1036話 もう一人の兄
「シ……シズッ!! シズク姉様がッ!! 姉様がぁっ!!!」
「ええいッ!! お前達に何かがあったのは判った!! その場所は何処だと聞いているんだッ!?」
店の中に泣き叫ぶ声と、それに倍する怒鳴り声がビリビリと響き渡る。
カガリがこの万事屋に転がり込んで来てもはや数分経つが、酷く錯乱した彼女はまるで縋るかのように必死で手を伸ばしながら姉の名を叫ぶだけで、一切の詳細が分からなかった。
しかし、カガリのこの取り乱し様を見れば、どれ程の危機的状況であるのかくらいはテミスにも理解できた。
故に、カガリからその詳細を聞き出したいのだが、落ち着く気配すら見せないカガリに悪戦苦闘しているのだ。
「……っ!!! クソッ!!」
そんなカガリに遂に痺れを切らしたテミスは、何度引き剥がしても自分に縋り付いてくるカガリの身を狐助へと押しやると、歯噛みをしながら勢い良く立ち上がった。
このタイミングで仕掛けてきたという事は、相手は十中八九猫宮家の連中だろう。
だが、シズク達は事が収まるまで拠点から出さないようにムネヨシへと伝えたはずだ。
「……!」
……まさか、融和派の拠点を襲撃した? いや……そんな無茶を通すのならば、こちら側の拠点に居る時に襲い掛かってくる筈だ。
高速で思考を働かせながら、テミスは再び戸口へ向けてその身を翻す。
どちらにしても、時間は無いだろう。あのトウヤとかいう奴自身が出張ってきていたとしら、下手をすればもう手遅れになっているかも知れん。
ならば、ここでカガリを宥めて透かして落ち着かせるよりも、融和派の拠点の近辺からしらみつぶしに探していった方が早い。
そう判断したテミスは、肩越しに狐助を振り返ると、カガリの身を預けるべく口を開いた。
「すまない!! 店主――」
「――道はそこのジュンペイに付いていって下さい」
「なにっ……!?」
しかし、代金を支払ってでもカガリを匿って貰おうとしたテミスの思惑は外れ、ゆっくりとした歩調でカウンターから歩み出た狐助は、静かながらも強い意志を感じさせる口調で言葉を続ける。
「アタシ達は中立だ……。いくら思い入れが強かろうと、どんな情報を仕入れていようと、表立って動く事はできない」
「お前……まさか……」
「さぁ、早く!! ジュンペイはこれから、ただ自分の店に戻るだけだ」
「えぇ……それも超特急で。ま、途中でなにやら騒動が目に留まれば、見物に寄るかもしれないけど?」
「ッ……!!! 恩に着るッ!!!」
テミスに押しやられたカガリの身を抱き寄せ、その頭を優しく撫でながら狐助がそう告げると、額から球の汗を流しながらもニヤリと不敵な笑みを浮かべたジュンペイが調子良く言葉を付け加えた。
つまるところ、彼等は初めからこちらの……シズクの味方だったのだ。
狐助とジュンペイの意を察したテミスは狐助へ向けてコクリと頷くと、その横をジュンペイが一足先に店の外へと駆け出していく。
「……テミスさんッ!!!」
「!? ……何だ?」
だが。
その背を追うべくテミスが駆け出そうと、一歩を踏み出した瞬間。
焦りを帯びた狐助の声が、テミスを呼び止めた。
こんな時、どんな言葉を告げられるかなんて事は、テミスは厭というほどに理解している。
あんなに熱心に昔話を聞かされ、腕利きの商人であろう彼がここまで骨を砕いたのだ。彼の話に出てきた姉妹が誰であるかなんて、簡単に察しが付く。
止めてくれ。私は人助けなんかをしている訳では無い。そんな想いを託されるのは御免だ。
そんな思いが沸き上がるのを捩じ伏せて、テミスは狐助の呼びかけに応えてピタリと踏み出した足を止めると、背を向けたまま静かに問いかける。
「カガリ嬢が落ち着き次第、アタシ等もすぐに後を追います。ですからどうか……シズクサンの事。よろしくお願いします」
「知らん。勝手にしろ……と言いたい所だが……。ハァ……私自身も思う所が無い訳でも無い。微力を尽くそう」
自らの身体にカガリを縋りつかせたまま、狐助は厳かな声色でそう告げると、深々とテミスの背に頭を下げた。
案の定。その言葉に込められた想いは堪らなく重く、テミスは振り返らぬままに課せられた重荷に顔を顰めると、言葉を残して駆け出していったのだった。
2022/06/20 話数修正しました




