1044話 避け得ぬ別離
だから厭だったんだ。親しかった者の死を看取るなど。
自らの死を目前に控え、弱々しい笑みを浮かべるシズクを前に、テミスは咄嗟に唇を噛み破って自らの身体を突き動かそうとする衝動を抑えた。
私がただ強いだけの人間であったなら、どれ程良かっただろうか。
死に逝くシズクの身体に縋り付いて涙を流し、心残す事無く送り出してやれる。
「フッ……グ……ゥゥッ……」
鋭い痛みと共に鉄臭い味が口内に広がるが、テミスは構う事無く歯を噛みしめ続ける。
そう。今の私ならば恐らく、最早死を待つ事しかできないであろうシズクでも救う事ができる……出来てしまうのだ。
だが、それは間違い無くヒトの理から外れた現象で。ここでシズクを救ってしまえば最後、ギルファーの内乱などとは比べ物にならない程の厄介事を呼び寄せる事になるだろう。
しかも、私の能力の事は、フリーディアにすら知らせていない最大の秘密なのだ。
業腹極まりないが、この忌々しい能力はこの世界で生き抜くための最後の切り札。この先も、正当なこの世界の住人として生きて行きたいのなら、ここは黙して動くべきではない。
「そんな……事は……ッ……!!!」
「シズク姉ッッ!!!」
テミスが固く拳を握り締め、血を吐くような思いで口を開いた瞬間。悲痛な叫びと共に背後からカガリが勢い良く飛び込んでくる。
しかし、カガリはこれ以上ない程に取り乱してはいたが、すんでの所で今のシズクの身体に泣き縋る事は無かった。
それ程までにシズクの身体の損傷は激しく、今もこうして意識を保っている事の方が奇跡のようなものなのだ。
「シズク姉ぇッ!! ふぐッ……ぅぁ……シズク姉ぇぇッッ!!!」
「ッ~~~~~!!!!!!!」
既に生気が失われつつあるシズクを一目見て理解したのか、シズクの名を叫ぶカガリの声に絶望と悲嘆が交じり、その瞳から止めどなく涙が溢れ始めた。
その様子はテミスの心を抉るには十分過ぎるほどで。テミスは血が滴る程に握り締めていた拳に力を籠め、堪えていた思いが溢れそうになるのを必死の思いで抑えていた。
「やだ……シズク姉を助けてよ……治して……お願いだからッ!!」
「ッ……!!! カガリ……お嬢ッ……!!」
「狐助さん!! 狐助さんならッ!!!」
「…………」
「嘘……うそだ……」
絶望に暮れながらも、縋るような弱々しい声で救いを求めるカガリを、傍らに膝を付いたジュンペイといつの間にかその後ろに立っていたコスケは悲痛な表情で見守っていた。
それは、彼等の力を以てしてもシズクを救う事はできないという何よりの証明で。
信を置いていたであろう彼等にすら突き放された形となったカガリは、涙を流しながら絶望に大きく目を見開いて息を呑む。
そんなカガリの目が、次に傍らで耐え忍ぶテミスを捉えるのは自明の理で。
最早なりふり構わないといった様子のカガリは、まるで襲い掛かるようにテミスへと飛び掛かると、その胸倉を掴んで押し倒して叫びを上げる。
「アンタ!! 強いんでしょッ!! 何とかしろよッ!! ……ッしてよ!! 姉様はアンタの事助けたじゃない!! 死にかけのアンタを何日も何日も必死で看病してッ!! 借りを返してよッ!!」
「…………」
「ふざけるなッ!! なんで姉様がッ!! 早く治してよ!! 助けてよぉッ!!!」
一方でテミスもカガリの突進を躱す程の余裕は無く、何の抵抗もできぬままに地面へと組み伏せられる。
元よりテミスを嫌っていたカガリにとって、テミスに救いを求めるのはかなりに忌避感を伴うのだろう。
それを表すように、はじめは罵声混じりの気丈な言葉ではあったが、すぐになにも返答を返さぬテミスの胸に縋り付き、駄々っ子のように泣き喚き始めた。
――もう駄目だ。耐えられない。
シズクを喪うという事実と、眼前に突き付けられた姉の理不尽な死に絶望するカガリの姿に、テミスの心が軋みをあげる。
カガリはただ、誰彼構わず必死に助けを求めているだけなのだろう。
私がシズクの命を救う手段を持っていると知っていれば、それを求めて斬りかかって来るくらいは容易にやってのけるはずだ。
それでも、あるはずの無い手段を求める声は、それを有するテミスにとっては攻め苛む声と同義で。
「…………テミスさん」
自然と込み上げてきた涙がテミスの目尻から零れた時だった。
涙で歪んだ視界の向こう。ジュンペイの背後で佇むコスケの、悲し気に絞り出すような呟きを聞いた瞬間。
ぷつり……と。
テミスの脳裏に、何かが切れる音が響いたのだった。




