1007話 静かなる戦い
朝。テミスは扉の向こうから響いてくる声に目を覚ますと、ムクリと布団から身を起こして目を擦る。
今日も今日とて、ここをキチンとした拠点と化すための作業が始まったらしい。
「くぁ……ぁ……」
どんどんと増していく賑やかさに耳を傾けながら、テミスは大欠伸を一つ浮かべると、自らの膝の上に掛かっている掛布団を撫でた。
シズクたちの手によって拠点の改修が進むにつれて、テミス達の生活は目に見えて向上していった。
まず、一番大きな変化といえば寝具だろう。
驚く事にこの拠点に用意されていた布団は、テミスが使用していた一組のみだった。
それも、重症であったテミスの為にムネヨシが急ぎ調達した品であり、一般兵舎の予備として備蓄されていたものだったらしい。
後から思い返してみれば、私を見張る為に同室している者達が休む時は毛布にくるまっていただけだった気がする。
「相変わらず……なめらかで心地の良い……魔性の手触りだ」
ともすれば、二度寝へと引き込まれてしまいそうになる心を奮い立たせ、テミスは掛布団からずるりと抜け出して呟きを漏らした。
曰く、この布団一つとっても最高級品らしく、これと同じものがオヴィム達にも用意されていると考えると、改めてシズクがやってのけた事の規模が見て取れた。
「さて……と。動くとしたらそろそろ……か?」
テミスは眠気の残る頭で身支度を整えながら、ゆっくりと思考を巡らせてひとりごちる。
融和派の拠点に物資が届いた時点で、その異常は即座に過激派の連中へ伝えられたとみるべきだろう。加えてここ連日、シズクやカガリをはじめとする隠密の連中が、ここと融和派の連中の拠点との往復を繰り返したのだ。
隠密たちの腕を信じるならばこちらの大まかな位置を、慎重を期すならばこの建物の存在が露見していると考えるべきだ。
兎も角、融和派に届いた物資をどこかしらへと運び込んでいるという事実は、外から出も容易に観測し得る訳で。
「いつもならば、こちらの腹は探られたとて毛ほども痛くは無いが、今回はそうでもないからな。いかに対処すべきか……」
カチャリ。カチャリ。と。
自らが床に伏して居る間に繕った装備を身に纏うと、テミスは不敵な笑みを浮かべて自らの思考を口走る。
新たな服は、以前身に着けていた軍服というよりは、どちらかというと冒険者に寄せた装いのつもりだ。
それでも、素材の関係で色は暗色系に纏まってはいるが、防寒対策を施した箇所は、モフモフと温かい純白の毛皮があしらわれている。
尤も、デザインとしては以前のものから装飾を取り払い、代わりに防具と防寒対策を施したに過ぎないのだが。
「シズクにカガリにアルスリード……そしてこの私の存在。どう取り繕おうと急所であることに変わりは無い」
最後に、胸部と腹部に軽鎧のような軽い防具を取り付け、着替える作業を終えたテミスは、そのまま壁へと寄り掛かって思考に耽り続けた。
シズクの報告が正しければ、猫宮家はシズクとカガリを連れ戻そうと必死のようだ。
一端の親としては、国が動乱の坩堝となったのならば、娘を手元に置いておきたいと思うのが道理だろうが、どうやら彼女たちの場合は少し事情が違うらしい。
「ただの親子喧嘩や家族の騒動ならば、余程の事が無い限りは静観するつもりではあったが……」
事がこう大きく動いてしまっては、それも難しいやもしれない。
もしも、融和派と敵対する猫宮家が、シズク達の周りにいる私たちを排除すべく刃を向けてきたとしたら?
連中にとって私は、幾人もの同胞を屠った憎きに仇だろう。そのうえ、連中が異様に敵視する人間なのだ。シズク達の件を抜きにしても、恨みを向けられる理由は山ほどある。
ただでさえ少ない頭数で、復旧と警戒を同時にこなさなくてはならないのが辛い所ではあるが、敵の動きが見えない今は慎重を期して損は無い筈だ。
「……ならばひとつ、こちらから探りを入れてみるとするか」
そう呟いてテミスは身を預けていた壁から背を離すと、部屋の隅……床の間のような造りの場所に立て掛けていた愛用の大剣を背負い、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
そして最後に、シズクから贈られた外套をバサリと音を立てて羽織ると、ゆっくりとした足取りで仮宿の自室を後にしたのだった。




