1006話 憧れの場所
斯くして、テミス達が留まる拠点の修復作業は急ピッチで進められ、それはテミスやオヴィムをも目を見張るような速度であった。
一階には、大きな作戦卓が食卓を兼ねて設えられ、ボロボロに朽ちかけていたカウンターも既に本来の姿を取り戻している。
そして、最大の問題点でもあった資材の輸送役を担ったのはムネヨシ旗下のシズクが率いる隠密部隊で。
ムネヨシ曰く情報の流出も最小限に抑えられたという。
「これは……驚いたな……」
「はい……凄いです」
「…………」
その迅速かつ正確な仕事ぶりは、テミス達が手を出す余地すら介在しない程で。できる事といえば、ただ邪魔にならぬように部屋の隅で簡単の声を漏らしながら作業を眺めている事くらいだった。
「あの……すみません」
「…………」
「む……? 如何なされた?」
そんなテミスたちの元へ、一人の兵が歩み寄って声をかけると、不機嫌な面持ちを醸し出して口を噤むテミスに代わり、にこやかな笑みを浮かべたオヴィムがそれに応じる。
無論。その兵士に背中にもその体躯に倍する程に膨らんだ荷を背負っており、それを苦にする様子も無く語り掛けてくる様子は、彼女たちの地力の高さを垣間見させた。
「新たな布団などはどちらへ運び込みましょうか? シズク様からは二階としか聞かされていませんでしたので……」
「なんと。布団まで……有難い。では、一組は大部屋に残りは――」
「――逆だオヴィム」
「ヌッ……!? しかし……」
しかし、嬉しそうに声を弾ませたオヴィムが指示を口にすると、その傍らから顔をのぞかせたテミスが強引に口を挟んだ。
「あの大部屋はお前達で使え。シズク達がどうするかは知らんがな」
「待て待て……ここはいわばお前の為の拠点では無いのか? ならば主たるもの相応の部屋に居て貰わんと、助太刀をする身としては肩身が狭い」
「ククッ……それは問題無い」
困惑するオヴィムの言葉に、テミスはニヤリと笑みを浮かべると、作業に勤しむ兵達を尻目に部屋の片隅へと歩を進める。
この時、テミスの心中には確信に似た自信に満ちていた。
見た限りこの建物の造りは、この世界に広く普及している宿屋の形態を取っている。
ならば、二階に連なる客室の他にも、必ずあるべき部屋が存在するはずで。
テミスは不思議そうに首を傾げる面々を引き連れてカウンターの近くまで移動すると、一枚の扉を背にクルリと身体を反転させて口を開いた。
「私は……ここだ」
「ム……? そこは確か、唯一鍵が掛かっていて立ち入れぬ場所だと記憶しているが?」
「そうだな。おまけにこの頑丈な屋内に護られていたお陰で風雪に晒される事も無く、古びてはいるが朽ちてはいない。だが……」
そう語りながら、テミスは浮かべた笑みを不敵に歪め、ユラリと肩を揺らすと同時に再びその身を翻す。
直後。
ドゴォンッ!!! と。
極めて破壊的な轟音が建物中に響き渡り、真っ二つに割れた扉が軋みをあげて奥へと倒れ込む。
その前には、轟音を響かせた元凶であるテミスが、雷光の如く鋭く蹴りを放ったままの格好で脚を持ち上げていた。
「何の音ですかッ!? って……!!」
「お主……なんと無茶苦茶な……」
衝撃と共に響き渡った爆音に即座に駆け付けたシズクが硬直し、一部始終を眺めていたオヴィムが呆れ顔でテミスを見つめる。
だが、そのような事はテミスとって些末極まりない事で。
テミスは自らの予測の是非を確かめる為に、密かに胸を高鳴らせながら、蹴破ったとの奥へと足を踏み入れた。
予測が正しければここは恐らく、店の主が起居する為の区画が広がっているはずで。
そこはテミスにとって、ある種の憧れに近い感情を抱かせる聖域でもあるのだ。
「おぉ……!! やはりッ……!!」
そして、もうもうと立ち込める舞い上がった埃が晴れると同時に、中を覗き込んだテミスは感嘆の声をあげる。
そこに秘されていたのは、紛れも無い生活区画で。
奥へと続く廊下の傍らから僅かに覗く室内は、一切の家具が取り払われて殺風景極まりないものの、ほとんどテミスが思い描いていた通りの光景が広がっていた。
「フッ……主と言うならば、ここだろう?」
「一理ある……とは言えるが……」
「……僕の偏見かもしれませんが、給仕さんや使用人といった印象が強いです」
「それに一階ですから、防御の面からも不安が残るかと」
「……シズク様に同意します」
開けた扉の向こうを指し示して、得意気な顔を浮かべたテミスがそう告げるが、苦虫を噛み潰したような表情で言葉を濁したオヴィム以外からは、辛口極まる意見が返ってくるばかりだった。
しかし一方でテミスとしても、この部屋を使う譲れない理由がある。
おそらくこれは、マーサたちと共に長くを過ごした私しか気づいていない事実だろう。
それは音だ。この部屋を陣取れば、二階で起居する者達の機微に気付く事ができるし、広間となっている食堂部分を通って上階へ上がろうとする者にも対処できるのだ。
即ち、それはそのまま、テミスが誰にも知られず抜け出すには、この部屋で起居する他無い事を意味する。
「全て問題無い。計算の上だ。異論は認めん。そもそも、私が侵入するならば正面よりもまず崩れた屋根に登るがな?」
「っ……!! それは……そう……ですが……」
「フム……やはり掃除をする必要はありそうだな……」
故に。テミスは半ば無理矢理にシズク達を言いくるめると、周囲をまじまじと見回しながら、どこかウキウキと弾んだ歩調で破壊した戸の奥へと進んでいったのだった。




