1011話 すれ違う思惑
「猫宮が仕掛けてくるぞ」
トウヤとの密談の後。テミスは拠点に帰るや否や、作業に勤しむ面々に向かって言い放った。
だが、状況を呑み込めてなど居るはずも無いシズク達は、ただ呆気にとられた表情を浮かべるばかりで。
コツコツと足音を鳴らしながら、設置されたばかりの作戦卓へと歩み寄っていくテミスを、ただ視線で追う事しかできなかった。
「あ、あの……。猫宮っていうと、あの……」
驚きと困惑に満ちた沈黙の中。意外にも最初に我を取り戻したのはアルスリードだった。
律儀にも片手を上げ、テミスの前へと進み出たアルスリードは、酷く気まずそうに視線をチラチラとシズクの方へと泳がせながら言葉を続ける。
「あぁ。シズク達の生家だな」
「っ……!! となると過激派の連中もか? 厄介だな……見ての通り、こちらの態勢はまだ整っておらんぞ」
「それはまだわからん。奴が如何なる手を講じてくるか……。故に、最悪の場合を見積もって動く必要がある」
アルスリードの問いにテミスが答えると、続いて驚愕の衝撃から抜け出したオヴィムが話を進めた。
だが、他に居合わせたギルファー出身の者達の顔色は悪く、血の気が失せているものさえも見受けられる。
しかしそれも無理は無い話だろう。
実際に相対してこの肌で感じ、初めて理解した。
流石はギルファーが誇る名家といった所か……少々頭が足りないとはいえ、アレは正真正銘の化け物だ。
「……慎重だな。だが、儂も賛成だ。問題は、お主がどちらの最悪を想定しているか……だが」
「クク……決まっているではないか」
静かに言葉を紡ぐオヴィムに、テミスはニヤリと頬を歪めて喉を鳴らすと、まるでこの場の全員を威圧するかのように睨み回してから、大きく息を吸い込んで口を開いた。
「折角こうして橋頭保が築けつつあるんだ。一つしかあるまい? ファントから兵を招集して連中を攻め滅ぼす」
「っ……!!!!」
「ムゥッ……」
朗々と言い放たれたテミスの言葉に、部屋の中の空気がピシリと緊張感を帯びる。
同時に、そんな歯に衣着せぬテミスの物言いをするテミスへ視線を向けながら、オヴィムは頭を押さえながら唸り声を漏らした。
だが、その反応も無理は無い話で。
猫宮家との争いに備えてファントから兵を呼び込めば、それは既に侵略と同義だ。如何なる理由を並べようと過激派の介入は避けられないだろうし、事と次第によっては融和派もテミス達の敵に回らざるを得ないだろう。
そして、猫宮家を含むギルファーの最大勢力でもある過激派を攻め滅ぼすという事は、ギルファーという国自体の屋台骨が揺らぐという事で。
しかも、その戦いが彼等獣人族の町であるギルファーで行われるのだ。
「……本気で……言っているのですか?」
「あぁ」
「っ……!! 待って下さい!! そもそも、何故こんなにも急にそんな話になっているのですか!? 当面は互いに様子見……ムネヨシ様もそう仰っていたはずです!!」
「クス……お前達融和派が私という切り札を引っ張り出してきたように、連中も猫宮家という切り札を切ってきただけさ。それにどうやら、連中は我等ファントを御所望らしい」
「なっ……!!」
震えながら声を荒げるシズクに、テミスは涼やかな笑みを浮かべて事も無げに答えを並べ立てていく。
「馬鹿な!! あり得ません!! 猫宮家は代々お国に仕え、お国を護るのがお役目! 祖国の危機に……国を治める上様方の命も無しに侵攻を企むなど、絶対にありえません!!」
「そう思うならば勝手にしろ。だが、私に服従か死の二択を問うとはそういう意味だ。悪いがこちらも護るべきものはあるのでな。ギルファーとファントを天秤にかけるのならば迷う事は無い」
「でっ……ですがっ……!!」
そう冷淡に告げるテミスにシズクが言葉を詰まらせると、テミスは静かにその視線を彼女から逸らした。
今述べた事は全て事実だ。
大国であるロンヴァルディアに精強を誇る魔王軍、そしてそんな魔王軍と長年鎬を削り続けるエルトニア。これらに比べて新興の都市であるファントなど、彼等にとっては攻めるに易く映るのだろう。
ここで食い止められないのならば結果は同じ。ならば攻め込まれるよりも先に、争いの種火ごと消し去ってしまうべきなのだ。
ならば……。
「――ウム!! そこまで」
「っ……!?」
一抹の口惜しさと共に、テミスがファントにとって最善の策を選ぼうとした時だった。
突如として、部屋中に音が響き渡る程の強さで手を打ち鳴らしたオヴィムが、大きく頷きながら声をあげる。
「テミスよ。それはあくまでも最悪の場合なのだろう? そう皆を脅す事もあるまい」
「…………。フッ……それもそうか。無論の事、最終手段の話だ」
「ウム。だが、対策を取らぬという訳にもいくまい。幸いにも荷は運び終えておるのだ。まずは一つづつ、早急にこの拠点の補修を終えてしまおう。詳しい話はそれからだ」
そんなオヴィムの意図を察したテミスが僅かな逡巡の後、クスリと笑みを浮かべて同意すると、部屋の中に漂っていた絶望的なまでの空気が軽くなる。
そして、オヴィムは密かにテミスへ向けて笑みを浮かべると、再び手を打ち鳴らして朗らかな声で号令をかけたのだった。




