1005話 大改修は突然に
テミスがシズクに稽古を付けるようになってから数日後。
この日は珍しく、朝早くからテミスを含めた全員が、拠点の中をバタバタと動き回っていた。
「テミスさん? もう隠していないですね?」
「っ……!! も……勿論だとも!! これで最後……だ!!」
「……本当ですか? これでもう、かれこれ三回目の最後なのですが」
「そんなあちらこちらに隠し果せるものか!! それより、時間はどうなんだッ!?」
「もう十分に押していますよ。今頃ムネヨシ様が対応して下さっている事でしょう」
時には嘆き、時には焦りと共に、テミスは全速力で荷物をまとめながら思い知っていた。
突然飛び込んで来る大仕事ほど、厄介極まりないものは無いと。
そう。全ては、唐突に伝えられた一つの報せから始まったのだ。
「シズク宛ての荷物が、大量に届いた……らしいのだが」
テミスが心地よい睡眠から叩き起こされた時、既に呼び出されていたシズクと、それに随伴したカガリは拠点には居らず、困り顔を浮かべたオヴィムだけだった。
だが勿論。伝え聞いた程度の情報だけでは、テミスが二度寝への誘惑を断ち切る事などできるはずもなく、この時はただ一言、そうかと言葉を返しただけで再び布団へと没したのだ。
全てはこれが間違いだった。
「荷馬車に……五台……?」
その後、拠点へと戻ったシズク達から聞かされた詳細は、テミスを強烈に蝕む睡眠欲さえも易々と吹き飛ばした。
曰く、石材に補修材、魔石や家具等。以前テミスが指示を出し、シズクが注文したこの廃墟同然の拠点を、まともな拠点として運用する為の資材が到着したと言う。
だが当然、存在を秘匿するべきこの拠点にそんな大量の資材をまとめて運び込む事などできる訳も無い。
つまりこれから、融和派の拠点に運び込まれた大量の物資を、気の遠くなる程の回数を往復して回収しなければならないのだ。
「ハァ……」
「ため息を吐かないでください!!」
「あぁ……そうだな。ため息を吐いた所で何も解決などしない」
改めて現状を噛み締めたテミスは、自らがまとめた荷物を階下へと運びつつ、傍らのシズクをチラリと盗み見た。
テミスの抱いた素直な感想は、まさかシズクの『買い物』がここまで剛毅なものだとは思わなかった。だ。
シズクとカガリがこのギルファーでの名門、猫宮家の出であることは聞かされていた。
しかし食糧や衣服など、家から逃れた時に叩き込まれたらしい生きる上で必要な日用品の調達の知識以外のものが、その時点で止まっているなど誰が想像するだろうか。
「なぁ……シズク? 一つ訊いても良いか?」
「何ですか?」
「お前の家には、まだ多くの兄弟姉妹たちが居るんだよな?」
「はい。カガリが末娘、その上が私なので、正確には姉と兄たちですが」
「例えばそいつらに……そうだな……外套や食糧などの旅支度を任せたらどうすると思う?」
「姉様たちにですか? ふむ……恐らくですが、懇意の店主か家に出入りの者に任せて終わりかと」
「あぁ……そうか……」
テミスの質問に瞬きをしながらシズクが答えると、テミスは顔いっぱいに苦笑いを浮かべて力無く頷いた。
同時に、胸の中にせり上がってくる理不尽な怒りを、ただ必死で飲み下す事しかできなかった。
常識とは、あくまでも個人の視点に過ぎないのだ。
これは全て、私の油断が招いた失態だ。いくら王族に名を連ねるフリーディアの金銭感覚がまともであったからといって、他の国の名家に名を連ねるシズクのソレが同じである保障にはならない。
フリーディアの金銭感覚や常識がテミス達のものと近しかったのは、彼女の一片を形作る並外れた勉強の賜物なのかもしれないのだから。
「……ひとまず、なんとか形を付けなくては。この際多少の露見には目を瞑ろう」
階下に設えられているキッチンの隅へと荷物を固めたテミスは、力無く呟きながら即座に踵を返すシズクの背を絶望的な心持ちで見送っていた。
ここはあくまでも一時的な拠点なのだ。最悪ここは投棄して、新たな廃墟を探して移っても良い。もしくは、補強で防御力やセキュリティを強化するという手もあるだろう。
「なぁ……シズクよ……」
それでも尚耐え切れず、テミスは去り行くシズクの背に向けて、決して聞こえない程に小さな声で、力無く語り掛けたのだった。
「お前ほどに真面目で、真っ直ぐな奴が……。普通の買い物も教わったのなら、どうして他の物も同じだと気付く事ができなかったんだ……?」




