93話 安寧と動乱の狭間で
「ねぇっ!!! テミス起きてっ!! これってっ……!!!」
その報せがけたたましいノックと共にテミスの元へ届いたのは、カルヴァス達が司令部に殴り込んだ翌日の朝だった。
「ん~……? どうしたんだアリーシャ……やっと私の話を……」
「そんな事より!! これっ!!!」
よほど緊急の報せなのか、ガチャガチャと音を鳴らして鍵を開けたアリーシャが部屋に飛び込んでくると、手に握っていた新聞を私の前に突き付ける。普段ならば私が叩き起こされる様な報せなどごめん被るが、こうして再びアリーシャが口を利いてくれるようになるのならば、その報せには感謝するべきなのだろう。
「ん~……なになに……? 号外。白翼騎士団団長、フリーディア・フォン・ローエンシュタエン収監……だとっ!?」
ベッドから半身だけを起こし、眠気に揺れる頭で文字を読み上げたテミスは、覚醒と同時にアリーシャが突き付けていた新聞をもぎ取るようにして奪い取る。
「詳細は調査中だが、同氏は国家反逆罪等複数の罪状で、大敗を喫したラズール戦線から帰還すると同時に憲兵団の手で拘束された模様。その光景を目撃した者の話によれば、同戦線の敗北理由である撤退判断を独断で強行したのはフリーディア氏であり、この訴えを起こしたのは同戦線の総司令、ヒョードル・ランゲンハルト氏であるとの事……」
「このフリーディアさんって、前にテミスが話してくれた人の事でしょ? 向こうでできたお友達って……」
「いや、友達では……んん……まぁ、そんなものか」
テミスはアリーシャの言葉に口を濁すと、再び新聞に目を落とす。日付は約一週間前だが、ここに書かれている内容だけでは情報が足りなさ過ぎる。それに、私はもとより新聞という物は信用しない質なのだ。
「情報を得るにしても……いや……」
「……テミス?」
不安気に覗き込むアリーシャの前で、テミスは頭を悩ませた。そもそも、私とフリーディアは敵同士なのだ。敵の最大戦力であるフリーディアが謀殺されるのであれば、願ったり叶ったりではないのか……?
「いや……何でもない。知らせてくれてありがとう、アリーシャ」
「ううん。それより、その……ごめんね」
アリーシャは覗き込んでいた顔を起こすと、視線を彷徨わせながらぽつりと呟いた。
「いや……いいんだ。私が何かしてしまったのだろう? よければ、聞かせて貰えないか?」
「ううん……ううん……」
テミスはベッドから滑り降りると、優しい声色で問いかける。しかしアリーシャはまるで駄々っ子のようにイヤイヤと首を振って否定するだけで、その問いに応える事は無かった。
「……参ったな」
ついには涙を零し始めてしまったアリーシャを前に、テミスは困惑していた。何が原因かはわからないが、恐らく私がアリーシャの癇に障ってしまったのだろう。だというのに、それを謝ろうとしてもなにを謝罪すれば良いのかさえ分からないどころか、逆に謝られてしまっている。
「その……何と言うか……すまない……。情けない話だが、私は何故アリーシャを怒らせてしまったのかわからないんだ」
「むぅ……それはそれで、困るんだけど……」
結局。テミスが素直に降参すると、泣き腫らした顔を上げたアリーシャが小さく頬を膨らませる。
「本当はね、これもテミスに報せるか迷ったんだ……」
「それは、何故……?」
「ん……」
アリーシャは静かに部屋を見渡すと、物憂げな顔でゆっくりと口を開いた。
「テミス、この前の戦いでボロボロで帰ってきたでしょ?」
「ああ……」
アリーシャの言葉にテミスは静かに頷くと、まるで罪状を読み上げられる罪人の様な気持ちで続きを待った。私が傷付いて戻ってきた事と、アリーシャが怒った事に何の関係があるのだろうか。
「ボロボロのテミスを見てすごく不安になったんだ……いつかテミスが、帰ってこなくなっちゃうんじゃないかって……」
「っ……そう……だったのか……」
心中の不安を体現するかのように、左右に体を揺らしながら語るアリーシャを見てテミスは全てを理解した。マーサの言葉の真意、マグヌスやサキュド達の妙に生暖かい態度。そして……。
「心配を……かけてしまったんだな……」
テミスが俯いて呟くと、アリーシャが無言で首を縦に振る。しかし状況に反してテミスの心中には、言いようの無い歓喜が満ち溢れていた。こうして泣かせてしまったり怒らせてしまったりしている以上、口が裂けても言えないが……。
「それで……どうするの? どうせテミスの事だし、助けに行くって言うと思うけど……」
「っ……それは……」
アリーシャは不安気に揺れていた瞳から一転し、確信を持った声で問いかける。しかし、テミスはその言葉に答えを返す事は出来なかった。
「迷ってるの……?」
「……ああ」
「そっか……」
力なくベッドに腰掛けたテミスが頷くと、アリーシャは優しい笑顔を浮かべてテミスの頭を優しく撫でた。
「アリーシャ……?」
「でもね、私は知ってるよ。どんなに迷っても、悩んでも、きっとテミスは助けに行く。だから……」
アリーシャは目を見開いて見上げるテミスからゆっくりと身体を離すと、ゆっくりと扉へ向かいながら微笑みを浮かべて口を開く。
「気を付けてね。テミス」
「っ…………アリーシャ……」
確信に満ち溢れた言葉と共に閉じられた扉に、呆然と呼びかけるテミスの呟きは吸い込まれていったのだった。
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