1024話 妹たる矜持
一方その頃。
融和派の者達が集う屋敷の一室では、一人の姉妹が遅い起床を果たしていた。
本来ならば、二人はムネヨシが執務室へと出てくる前に控えて部屋を暖め、渋く淹れた茶を一杯用意するのが、一日の始まりを告げる仕事だ。
だが、今日は彼女たちの様子を見かねたムネヨシの計らいによって、二人には丸一日の休暇が言い渡されていた。
「ぁふ……んん……」
ゆっくりと眠りから覚めた意識の中、カガリは身を起こしながら大きな欠伸を一つ繰り出すと、身体を伸ばして僅かに残る眠気を覚ます。
その隣では、一度眠ると睡眠欲に捕らわれてしまう姉が、安らかな寝息を立てていた。
「……もうすぐお昼か」
布団から抜け出して窓を覆っていたカーテンを引くと、カガリは襲ってきた眩しさに思わず目を細める。陽は未だ天頂までは昇り切ってはいないものの、いつも起床する時刻がとうに過ぎ去っている事は理解できた。
思えば、こうしてしっかりと休みを貰うのなんていつぶりの事だろう。
あいつがこの町に現れてからは騒動続きで休む暇なんて無かった。あの戦いを終えてあいつの側で働くようになってからは、仕事としてはある程度楽にはなったものの、こういった完全な自由時間は割り振られなかった。
「自由……とは言っても……だけどね」
カガリは皮肉気に頬を歪めて言葉を零すと、背後で眠りこける姉の姿を振り返る。
ムネヨシ様は確かに、今日一日のお休みを下さった。だけど、あくまでもそれは自分達に割り振られた仕事が無いというだけの事。
あいつの元から放り出されたあの日、ムネヨシ様に告げられたこの融和派の屋敷から出てはいけないという命令は有効であるはずだ。
つまるところ、この屋敷の中に居る限りは、今日一日自由に何をしていても良いというだけで。
「それじゃあ……何の意味も無いッ!!」
ぎしり。と。
カガリは悔し気に歯を食いしばると、噛み締められた歯の隙間から唸り声のように言葉を漏らした。
とても口惜しい事ではあるが、シズク姉様の心はいまだ憎きあいつの傍らにあるらしい。
あの日以来、ムネヨシ様の傍らで仕事をしているというのにずっと上の空だし、なによりその目が腐った魚のように生気を宿していない。
責任感の強いシズク姉様の事だ。どうせ、ずっと自分の何があいつの気に障ったのかとかを考えて、自分を責め続けているに違いないだろう。
そんなシズク姉様に何もせず閉じこもっていろなんて、拷問にも等しい仕打ちでは無いかッ!!
「…………。ハァ……。凄く癪だけど」
窓を背にしたカガリは、自らの胸の内に沸き上がるやり場のない感情を握り潰すかのように固く拳を握ると、部屋の中に彷徨わせていた視線をシズクへと向ける。
時々自分でも、何をやっているのかと呆れ果てる時がある。
私はあいつを決して赦しはしない。傲岸不遜で何を考えているかもわからないような正真正銘の狂人だ。この手で今すぐ殺してやりたいと思うほどに憎くて憎くてたまらない。
けれど、きっと今のシズク姉様を笑顔にできるのは、あの憎くてたまらない狂人だけなのだろう。
「ハァ……あ~あ……。ホント……馬鹿だなぁ……私……」
今にも泣きだしてしまいそうな程に弱々しい声で自らの無力を嘆きながら、カガリは滲む視界にシズクを捉え続けた。
私は弱い。この世界の誰よりもシズク姉様の事を想っているのに、私ではシズク姉様の心を癒す事ができない。
こんなにも悔しいことがあるだろうか。誰よりも大切で、誰よりも大好きな人が苦しんでいるのに、私はただその傍らで支える事しかできないなんて。
「……でも」
でも、それでシズク姉様が笑ってくれるのなら。
またあの幸せそうな笑顔を見る事ができるのなら。私は悪魔にだって喜んでこの魂を売り渡す。
ならば、私がやるべき事は一つだけ。
あいつがシズク姉様を再び側に置きたくなるように、シズク姉様が手柄を立てるのを手伝うんだ。
そうすればきっと、またシズク姉様は笑ってくれるから。
「シズク姉。起きて。もうお昼前だよ?」
「……ん。ぅ……? カガリ……? おはよぉ……ごじゃいまふ……」
「シズク姉。しっかり起きて!」
「ぅぁ……あああ……!!! 起きた……起きましたぁ……ッ!!」
カガリはそう心を決めてから静かに布団の側へと歩み寄ると、早速シズクを起こしにかかる。
けれど少々声をかけた程度では、どっぷりと深い眠りに浸かっている姉の意識は戻って来ないらしく、その身体を抱き上げてガクガクと前後に揺らしてやった。
すると、漸く意識がはっきりとしたらしく、可愛らしい悲鳴と共に姉様の身体に力が戻る。
「おはよう。シズク姉。ほら、早く身支度をしてッ!! 出かけますよ!」
「え……!? で、ですが……」
「いいから早く! いつまでもこうして籠ってばかりじゃ気が滅入るばかりでしょうっ!! 折角のお休みなんだから、気分転換しないと!」
「ぁ……」
意識がしっかりと睡魔から逃れたのを確認してから、カガリはシズクから手を離すと、優し気な笑みを浮かべて勢い良くそう告げたのだった。




