1023話 万事屋は語る
全ての事柄において、知られていないという事は、これ以上ない程の強みだ。
殺人。傷害。窃盗。強姦。罪の名は数多あれど、それはどれも他者を殺したという行いが、他人を傷付けたという行動が、余人から盗みを働いたという事実が、他者を襲ったという証明があってはじめて罪と成る。
即ち、絶対不変の正義であるはずの法を以てしても、誰にも知られる事が無ければその罪科を裁く事はできないのだ。
無論。それは戦いの場においても同じで。例え味方がたった数名の手勢しか居なかったとしても、敵がその事実を知ることが無ければ、幾千幾万の大軍にすら化けさせる事はできる。
「……止めておこう。忠告感謝する」
「いえ……賢明な判断かと」
迅速に敵方の情報を得る事と、自分達の情報が相手に渡る事。テミスは僅かな沈黙の間にその二つを秤にかけ、答えを導き出した。
現状では猫宮家の戦力は未知数。だが、ギルファーの主戦力を有する過激派の中核を担っている連中だと考えれば、決して少なくないと考えるのが妥当だろう。
ならば、わざわざこちらが寡兵であるという事実を敵方に教えてやる必要もあるまい。
「だとすると……参ったな。あと思い付く買い物としては土産程度しか思い付かん」
「でしたら、コチラなど如何でしょう?」
「ン……?」
「煎餅ですよ。エモン通りに軒を連ねる菓子屋の一品なので品質はアタシが保障します。お安くしておきますヨ?」
「ククッ……」
そう判断したテミスが言葉を零すと、声色を元の明るいものへと戻した狐助が、陽気な売り文句と共にガサガサという音を鳴らしながら大きな紙袋を開いてみせる。
そこには、綺麗なきつね色に焼き上がった大量の煎餅が詰まっており、テミスは急に緩んだ空気に耐え切れず笑みを漏らした。
これは完全に私見ではあるが、オヴィムが熱い茶を啜りながら煎餅を齧っている姿が容易に思い浮かぶ。
「良いな。それと……フフッ。あと茶葉も貰おうか」
「畏まりました。そちらも丁度、エモン印の最高級品の玉露がお安くお出しできます」
「ではそれにしよう。流石は万事屋を名乗るだけある。もしかして、この辺りの店で門前払いをされたとしても、ここへ来れば手に入るのではないか?」
「ンフフ……そいつはいくら積まれてもお売りできない情報ですねぇ。アタシも一応、このエモン通りの一員なので」
「クス……それもそうか」
自らの注文を聞き、カウンターの裏で品物の準備をしている狐助と会話を交わしながら、テミスは久方振りに穏やかな心で笑みを浮かべた。
思えば、シズク達をムネヨシの元へと送って以降、ずっと気を張り続けていた気がする。
ここで茶と煎餅を手に入れる事ができたのも何かの縁。土産にかこつけて、一度肩の力を抜くべきだろう。
「所でテミスさん……。っとぉ……お名前でお呼びしても?」
「あぁ、構わん。私のねぐらからかなり離れているから足繁く通う事は出来んが、用入りの時は訊ねさせて貰う」
「それは嬉しい。ありがとうございます。もしも火急の事でしたら、ジュンペイの店でアタシに繋ぐよう申し付けて下さい。体面上関わりはありませんが、ウチの支店ですので」
「っ……!! ハハ……私はねぐらとしか言わなかったはずなのだがな……」
「おぉっとこれは失敬。たぶん、もしかして、なんとなぁ~く……お近くかと思いまして」
テミスは砕けた口調で狐助との談笑に花を咲かせながらも、彼が時折覗かせる底の知れない実力に舌を巻いていた。
今はこうしておどけてはいるものの、彼の持つ力はきっと途方も無く大きなものなのだろう。方々に根を張り巡らせ、縁を紡いで力と成す。それは武力を以て戦う者よりも遥かに強力な力だ。
「さて……ならば次はどんな話を聞かせてくれるんだ? ファントやロンヴァルディアの内情が出て来たとしてももう驚かんぞ?」
「いえいえまさか。これはアタシの失敗談といいますか……ほんの昔話なんですけどね」
「ほぅ……?」
狐助はテミスの注文した品を紙袋にまとめてカウンターの上へと置くと、へらりと軽薄な笑みを浮かべて意味深に前置きをする。
そんな狐助の語りに興味をそそられたテミスは、続きを促すべくコクリと頷いて視線を向けた。
「こんな稼業だとたまに……所縁のある方から子守りを任される事もありましてね」
「子守り……? あぁ……ククッ……なるほど。確かに、万の事を掲げる以上、断る事はできまい」
「えぇ、あの子たちもアタシによく懐いてくれていました。ですがある日、アタシがどうしても外せない用がありまして。少々危険な案件でしたので、店をジュンペイに任せて、その子たちにも店のお手伝いを頼んだんです」
「巧いやり方だな。役を与えて行動を縛る。ン……? だが、先程は失敗談だと――」
かつて、この店の一角で広がっていたであろう微笑ましい情景を思い浮かべ、テミスは小さな笑みと共に相槌を打つ。
しかし一瞬、既視感が胸を過ったと同時に、先程狐助が語った前置きを思い出した。
そうだ。このままでは失敗談でも何でもない、ただの思い出話だ。
だとするなら……。
「――はい。当時はアタシも青かった。……こっそりと付いて来ちゃったんですよ。その子たち。アタシの手伝いをする為に。子供なりに良かれと思って、アタシの役に立とうと」
「っ……!!! そ……それで……?」
テミスの言葉に、狐助は笑みを深めて頷くと話を続ける。
そしてその続きはテミスが寸前に察した通り、おおよそ最悪に近いもので。
そんな昔話に、テミスは何故か背筋に強烈な危機感を覚えながら、ゴクリと生唾を飲み下したのだった。




