1040話 幻の護り人
激しい剣戟の音が鳴り響き、打ち合わせた剣から火花が舞い踊る。
先程放たれた月光斬により、テミスの大振りな攻撃を封じざるを得なくなったセンリは、間近にまで肉薄しての超近接戦闘を強いられていた。
一方、右へ左へと跳ね回りながら襲い掛かるセンリに対してテミスは、ただ悠然と大剣を盾のように構え、センリの猛攻を防ぎ切っている。
「す……すごい……。何という戦いだ……」
「何……?」
そんな戦いを、座したまま眺めるユカリが唖然と呟きを漏らすと、彼女の傍らで目を背けていたトウヤが苛立ちめいた声をあげた。
「馬鹿を……言うな。人間……風……情……が……」
「フッ……だろう?」
だが、テミスとセンリの戦いへ視線を向けた途端、トウヤは目を大きく見開いて驚愕を露にすると、言葉を失って息を詰まらせる。
センリが放っているのは、紛れも無く猫宮の妙技。
しかもそれを繰り出しているのは、かつて数多の戦場で無数の敵、無数の武器を相手に打ち勝ってきた古豪、センリなのだ。
いくら力を得ようとたかだか人間の小娘。数秒と耐えられる訳が無いはずだ。
だが。
トウヤの眼前では、センリの手によって次々と繰り出される猫宮の技は、テミスの構えた大剣によって尽く阻まれ、傷一つ付ける事ができていない。
「何故……相手は鈍重な大剣。お爺様の速度について来られるはずが……」
「速度で敵わぬと理解しているからこそ、あの戦い方なのだろうな。外聞を逆手に取って心を縛り、守りに徹する」
「っ……!! だ、だが……ッ!! 刃欠牙はッ!? 剛の技ならば……!!」
「無駄さね。奴はお爺様の刀を刃で受けてはいない。ああも盾が如く使われてはこちらの刃が痛むだけさ。それに……」
悔し気に声を荒げるトウヤにユカリは小さく笑みを零すと、センリとテミスの戦いを食い入るように見守っている野次馬たちに視線を向けて言葉を続けた。
「剛の技は力を籠めるが故に足が遅い。使えばあの一撃が来るだろうさ。月光斬……とか言ったかな」
「クゥッ……!!」
「ふ……あまり力むと死ぬぞ? だが、こう言っては何だが私は少し嬉しい」
「フン……最後の最後で猫宮に刃を向けたお前は……な……」
「いいや……」
攻め手を緩める事ができず、苦戦するセンリを眺めれ言葉を交わしながら、ユカリはトウヤの吐き捨てるような言葉にゆっくりとかぶりを振る。
「少なくとも、今のお爺様は人々の為に戦っている。我が身を削って剣と為し、人々を護る為に戦っているんだ」
「……戯言だ」
「それでもいいさ。たとえひと時の幻でも……敵に強いられただけなのだとしても。こうしてお爺様の勇姿を目に焼き付ける事ができるのなら」
「…………」
そう言葉を返してユカリが口を噤むと、トウヤも言葉を返す事無く戦いへと視線を向けた。
このような戦い方など、猫宮のするべき戦ではない。ここに集まった群衆など、ギルファーに住む人々のほんの一部。しかも、その身を主に捧げる訳でも無い民衆だ。
ならば、民衆の一部が巻き込まれようと、苦戦を強いられてまで不利な戦局に付き合う必要は無い。
鈍重極まる一撃など、躱してしまえば容易い事。ここでお爺様が傷を負い……万に一つでも敗れてしまわれる方が、同胞たちにとっては途方も無い損失だというのに。
「クク……どうした? ご老人。息が上がってきているぞ」
「ハ……ハッ……!! クゥッ……!!!」
しかし、センリの勝利を願うトウヤが見つめる先の戦局は、徐々にテミスへと傾きつつあった。
剣の達人といえど、センリは既に老齢。その体力はかつての彼とは比べものになるべくもない。
故に、肉薄して高速で攻め続けなければならないセンリの体力が尽きるのは必定だった。
「いい加減、人気取りの政は諦めたらどうだ。他者を護るために剣を振るうなど、お前のような見下げ果てた男には似合わんぞ」
「だ……だまれィィッ!!! 貴様如きの甘言に惑わされるかァッ!! 猫宮が誇り!! 猫宮の名が廃るわッ!!」
「クス……外道め」
「ッ……!!!」
ギャリィッ!! と。
大剣を構えた影で、テミスが呟きと共に邪悪に微笑むと、ひと際大きな金属音が響き渡った。
鳴り響いたその音は、テミスの奏でた反撃の狼煙。
攻め疲れたセンリの剣速が弱まったのに合わせて大剣を振るい、カウンターの要領で弾き飛ばしたのだ。
強烈な衝撃に後退したセンリは、その隙に高々と掲げられたテミスの大剣を見て、咄嗟に横へと飛び込んで回避の動きを見せる。
だが。
「ククッ……!!」
まるで月光斬を放つが如く、鈍い風切り音と共に振り下された大剣は光を纏ってはいなかった。
放たれたのはただの斬撃。その威力により巻き起こった剣風が、身を躱したセンリの傍らを通り抜け、野次馬たちに吹き付ける。
一見すればそれは、ただ空を切ったただけの斬撃。
だが、その効果は青ざめた野次馬たちの顔を見れば一目瞭然で。
「さぁ……これで虚飾は斬り払った。次はその誇りとやらを毟り取ってやろう」
それを見たテミスはニヤリと不敵な笑みを浮かべると、バサリと外套を翻し、まるで腰に提げた刀を抜くかのように大剣を隠し構えてそう告げたのだった。




