1027話 栄華の果て
「刀夜……兄様……」
「っ……!!!」
抜き身の切っ先が向けられると、シズク達の周りで騒ぎを見物していた者達は我先にと逃げ出し、その結果シズク達は三人の眼前へと立たされる形となってしまった。
周囲では、シズク達の傍らから逃げ出したことで安堵した人々が好奇の目を向けている。
しかし、実際に切先を向けられ、刀夜達の射殺すかのごとき視線を受けるシズク達は、周囲の目を気にしている余裕など欠片たりとも無かった。
「兄……か……」
「何処へと向かわれるおつもりだったのですか? 兄様に紫姉様、そして千利お爺様まで。それに、斯様な場所で得物を抜かれるとは」
「滴ッ……!!」
「黙れ。よくぞいけしゃあしゃあと宣えたものだ。融和などと下らぬ妄想に駆られて野に下り、随分と図太くなったようだな?」
カチャリ。と。
シズク達へと向けた切っ先を微かにも揺らす事無く、トウヤは吐き捨てるように言葉を叩きつける。
一方で、シズクは傍らでガタガタと震えながら怯えるカガリを庇うように一歩前に出ると、向けられた切っ先の間近へとその身を躍らせた。
「何故……兄様がそこまでお怒りになっているかは皆目分かりません。ですが、一つだけご訂正を。我等の掲げた融和という願いは、決して下らぬ妄想などではありません」
「フン……訂正だと? 笑わせるな、この痴れ者が。自分が犯した罪すら理解できん愚図には、申し開きすら許されぬと知れッ!!」
「申し開きをする事などありません。罪を犯したと詰られる謂れもありません。兄様のご期待に沿えぬが故の憤りならば、恨み言の一つや二つ浴びせられても致し方ありません。ですが、私の思いすら否定されるというのならば話は別ですッ!!!」
叫ぶように、堂々と胸を張ってシズクは怒りの籠ったトウヤの言葉を跳ね返すと、静かに姿勢を落として戦いに備える。
しかし、備えたところで、この三人が相手では時間を稼ぐ事すらままならないだろう。
紫姉様も刀夜兄様も猫宮が誇る剣の達人。しかもその後ろには、先代の当主であるお爺様までも控えているのだ。
捨て身で切り結んだとしても、辛うじてカガリが逃げ出す隙を作る事ができれば僥倖だろう。
「…………。ハァ……滴。どうやら貴様、自分の立場というものが理解できていないらしい」
シズクがピリピリとした緊張感を発する中、刀の切っ先を向けるトウヤは小さくため息を吐くと、見下げ果てたと言わんばかりの視線と共に、うんざりと呆れた口調で口を開いた。
そんなトウヤに相対しながら、シズクは神経を集中させてトウヤの一挙手一投足に気を配っていた。
何故、こんな市井の場に兄様や姉様……そしてお爺様まで来ているのかは分からない。
けれどせめて、この場からカガリだけでも逃がす事ができればッ!!!
決死の覚悟と共に、胸の中でそう叫んだ瞬間だった。
「遅い。何もかも」
「――っ!!!?」
「刀夜ッ!?」
トン……。と。
指先で小突かれたかのような軽い衝撃が額を駆け抜けた後、シズクはチクリと僅かに痛みを覚える。
それから数瞬後。全ての感覚を身体が理解して初めて、シズクは自らが今何をされたのかを察した。
「理解したか? これがお前と俺の力の差だ。身構えずとも良い。気負わずとも良い。お前が何をした所で、俺の刀がお前の首を刎ねる方が遥かに迅い」
「ぁ……」
刀夜の冷たい言葉と共に、圧倒的な現実がシズクへと押し寄せてくる。
今はただ、刀の先で額を小突かれただけ。だからこそ、私はまだこうして生きている。
けれど、後半歩……刀夜兄様が深く踏み込んでいたら。兄様の刀は私の額を貫き、私は斬られたことすら理解出来ぬままに死んでいただろう。
「お前は罪人だ。その刀に選ばれた身の上でありながら猫宮を裏切った罪は重い」
「…………」
「ぅ……ぁ……」
「だが、家を出奔したお前では、いくら我等が呼び出そうと応ずる事はあるまい。故に、我等がこの場へと参じたのだ」
絶対的な力の差を突き付けられ、自失するシズクを冷えた眼差しで見据えながら、トウヤは淡々とした口調で言葉を紡いでいく。
その傍らでは、まるで我が身が穿たれているかのように、紫が苦し気な面持ちで唇を噛み締めながら、シズクから目を逸らしていた。
そして。
「……お爺様。御裁可を」
「ウム」
一通りの口上を述べると、トウヤは静かな言葉と共にその身を傍らに引き、シズクの前を祖父であるセンリへと譲った。
その言葉に応ずるように、センリは鷹揚に頷くと、ゆっくりとした足取りでシズクの前へと歩み出る。
「滴。我が家に伝わるその刀をお前が抜いてみせた時、ワシは歓喜した。年の離れた子だと案じておったが心優しく、我が猫宮家は安泰じゃと」
「お……爺……様……」
「篝。我が末孫は聡く、良く姉を慕っておると聞いて居った。故に刀に選ばれた滴を支え、時には背を預け合い、姉妹仲睦まじく義を果たすと思っておった」
「それ……は……」
シズク達の前へと歩み出たセンリが酷く悲し気に、そして感慨深く言葉を続けると、シズクもカガリも何も言葉を返す事ができなかった。
家族とはいえ、先代の当主。かつての動乱の中で一族を率い、今代の繁栄を築いた英雄なのだ。職務を与えられ、猫宮の家に認められたユカリやトウヤは兎も角、シズクとカガリはこうして直に言葉を交わした事など数えるほどしかない。
そんな、雲の上の人物からの思いにシズクの胸に心苦しさが芽生えた瞬間。
「それが……何たる体たらくかッ!!! この猫宮の面汚しめッ!!!」
「ッ――!!!!」
センリは一喝すると共に腰の刀を鞘ごと引き抜くと、肉を叩く痛々しい音を響かせて、目にも留まらぬ速さでシズクの太腿を打ち据えたのだった。




