1034話 遺されし狂気
「っ……!!!」
雌雄は決した。
シズクは地面へと倒れ伏しながら、自らが斬られたことを理解する。
けれど、上出来だというべきだろう。
途方も無い手加減をされていたとはいえ、あのお爺様を相手にここまで時間を稼ぐ事ができたのだから。
これだけの時間を足止めすれば、カガリの脚ならきっとテミスさん達の元へと辿り着く事ができるはず。
刻まれた傷の熱さがズキズキと蝕むような痛みへと変わりゆく中で、シズクは満足気に微笑んだ。
「カガリ……貴女……は……」
冷たい石畳の頬を預け、掠れる声でそう呟いた時。
「フン……」
「――ッ!!!?」
再び赤熱した棒でも差し込まれたかのような鋭い痛みがシズクの右肩を貫き、そのあまりの激痛にシズクは声なき悲鳴を漏らしながら、ビクリとその身を硬直させた。
たった今、地面に縫い留められた格好となったシズクの目がその様を捉える事はできないが、その右肩にセンリの刀が深々と突き立てられたのだ。
「……何をやり遂げたような顔をしておる?」
「あぐッ……!?」
「このワシが何の為に、お前のような出来損ないの反逆者に手心を加えていたと思うてか」
「なッ……あ゛ぁ゛ッ……!!」
ぐじゅり。と。
一言口を開くたびに、センリはシズクの肩に突き立てた刀を捏ね回し、その傷口を抉り広げる。
無論。その激痛はすさまじく、残酷にも疲れ果て、多くの血を流したせいで朦朧としていたシズクの意識を現実へと引き戻した。
「何処ぞの馬の骨に仕込まれたのかは知らぬが」
「ウッ……!!」
「緩慢極まる溜めに、まるで躱してくれと言わんばかりに単純明快な斬撃」
「ぁ……っ~~~~~!!!」
「お前が先程やろうとしたのは、技と呼ぶにも片腹痛い曲芸に過ぎん」
「ぎッ……ゥゥァッ!!」
センリは倒れ伏したシズクを刀で弄びながら、その傷口へと刷り込むように、粘つくような口調で言葉を吐きかけていく。
同時に、右肩を抉り回していた刀はその腕をゆっくりと斬り裂きながら手先の方へと進むと、手首で止まって再び突き立てられる。
「…………おおよそ、戦場に持ち出すものでは無い。謀られたのだ、お前は」
「ッ……!!!!」
新たな悲鳴が空気を揺らし、再び荒い息遣いへと変わった頃。
センリは再び悪魔のような囁きを続けると、シズクの手首から抜いた刀を振るい、脚へ向けて浅く薙いだ。
バツン……。と。腱を断つ嫌な音が周囲へと響き、また新たな鮮血がシズクの身体から零れ落ちる。
「…………」
「人間……いや、性質を見るに魔族連中か」
「違……ッ!!!」
「さぞ、嗤っていたのだろうよ。全てを棄て、曲芸に励むお前を見てな」
「そんなッ……ァァァッッッ!!!!」
右腕に続き、今度は脚へ。
サクリ、サクリと刀を突き刺しながら語るセンリに、シズクは必死で言葉を紡ごうと口を開いた。
しかし、どうあがいても口からは痛みに耐えかねて漏れる悲鳴だけで。
シズクは抗弁すら封じられた自分に焦げ付くような口惜しさを覚えるが、間を置かずして深々と突き立てられた刀の痛みに新たな悲鳴が漏れる。
「黙れ。お前には喋る事すら許さん」
「ハッ……ァ……ッ……」
「ワシら獣人族は虐げられ、蔑まれ、哂われ続けていた。人間ほどに群れる事は叶わず、魔族ほどの力を持たぬが故に」
「グッ……ゥッ……ッ!!!!」
「そんな理不尽を覆すが猫宮の技。同胞を護り、敵を切り裂く刀こそ、我等が在るべき姿であるというのにッ!!」
「ッ…………」
脚を切り裂き終われば残った左腕を、左腕を嬲り尽くすと今度は左脚へ。
センリはシズクの四肢を蹂躙しながら、怨嗟と呪いの言葉をシズクへと語り続けた。
しかし、限界を超えた苦痛に晒されたシズクには、最早新たな痛みなど感じる余裕も無く。その最後の一本である左脚がセンリに切り裂かれようと、ただビクリと身体を跳ねさせるだけになっていた。
「理解したか? 思い知ったかッ!? 己が罪を。猫宮でありながら、獣人族を裏切った業をッ!! ワシ等はお前のような唾棄すべき恩知らずの為に、この命を賭して戦った訳では断じて無いッ!!」
センリは呪詛が如く吐き出した言葉をそう締めくくると、血走った眼でシズクを睨み付ける。
そこにあったのは、途方も無い怒りと憎しみだった。
彼が生き、その長い生のなかで見て来たであろう人間への、魔族への、同胞への。
かつての戦いを生き抜くうちに積み重なった怒りと憎しみは腐れて爛れ、今や新たな時代を築かんとする者へと向けられている。
彼の背ではきっと、今も志半ばで散って逝った亡霊たちが叫んでいるのだろう。復讐を果たせと。屈辱を忘れるなと。
「ッ……ぁ……か……」
「んん? まだ口を開く程の正気を残しておったとは……」
「かわい……そう……」
「ヌゥッ……!!!?」
そんなセンリを見上げながら、シズクは辛うじて声を絞り出すと、皮肉気に口角を緩めて微笑んだ。
今なら、ほんの少しだけわかる気がする。
どうしようもなく優しいあの人が、血に塗れてまで正義を振るい続けるのかが。
憐れみもある。同情もある。尊敬もする。けれど確かに今、圧倒的な理不尽を前にしたこの胸の中に渦巻く感情に名を付けるとするのなら、気に食わない……なのだろうから。
「良かろう。四肢で足りぬというのなら応えてやる」
大きく息を吐き、センリが血走った眼で刃を振り上げるのを眺めながら、シズクはその頬に皮肉気な笑みを浮かべていたのだった。




