1043話 それぞれの終わり
――悔恨無間幻想呪。
彼の世界で描かれていた呪術師が用いたこの呪いは、世界に絶望して人の道を外れた呪術師を体現した呪法だった。
恐怖、後悔、怒り、恨み、妬み、痛み。ヒトが抱く全て感情を負へと変えて強制的に被呪者から引き出し、終わらぬ絶望の幻影を見せ続ける。
それはいわば、自らがこれまで歩んできた生きざま全てが牙を剥くようなもので。
この呪法をその身に受けた者は、自らの感情によって心を殺されるのだ。
「……この私が、お前のような邪知暴虐を見逃すと思ったか? そんな訳があるまい。あぁ……絶対に」
「…………」
ドサリ。と。
悪魔のようにその顔を歪めたテミスが、呟きながらセンリの顔面を掴んでいた手を離すと、支えを失ったセンリの身体が力無く石畳の上へと崩れ落ちる。
その気を失ったかのように白目を剥いたセンリの顔には、最早生気と呼べるような気配は宿っておらず、テミス達の戦いを見守る誰もが彼の死を確信した。
戦いが終わりを迎えたことにより、野次馬たちは次第に言葉を交わし始め、辺りはざわざわと騒がしくなっていく。
そんな風に丁度、張り詰めた緊張感が緩んだ瞬間だった。
「オゥアアアアアアアァァァァッッッッ!?!? き……き……貴様ッ!! なぜ生きておるッ!?!?」
突如として素っ頓狂な奇声が響き渡り、再び辺りが静まり返った。
何故なら。奇声をあげたのは、つい今しがたテミスによって斃された筈のセンリだったのだから。
「スケタカッ!! シゲキヨッ!! お主らまで……!! ま、待て……何故……何故ワシに刃を向けるッ!?」
「…………」
「ヒィィィッ!!! 止めよ!! 止せッ!! ワシらは同胞じゃろう!? お主らの無念、悲願……しかと背負うてきたではないかッ!!」
センリは人々が奇異の視線を向ける中で、必死の形相で叫びを上げながら傷付いた身体を起こすと、見えない何者かから逃げるかのように後ずさり始める。
だが無論。センリが何に怯えているかなど、テミスを含む誰にも見えてはおらず、虚空に向かって叫び続けるその姿は酷く滑稽なものだった。
「たッ……!! 確かにワシは生き残ったッ!! 同胞たちの未来の為、共に死ぬと誓ったのに生き永らえてしもうたッ!! じゃがッ!! 主らの事を忘れた日など一日たりとも……ッ!!! ヒョッ……!? ォ……ァァ……」
「フン……」
何者かへ必死で弁明を続けるセンリの身体がビクリと跳ねると、テミスは小さく鼻を鳴らしてセンリから目を背けた。
その瞳には、醜悪極まる外道を誅した愉悦は無く、ただひたすらに平坦な虚無だけが揺蕩っていた。
恐らく奴は今、自らが過去に遺してきた幻影に襲われているのだろう。我々には視えずとも、幻影が持つ刃で斬られ刺されれば、その度にセンリの心には苦痛がもたらされる。
センリはこの先、気が触れ心が死ぬその時まで、永遠にああして醜態を晒し続けるのだ。
「……完敗だよ。本当ならば、お前が己が犯した大罪を泣いて悔いる姿が見たかった」
テミスは刀を収めてそう呟くと、今も尚倒れ伏したシズクへ一心不乱に処置を続けているジュンペイの元へと足を向けた。
過去の同胞、盟友へと向けられていたその想いが、僅かにでも孫娘たちへ向けられていれば、決してこんな結末などにはならなかっただろう。
しかし、あそこまで怨讐が心の底へ強固に根ざしているのならば、奴はその理由にすら気付く事は不可能だ。
故に。これまで積み重ねてきた功績を、誇りを、信念を全て突き崩し、ただの狂人として終わりを迎える。
それがテミスに出来る精一杯の粛清であり、彼が捨てた妹分を嬲り苦しめた事への報復だった。
「……ジュンペイ。終わったぞ」
「ッ!!! テ……テミスさんッ!!! も……もう……!! とにかく急いでッ!!」
「……そうか」
虚しさにも似た感情を抱きながら、テミスはジュンペイの元へと辿り着くと、その背へ静かに声をかける。
するとすぐに、ジュンペイは焦りに満ちた声で叫ぶようにテミスを急かした。
その様子は何よりも如実にシズクの容態を表しており、その命は今にも尽きようとしていた。
だが、テミスは己を急かすジュンペイの言葉にかぶりを振ると、静かにその視線を傍らの群衆の中へと向ける。
そこには、コスケに連れられたカガリが、戦いの終結を見計らったかのようにこちらへと駆けてきていた。
「私は――」
「――アンタの意志よりもお嬢の遺志だッ!!」
「なっ……!?」
残された時間は少ない。
ならばせめて、彼女がその命を賭して守り抜いた最愛の妹と過ごすべきだ。
そう考えたテミスが身を引こうとした瞬間。ジュンペイはその目から大粒の涙を零しながら叫びを上げると、掴みかかるようにしてテミスをシズクの隣へと着かせた。
すると。
「テミ……さ……。ごめ……なさい……。また……ご……迷惑……」
「ッ……!!!」
「ど……か……カガ……妹を……」
虚空を見つめていたシズクの目が僅かに動き、うわ言のようなか細い声で言葉が紡がれる。
それはまさしく末期の言葉で。
途切れ途切れに紡がれるシズクの言葉に、テミスは雷に打たれたかのようにその身体を震わせると、固く拳を握り締めたのだった。




