1041話 誇り断つ一刀
「ッ……!! 舐め腐りよって……」
腰を落して剣を隠し、まるで抜刀術のような構えを取ったテミスを見て、センリはそう忌々し気に吐き捨てた。
先程の剣戟で開いた距離は約十メートルほど。刀を振るうセンリにとってその距離は、テミスの月光斬を潰す事のできない致命的な距離ともいえた。
だが、テミスはあえて技を放つ事無く剣を振るい、勝ち誇ったように皮肉気な笑みを浮かべて構えを変えたのだ。その事実はセンリにとって、これ以上ない程の屈辱だった。
「クク……どうした? 怖気づいたのか? 掛かって来い」
「フン……」
そんなセンリの心を見透かしたかのように、テミスは薄い笑みを浮かべると不敵に挑発を重ねた。
テミスとて、この地には侵略者として立っているのではなく、あくまでもシズクの意を汲んで手を貸しているに過ぎない。
故に、策も無くおいそれと戦う力の無い町の人々を巻き込むような大技を撃つ事はできないのだ。
幸い、このセンリという男は獣人族特有の、誉れ高き誇りといった思想の塊のような男らしい。これで怒りに呑まれて襲い掛かってくるならば、斬り伏せるのは容易いのだが。
「…………」
「ッ……!!」
しかし、センリがテミスの挑発に乗る事は無く、彼も抜き放っていた刀を腰に収め、居合の構えを取っての睨み合いへと突入した。
構えを取ったまま、すり足でゆっくりと円を描いて移動するセンリに応じて、テミスも腰を深く落とした構えのまま身体の向きを変えていく。
まさに一触触発。二人の間に迸る緊張感が周囲の空気を呑み込み、この戦いを見守る誰もが、今や固唾を呑んで見守っていた。
「クス……」
「…………」
一方。
一瞬の隙も見逃さんと言わんばかりに構えるセンリを前に、テミスは未だ不敵な笑みを浮かべていた。
大剣を下段に構えた私に対して奴は居合の構えを取った。
似通った構えから放たれる一撃。刀を扱う奴には迅さの分があり、大剣を振るう私には一撃の威力で軍配が上がる。
そう考えたからこそ、より迅く己が一撃を当てるが為に、奴はこうして隙を伺っているのだろう。
だが……甘いッ!!!
「ッ……!!!」
テミスは外套の下に隠して構えた大剣に力を注ぎ込むと、その形を一振りの刀へと変化させた。
これで同じ得物での勝負。大剣を相手にしている事を前提とし、一撃の重さよりも速度を重視したセンリの虚を突く事ができるだろう。
だが、相手は老い腐れたとはいえ、その有数の力によりこのギルファーに名を轟かせた猫宮家の先代当主。最低でも、シズクをああも一方的に蹂躙できる程の腕を有しているのだ。油断は即、命取りとなるだろう。
「…………」
「ッ……カァッ!!!」
「――ッ!!!」
緊張に満ちた数十秒が過ぎ、悠久とも感じられる濃密な時間に見守る者達が飽きを、テミス達が疲弊を感じ始めた頃だった。
突如。裂帛の気合と共にセンリが弾け飛ぶかのように前へと飛び出し、閃光の如き迅さでテミスへと斬りかかる。
テミスまでの僅かな距離を、疾駆すると同時に刀を鞘から抜き放ったセンリに対し、テミスは未だ腰を落として構えを取ったままで。
「驕ったなッ!! 人間ッ!!」
そんなテミスへ肉薄したセンリは、腰の捻りすらも刃に乗せて迅さへと変え怨讐を込めてテミスの胴を切り裂くべく白刃を振るった。
その目にも留まらぬ程の凄まじい速さは、先手を許したテミスには到底追い付けぬもので。
刀を振るうセンリは勿論。この場を見守る者で唯一二人だけ、センリの速さを視認できるユカリとトウヤですら、テミスの敗北を確信していた。
「フッ……」
「なッ……ァッ……!?」
だが次の瞬間。
ジャリィィンッ!!! と。響き渡ったのは刀を打ち合わせるけたたましい金属音だった。
大剣を握っていたはずのテミスの手にはいつの間にか漆黒の刀が握られており、テミスの身体を切り裂くべく振るわれたセンリの白刃を力強く受け止めていた。
否。それだけではない。
一度はテミスの間近まで迫っていたセンリの白刃を、テミスの黒刃がギリギリと音を響かせて押し戻し、いまやその刃はセンリの身に食い込もうとしている。
「馬鹿なッ!! 刀……じゃと……ッ!? グゥッ……しかもこの力はッ!!」
「あぁ……刀だ。お前達の得意とする得物だよ。そして……ヌンッ!!!」
「グオォォッッ……!!?」
「人間との力比べで圧される気分はどうだ? よぉく思い返すが良い。真正面からの刀と刀の鍔迫り合い。人間に……負けた記憶はあるか?」
言葉と共に、不敵な笑みを浮かべたテミスが力を籠めると、圧し負けたセンリの刀が大きく退き、遂にテミスの刃がセンリの身体に傷を付けた。
刹那。不利を察したセンリが一歩退いた時。悪魔のような笑みを浮かべたテミスは、センリへと囁きかける。
「ガッ……クッ……オォッ……!! に、人間ッ!! 風情がァッ!!!」
その囁きが、誇りを背負ったセンリに退く事を許さず、退く代わりに渾身の力を振り絞ったセンリが叫ぶと、徐々にその身体へと食い込んでいっていた黒刃が押し戻され始めた。
だが。
「非力。あまりにも非力だ」
「な……ん……ッ!!!」
テミスは渾身の力を込めたセンリの刀を受け止めながら口を開くと、ニンマリと蕩けた蝋燭のような歪んだ笑みを浮かべてみせる。
同時に、テミスは自らの刀に添えていた左手を離して見せ、残った右腕だけで鍔迫り合いを演じながら、センリの前でヒラヒラと振ってみせた。
「強さを誇るならば、その誇りは今……地に堕ちた。滑稽なものだな。吐き気がするよ」
驚愕するセンリにテミスは冷めた目でそう告げると、刀を両手でしっかりと握り、センリの刀を圧し切ってその身を切り裂いたのだった。




