1022話 狭間に立つ者
「万の……事……ッ!?」
「えぇ……」
楽し気に語った店主の言葉に、テミスはゴクリと息を呑むと、気圧されたかのように一歩後ずさった。
そして、一拍遅れて違和感に気が付く。
私はまだ、この店主に名乗ってはいない。それどころか、目深に被ったこの外套すら脱いではいないのだ。
だというのに何故……この男は私が外から来た者だと知っていた……?
「そう。万の事。御覧の通りウチに有るのは、子供向けのお菓子から茶器、そして武器防具に至るまでの万の品々……。そして、古今東西を駆け巡る数々の情報。形在るものから形無きものまで、万の事を扱う店。故に万事屋です」
「っ……!!!」
だが、戦慄するテミスの事などお構いなしに、店主は歌うように声高に口上を述べながら、動かしていた身振り手振りが奇妙な踊りのように次第に大きくなっていく。
しかし、一瞬で警戒心を煽られたテミスは、ただ身構えて店主の出方を待つ事しかできず、張り詰めた空気をその身に纏っていた。
「……ですから、そう警戒せずとも大丈夫です。元・魔王軍第十三軍団長にして融和都市ファントの守護者テミスさん。アナタの事は既に知っています。アタシは全てを知ったうえで、アナタというお客人を歓迎しています」
一方で、店主は相も変わらずつかみどころのない態度で、クスリと人の良い笑みを零してみせると、テミスの素性を並べ立てて口上を締めくくった。
けれどその言葉の通り、正確なテミスの素性を論った今でも、テミスをこの店から叩き出そうという意識は微塵も感じられなかった。
「…………。そうか。ならばわざわざ顔を隠す意味も無いな」
「えぇ。ですが、一応外套は羽織ったままの方がよろしいかと。こんなですがウチも店ですので」
「承知した」
長い沈黙の後、テミスが言葉と共にフードを下し、外套を脱ぐべく首元に手をかけると、店主が静やかな口調で口を挟んだ。
その言い回し商人らしく婉曲極まるものだったが、つまるところ他の客が来た時には正体を隠せ……という意味なのだろう。
無論。テミスとしても無駄な因縁を吹っかけられる事が避けられるのならば好都合な訳で。コクリと小さく頷くと、店主の忠告を受け入れてフードを脱ぐに留めた。
「そういう事ならば、改めて名乗ろう。私の名はテミス。今は故あってこの国の融和派に手を貸している者だ」
「これはこれは……どうもご丁寧に。アタシの名は狐助。見ての通りしがない万事屋の店主をしている者です。どうぞ……御贔屓に」
そして、素顔を晒したテミスが真っ直ぐに店主を見据えて名乗りを上げると、店主もまたテミスの口上に合わせて名乗りを上げる。
けれど、その身に纏う怪し気な雰囲気は相変わらずで。こうして相対して言葉を交わして尚、テミスは狐助が今は敵ではないという事しか分からなかった。
「それで……何をお求めで…‥?」
「フム……」
キラリと光る鋭い眼光と共に改めて問われ、テミスは小さく息を吐いて考えを巡らせた。
この店に巡り合ったのはただの偶然だ。しかし、事前に情報を仕入れていただけではなく、一目見ただけで私をテミスであると見抜いた以上、この店は掲げた口上に偽りは無いだろう。
ならば、目下の敵である猫宮家の狙いや所在、その戦力など……仕入れておきたい情報は山のようにある。
「猫宮家に関する情報が欲しい」
「ほぉ……?」
「細かな事でも構わん。出来る限り詳細にだ」
「なるほど……ウチは確かにその情報をお売りする事はできます。ですが、アタシ個人としてはあまりお勧めは出来ません」
「なに……?」
考え抜いたテミスが静かな声でそう告げると、狐助は深く頷いた後、意味深な笑みを浮かべながら首を振ってみせた。
その予想外の返答に首を傾げるテミスに、狐助はピンと人差し指を一本立ててみせると、静やかな声で言葉を続ける。
「一見サンだ。今後も御贔屓にして下さると信じてご奉仕しましょう。いいですか? アタシはただの万事屋です。アナタの敵でも味方でもない」
「そうだろうな」
「ハイ。そんなアタシが中立を保つ為にできる事は、直接争いに関与しない事デス。ですが、アナタがこの情報をお求めになった場合均衡は崩れる」
「……!!! そういう事か」
穏やかな口調で紡がれた狐助の説明を皆まで聞く前に、テミスは彼が言わんとしている事を理解して息を呑んだ。
彼はこちらの味方でも敵でも無い。そして、今私が猫宮家の情報を買ったとしても、そのスタンスが崩れる事は無いだろう。
それはつまり……。
「えぇ。アナタが猫宮家の情報をお求めになられればなられただけ、アタシは猫宮家に求められれば同じだけアナタ方の情報をお売りする事になります。さて……如何しますか?」
答えに辿り着いたテミスが緊張に身を振るわせる前で、狐助はあえて全ての説明を語り終えると、鋭い眼光をテミスへ向けながら、ドスの利いた低い声でそう問いかけたのだった。




