同じ場所へ辿り着く事は無いだろう……と。
何故なら、シズクは今回の一件に自らの手でけじめを付けた時、抱いた虚しさに恐怖したのだから。
あれ程の労力をかけて、艱難辛苦を乗り越えて手にしたものに価値を見出す事ができなかった。
その感覚は紛れも無く正しいものなのだから。今はただ、その胸を満たす恐ろしい程の空虚から逃れる術でいい……そう願って。
「さて……我々も戻るとしよう。後の始末はコスケが請け負ってくれるそうだ」
「えっ……? で、ですが……」
まるで、自らの胸中を覆い隠すように一転、明るい口調でテミスがそう告げると、シズクは戸惑いを露わにその視線を傍らへと向ける。
そこでは、大怪我を負ったユカリとトウヤが、既にジュンペイの手によって応急処置を施されていた。
「良いから。行くぞ。ホレ……さっきからずっと、カガリがお前を心配して見つめているんだ」
「っ……!! カガリ……」
「それに……。ククッ……いつまでもそんな恰好でいる訳にもいかんだろう? 諸々は後回しだ」
「ッ……!!! わ、わかりました!! い、行きましょうッ!! その……出来るだけ早く……」
それでも尚、渋るシズクにテミスが揶揄うような笑みを浮かべて、合わせていた視線をほとんど外套一枚を羽織っただけの身体へと向けてそう告げる。
すると、漸くテミスの意図に気付いたシズクは一気に顔を紅潮させた後、テミスに羽織らされた外套を固くその身に巻き付けて何度も頷いた。
「……大概だな。私も」
テミスの言葉に追い立てられるようにシズクが歩き始めると、シズクを守るようにカガリが横へと並んで歩き始める。
そんな二人の背を眺めながら、テミスは密かに皮肉気な笑みを浮かべて呟きを漏らした。
その頭上では、空を覆い尽くしていた分厚い雲が、再び音も無く粉雪を吐き出し始めていたのだった。
本日の更新で第十八章が完結となります。
この後、数話の幕間を挟んだ後に第十九章がスタートします。
ギルファーの地で傷付き倒れたテミス、ですが新たに紡いだ絆がその命を繋ぎ止めました。
使命と復讐、親愛と断絶の入り乱れる中。テミスの選択は如何なる結果をもたらすのか……?
凍り付いた北の町で起こったこの激動により、果たしてギルファーを取り巻く情勢は動き出すのでしょうか?
そして、シズクの運命や如何に……?
続きまして、ブックマークをして頂いております599名の方々、そして評価をしていただきました100名の方、ならびにセイギの味方の狂騒曲を読んでくださった皆様、いつも応援してくださりありがとうございます。
さて、次章は第十九章です。
ギルファー内部で渦巻く様々な感情の渦中へと飛び込んだテミス。
そこで彼女は何を得て、何を思ったのでしょうか?
獣人族との間に横たわる深い溝、果たしてテミスはこの動乱に如何なる決着を付けるのか? そして、この雪深き町に隠された秘密とは……?
セイギの味方の狂騒曲第19章。是非ご期待ください!
2022/07/03 棗雪




