94話 そこに居る意味
ファントは本日も快晴。胸のすくような青空の元、皆は健康的に笑い合い、いたって平穏に生活しております。
アリーシャに叩き起こされた後、朝食を摂ったテミスは詰め所へ向う道すがら、天を仰ぎ見ながら立ち止まった。
「どうするべき……なのだろうか……」
町を見渡せば、馴染みの肉屋や魚屋、そして八百屋が今日も威勢よく声を上げており、心なしか町行く人々も私が初めてここに来た頃より増えている気がする。
「フリーディア……」
立ち止まった足は何故か鉛のように重く、道の真ん中で不意に立ち止まったテミスを、道行く人々が不思議そうな眼差しで見つめては通り過ぎていく。
フリーディアはただの騎士ではない。魔王軍を苦しめる人間側の最強戦力であり、対魔王軍の最終兵器であると同時に王族だ。ここまで条件が揃えば、よもや普通の牢に繋ぐとは思えんが……。
「それは同時に……狙われる要因にもなり得る……か」
テミスは帽子を深くかぶり直すと、特大のため息と共に呆れを吐き出した。強大な力や権力は、それに忖度する者にも同様の加護を与える。故に、その加護を受けられない者からしてみれば、何としてもその恩恵に与りたく思い、欲深い者であれば我が物にせんと企むだろう。
「客観的に見ても、フリーディアの判断は正しい……あれ以上の戦闘継続は互いの戦力を無為に消費する消耗戦になるだけだ。それに、撤退の判断を下したのはあのしょぼくれた爺ではなかったか?」
テミスはそう口にするとゆっくりとあの戦いを思い返す。私の剣がフリーディアの剣に阻まれた後、あの指揮官らしき男は無様に逃げていったはずだ。その後、私と戦っていたフリーディアは殿を務めていた事になる。
ならば、指揮の責を放り出して逃げた奴は敵前逃亡扱いになるはずだし、残って撤退を指揮したのであれば捕縛の縄がフリーディアに向く筈がない。
「つまり……理不尽な何らかの意思が関わっている……と言う事か……」
情報の少ない現状では何とも言えないが、少なくとも私の知る限りではフリーディアが捕縛される謂れは無いはずだ。
「馬鹿が……」
テミスはそう吐き捨てると、重たい足を無理矢理動かして再び歩を進める。正しい行いをした者が蔑ろにされ、小狡い連中が得をする。あの馬鹿正直な娘が現実を知るにはいい機会だろう。
「テミス様っ! お早うございます!」
「ん」
テミスは自分に気が付くと道を譲り、敬礼と共に挨拶をする軍団の者達に生返事を返しながら、思考を続ける。
だが、馬鹿正直なアイツが損をすると言う事は、そこには悪が……自らの利の為に他者の権利を侵害するクソ野郎が居るはずだ。そんな悪を滅ぼすのが私の正義であり、この世界で為すべき事なのだが……。
「チッ……しがらみという物は厄介極まりないな……」
「テミス様。お早うございます……って、どうかされたのですか?」
「いや……何でもない。気にするな」
呟きながら執務室の戸を開けると、その言葉にマグヌスが反応する。テミスはそれをあしらうと、自らの机の上に帽子を放り出して深いため息を吐いた。
「どうぞ……」
「ん……? ああ、すまないな」
そうしていると、深い香りと共にマグヌスが横合いからコーヒーの入ったマグカップを差し出してくる。いつもならば自分で淹れるのだが、こういう所は細かな所に気が回るマグヌスの美点と言えるだろう。
「……美味い……な……」
マグヌスの淹れたコーヒーに口をつけたテミスは、息を吐きながらボソリと呟く。はじめてコイツの淹れたコーヒーを飲んだ時は吐くかと思ったが、短期間でまさかここまで成長するとは思わなかった。
「……………」
コーヒーの湯気の向こうで忙しなく働くマグヌスを眺めながら、テミスは密かに目を細めた。マグヌスもサキュドも魔王軍に籍を置く者だ。仮にあの指揮官を殺しに行くのであれば、奴等の本拠地を攻める事になり、それは魔王軍に対して損になる事はあれど利をもたらす事は無いだろう。
「なぁ……マグヌス」
「ハッ……お呼びでしょうか?」
事も無げに。テミスは視線を宙へと彷徨わせながらマグヌスの名を呼んだ。
「私が居なくても……大丈夫だろうか?」
「はっ? 何を……仰っているのですか?」
唐突に告げられた言葉に、マグヌスは立ち上がると思慮深い眼差しでテミスの顔を見つめた。
「町の体裁は整えた……書類仕事はお前達でもできるだろうし……私が居なくても、この町は回っていく……はずだ」
「っ……遠征をされるという事ですか?」
「……いや…………」
テミスはマグヌスの言葉を否定しながら、再び答えの出ない自問自答へと意識を沈めていく。どちらにしても、今回の件にマグヌス達魔王軍を巻き込む事はできない。ならば、残る選択肢は私一人で向かうか……。
「見て見ぬふりをするか……か……」
苦い顔をしながら呟いたテミスの言葉は、誰の耳にも届くことなくか細く立ち消えていった。
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