1045話 理を破壊する者
「コスケェェェェェェエエエエエエッッッ!!!!」
突如。
絶望に泣き叫ぶ声だけが木霊する一片の救いも無い惨状の中に、雷鳴の如き叫びが響き渡った。
それは、まごう事無くテミスの声であり、その声のあまりの大きさに誰もが驚きに目を見開いている。
「退けッ!!」
「あッ……!?」
だが、そんな事など知った事かとでも言わんばかりに、テミスは自らの身体にしがみ付いたカガリを引き剥がすと、跳ね起きるようにして立ち上がり、シズクの傍らで立ち尽くすコスケへと詰め寄った。
「ッ……!! ッ……」
しかし、感情に任せてコスケへと詰め寄ったは良いものの、テミスは自らの要求を上手く伝える言葉を持ち得ていなかった。
何と言えばいい? どう伝えればシズクを、そして私自身を守る事ができる……?
けれど、身体を突き動かす程の感情に支配されたテミスの脳が妙案を紡ぎ出せるはずも無く、刻一刻と無為な時だけが過ぎていった。
その時。
「……大丈夫。その目を見れば、アタシには言わずともわかる。ジュンペイ。カガリお嬢を連れて少し離れて下さい」
「え……? ですが……」
「早くッ!!」
「ッ……!! りょ、了解ですッ!!」
コスケは小さくテミスへと微笑みかけた後、一転して厳しい表情をその顔に張り付けて指示を出す。
ともすれば、突拍子も無く聞こえるその指示に、流石のジュンペイも戸惑いを見せるが、鋭い口調でコスケが言葉を重ねると、素早く立ち上がってテミスに突き飛ばされたカガリの肩を抱いた。
「見聞や後処理等々、面倒事は万事アタシにお任せください」
「ッ……!!」
自らが言葉を発するまでもなく、急速に変化していく状況に驚愕するテミスに、コスケは静かな声でそう告げると、何処からともなく長い傘のような物を取り出して空へと掲げる。
そして、何やら手元で弄り回した後、突如として軽い爆発音のような音が鳴り響き、コスケの掲げた道具がまるで巨大な傘を開くかのように展開され、コスケとテミス、そしてシズクを覆い隠した。
「これ……は……?」
「エルトニア謹製の結界魔道具です。遮光や遮音は完璧なのですが防御面が脆い為正式採用には至らなかった一品で……っと、兎も角。コレで人の目も、会話も外へと漏れる事はありません」
「……そうか」
これこそ、まさにテミスが求めていた理想そのもので。
あまりに完璧すぎる回答を差し出されたテミスは、驚きのあまりただ短い言葉を返す事しかできず、コスケの横をすり抜けてシズクの傍らへと歩み寄る。
「……ありがとうございます」
「何がだ? むしろ、礼を言うのは私の方じゃないのか?」
「いえ……テミスさんがこうして決断して下さった事。アタシにはそれに勝る恩はありません」
「…………」
だが、コスケは至極真面目な表情で口を開くと、黙ったままシズクの側に膝を付いたテミスの背に向けて言葉を続けた。
「この結界も、テミスさんの決断に対する助力。惜しむはずも無い。ですので、どうか……」
「……約束はできん」
「はい。ですがアタシはお約束させていただきます。魔道具の性質上、アタシは席を外せません。ですから、この場で起きた事の完全な秘匿。かつ何が起ころうと、この件に関する爾後の厄介事は全てお引き受けします。そして無事、シズク嬢を救う事ができた暁には――」
「――良いから。黙って見ていろ」
「…………はい」
言葉少なに返すテミスに、コスケは表情を変える事無くつらつらと一方的に語り掛けていく。
だが、そのまるで契約文でも読み上げるかのような長い口上が終わる前に、テミスは言葉を被せてコスケを黙らせた。
今だけは、約束とか契約などどうでも良かった。
この選択が、たとえ世の理を捻じ曲げるものであったのだとしても。
私という存在が、人々の間から弾き出されてしまうのだとしても。
救う手段をこの手の内に持ちながら、妹のような存在だと認めたシズクを見殺しにするなど、どうあっても正しい事だとは思えなかった。
「……キュアル」
傷付いたシズクの身体の上に掌を翳し、テミスはボソリと呟きを漏らしながら能力を発動させる。
皮肉にも、こんな状況下でテミスが頼ったのはかつての記憶だった。
これは確か……そう、かつての生で一番ハマったと言っても過言ではないゲームの回復魔法だったはずだ。
私はこの世界における魔法の仕組みなど知る由も無い。故にこの場で術式を一から作り上げるなどという事はできない。ならば、如何なる致命傷さえも癒す事のできる魔法を、技を、記憶の底から引きずり出してくるしかない。
「駄目か……。キュアルラ……。……キュアルガッ!!!」
テミスが呪文を紡ぐ度にシズクの身体がうっすらと白く光り輝く。
しかし、全身に受けた夥しい量の傷が塞がる事は無く、シズクの身体を包んだ淡い光はその役目を果たす事無く霧散していった。
「クソッ……ならば……リザレクッ!!!」
回復魔法が効かないのならば蘇生魔法。
そう考えたテミスが再び魔法を発動させるが、発声と共にシズク体を覆い尽くした黄金色の光もまた、効果を発揮せず霧散していく。
「ふざけるな……何の為の能力だ……!! リザレラッ!!! ッ……!!! リザレガッ!!」
最後の手段である蘇生魔法すらも通じず、灼け付くような焦りを感じながらテミスは歯噛みした。
以前、フリーディアの傷を治した時には、致命傷であっても治す事ができたはずだ。
なのに……何故ッ……!!
霧散していく黄金色の光を眺めながら、再び蘇生魔法を施そうとしたテミスの脳裏にあの時の事が蘇る。
そうだ。あの時は確か私の魔力だけでなく、蘇生の呪札とかいう札があったはずッ!!
「ならばッ……!!!」
あの時の全てを……この能力で再現するッ!!
閃いた思い付きに全てを懸け、テミスはギラリと見開いた瞳を輝かせると、全霊を込めてシズクの身体に向けて力を注ぎ込んだのだった。




