1014話 最善の決別
「失礼します。テミス様、お二人をお連れしました」
兵士に用件を申し付けたテミスが、自らの部屋へと戻ってから数十分後。
テミスが机に向かって腰を据え、一枚の大きな紙の上に筆を走らせていると、軽快なノックの音と共に静かな声が響いてくる。
「あぁ……入ってくれ。三人ともだ」
「は……? はいッ!」
「どうかしたのですか? こうしてわざわざ私達を呼び出すなんて珍しいですね?」
「…………」
その声に返答を返すと音も無く部屋の戸が開かれ、二人を呼び出すように告げた兵士に連れられたシズクとカガリが姿を現した。
だが、伝令を申し付けられた兵は自らも招き入れられるとは思っていなかったのだろう、一瞬だけ驚きの感情を露にすると、緊張した面持ちで部屋の中へと足を踏み入れた。
その背後では、シズクが柔らかな笑みを浮かべて首を傾げている傍らで、隣に並んだカガリは無表情にテミスの方を見据えている。
「まぁ……な……。ひとまずそこへ座ってくれ」
「……? わかりました」
そんな、いつもと変わらないシズク達の態度に、テミスはズキリと心が痛むのを感じながら、小さな笑みを浮かべて自らの前を示す。
テミスの言葉に従い、素直に自分の示した位置へと腰掛けるシズク達を眺めると同時に、今にも叫び出してしまいそうな程の感情を抑え込んでいた。
今の私は、きちんと微笑を浮かべる事ができていただろうか? 声が上ずってはいなかったか? 彼女たちに向けた手が震えてはいなかっただろうか?
それでも尚。テミスは途端に押し寄せてくる恐怖や、目の前にそびえ立つ苦難から逃げ出してしまいたいという思いを飲み下し、緊張で固くなった喉を無理やりこじ開けて口を開く。
「まずは……っと。お前にはこれを渡す」
テミスは辛うじて絞り出したかのように平坦な声で口火を切ると、手元で筆を走らせていた紙を巻き取った後、蝋封を施してから兵士へ向けて差し出した。
「お前……名前は?」
「ハッ……!! アヤ……と申します。市井の出故、家名はありません」
「ん……。ではアヤ。この書簡を直接ムネヨシへ届けろ。最重要だ。中身を覗く事は勿論、他者の手を介するを禁ずる」
「……謹んで承ります」
アヤと名乗った兵士は正座で腰を下ろしたまま、器用に音も無く前へと進み出ると、深々と頭を下げて恭しくテミスの手から書簡を受け取った。
その姿を、カガリは興味が無さそうに、シズクは何処か感慨深げな面持ちで視線を向けている。
「さて、次……だな。アヤ、退がらなくて構わない。そのまま、シズクとカガリの後ろに同席して居ろ」
「しょ、承知いたしました!!」
この時がついに来た。
ドクドクと脈を打つ心臓の鼓動を感じながら、テミスは受け取った書簡を震える手で懐へと仕舞うアヤへと言葉をかける。
本来であるならば、アヤには席を外させるべきなのかもしれない。
だが、アヤにはムネヨシへの事情を説明した書簡を持たせたのだ。恐らくはこの後、シズク達と融和派の拠点まで道を同じくするだろう。
ならば、事情を知っておく必要があるし、何より第三者をこの場に置く事で、私自身が指揮官としての仮面を保つ事ができる。
「何か……重要な事なのですね?」
「あぁ。決して避けては通れぬ大切な事だ」
ムネヨシへ宛てた書簡と、自分達が呼び出されたことから何かを察したのだろう。
その表情を真剣なものへと変えたシズクが、静かな声で問いかけてくる。
しかし、今だけはそのひたむきな態度が、テミスの心を苛んでいた。
だが、テミスは密かに歯を食いしばると、心を奮い立たせて静かに口を開く。
「…………。私、テミスの名の下に、シズク、カガリ両名に課された任を解く。両名は即座に融和派頭目であるムネヨシの元へと赴き、追って沙汰を待て。以上」
「なっ……!?」
「ッ……!!」
しばらくの沈黙の後。
意を決したテミスは大きく息を吸い込むと、努めて冷たい声色で二人へと命令を下す。
それは、これまでテミスに力を貸してきた二人にとって、唐突に突き付けられた解雇通告に他ならないもので。
テミスが言葉を紡ぎ終わると、シズクもカガリも驚愕の表情を浮かべて絶句していた。
そして。
「ま、待って下さいッ!! どういう事ですか!? 私、何かしてしまいましたかッ!?」
「命令に変更は無い。質問も許さん」
「…………」
「そんなッ……!! なんでッ……!! 急にこんなッ……!!」
「……シズク姉。行こう」
「嫌ですッ!! 教えてくださいテミスさん!! 私の何が悪かったのですか!? 何か気に障る事をしてしまいしたかッ!?」
「ッ~~~~!!!! 質問は許さんと言ったはずだッ!! さっさと行けェッ!!」
「っ……!!!!」
「シズク様ッ……!」
告げられた命令の意味を飲み下したシズクが叫ぶように問いを重ねる。
しかし、テミスが態度を変える事は無く、終いには耐えかねたかのように怒声を叩きつけると、大仰な手ぶりと共に甲高い叫びを上げた。
すると、弾かれたように立ち上がったカガリとアヤが、テミスへ掴みかからんばかりに身を乗り出そうとするシズクの身を捕らえて後ずさる。
「あ……待って! 話をッ……!! お願いしますッ!! テミスさんッ!!」
「…………」
「……薄情者が」
そしてそのまま、シズクは半ばカガリとアヤに引きずり出されるようにして部屋の外へと連れ出された。
同時に、閉められていく扉の隙間から、冷たい視線と共にカガリが吐き捨てるように言葉を残していく。
「………………。何とでも……言うが良いさ……ッ!! 私には、こうするしか……できんッ!!!!」
シズク達が部屋から立ち去った後。
テミスは取り乱したシズクの叫び声が次第に小さく、遠くなっていくのを確認すると、握り締めた血の滲む拳を机の上へと叩きつけた。
そして、崩れ落ちるように力無く拳の上へと額を乗せると、肩を震わせながら血を吐くような呟きを零したのだった。




