1010話 無血交叉
話にならん。
それが、テミスがトウヤへと下した最後の結論だった。
確かに、ファントの町から戦果を遠ざけるという一点のみを考えるのであれば、一考の余地はあったかもしれない。
だがそれ以前に、他者を憚ることなく自分こそが最強であり、世界を意のままに従える者であるという態度が、何よりテミスの悋気をくすぐっていた。
「安心したよ。シズクに何を吹き込んだのかは知らないが、アレも一応は猫宮に名を連ねる者なんだ。弁えて貰わねば困る」
「…………」
「俺達とて何も他種族を皆殺しにしたいわけではない。本来在るべき姿への回帰……卑劣にも奪い去られた版図を取り戻すのみ」
しかし、トウヤはテミスが氷のように冷ややかな視線を浴びせているのにも気付く事は無く、熱の籠った口調でひたすらに演説を続けている。
ある意味では、この男の言い分は正しいのだろう。
獣人族の持つ力を考えれば、こんな寂れた北の果てに押し込められているのが不当だという考えに至るのは一理ある。
だがそれでも、このトウヤの抱いた志は、世の広さを知らぬ戯言だと断言できる。
事実。いくら強者を擁していたとしても、魔王軍やエルトニアは元より、ファントやロンヴァルディアでも今のギルファーに敗れる事は無い。
それに加えて、今は人魔の融和が進みつつある時期だ。そんな折に兵を挙げれば、いずれの国を狙ったとて、ファントと縁のあるフリーディアやギルティア黙したまま座するなどあり得ない。
「……御高説どうも。そんな大志を抱くお前に、私から一つ教訓たる言葉を贈ろう」
「ほぅ……? では、激励として受け取ろうか」
「クス……激励ときたか。だが、まぁいい。煌びやかな栄光や勝利に見惚れるのは結構だが、驕る者がそれを手にした事は一度として無いぞ?」
「っ……!! 肝に銘じよう。そうだな……まずは足元から。征く先よりもまずは、確りとこの国を治めねば」
「…………」
テミスはありったけの皮肉を込めてトウヤにそう告げるが、当の本人は本当に助言として受け取ったらしく、真面目腐って何度も頷いていた。
最早、何を言って聞かせたところで無駄。
瞬時にそう判断したテミスは小さくため息を吐くと、早急にトウヤの前から立ち去るべく歩き始めた。
だが。
「待ってくれ!!」
「――っ!?」
「……っと、すまない。だが話はまだ終わってはいない。妹の――滴の事だ」
トウヤは歩き去ろうとするテミスの肩を素早く掴んで引き留めると、至極真面目な表情で言葉を続けた。
その一方で、テミスは半ば反射的にトウヤの手を振り払うと、内に秘めていた警戒心をむき出しにしてその身を翻す。
躱す事ができなかった。
テミスはトウヤに向き合って身構えたまま、たった今起こった出来事を思い返す。
今の私にとって、この男はいつ斬り合いになっても不思議ではない敵なのだ。故に虚を突かれた訳でも、油断をしていた訳でも無い。
だというのに、この男はいとも容易く私の肩を掴んでみせたのだ。
「――つまるところ、俺が思うに滴は君に心酔している。だからこそ、その口から家へ戻るように告げて欲しいんだ。我等は敵ではない、互いに認め合った仲なのだと」
「…………」
眼前では、延々としゃべり続けていたらしいトウヤが何やら得意気な笑みを浮かべていたが、彼の言葉に耳を傾けるほどの余裕は今のテミスには無かった。
もしも、いま奴が私を斬るべく刀を振るっていたら……?
殺気が無かったから気が付く事ができなかった。今のはただ肩を掴まれただけ、刀を振るえば自ずと奏でられる風切り音があれば、交わすのは容易かった。
言い訳を考えるのならば幾らでも並べる事はできる。
だが、敵を前に自らを偽る事がいかに危険であるか……。テミスはそれを嫌というほど熟知している。
ならば、想定すべきは最悪の事態。つまり、このトウヤという男は、迅さか……はたまた全く別の何かか。何かしらの手段を以て、相手に気取られずに行動する技を持っていると見るべきだ。
「……? どうした? そんなに警戒して……。あぁ……いきなり肩を掴んだ事は謝罪しよう。いくら呼び止める為とはいえ無作法であった」
「いや……」
「戦いに身を置いてきた所為か、どうにも癖が抜けなくてね。だが……どうだ? 初めて猫宮の技を見た感想は?」
「フッ……クク……。私への用事とは、そういう事か」
ニヤリ。と。
挑発するように涼やかな笑みを浮かべたトウヤを、テミスは喉を鳴らして笑いながら鋭い視線で睨み付けた。
つまるところは宣戦布告。
身勝手極まる聞くに堪えない口上も、全てはこのための茶番に過ぎなかったのだろう。
「漸く理解したようで何よりだ。お前の剣は幾ばくか俺の耳にも届いている。よって、この交叉を以て対等とさせて貰う」
「やれやれ……面倒な話だ」
「……用件は済んだ。次に相見える時は死か服従か。シズク共々答えを用意しておくのだな」
「フン……ならば今日の所だけは、平和な交叉という事にしておくか」
一転して冷ややかな口調で言い放つトウヤに、テミスはクルリと背を向けて歩き出すと、その目に確かな怒りの炎を燃やしながら、皮肉気に頬を歪めて嘯いたのだった。




