999話 義父と子と……
時は夕刻。
相も変わらず厚い雲に覆われ続けているギルファーの空が、微かに紅へと染まった頃。
テミス達一行は拠点としている廃墟の前へと辿り着いていた。その先頭では、テミスが僅かに身体を傾がせながら歩いており、その後ろを両手いっぱいに荷物を抱えたオヴィムとアルスリードが続いている。
「漸く到着か……存外に時間がかかってしまったな」
「お主がそれを言うか……」
「あはは……」
傾いだ扉を潜り、荒れた建物の中へと歩を進めたテミスが、小さく息を吐きながら言葉を漏らすと、後に続いた二人はただ苦笑を浮かべる事しかできなかった。
それもその筈。融和派の拠点からアルスリードを連れ出した後、テミス達は大急ぎで駆け付けてきたオヴィムに合流すると、今度はテミスの目的地である商店へと向かったのだが……。
「何を言うか。どれも必要なものばかりだ」
「ううむ……しかし……」
「これ程の量。一体、何処に隠そうというのだ? 彼女たちとて馬鹿では無い。早々隠し果せるとは思えんぞ」
「それに……お話を聞いた限りでは調味料だけでも十分なのでは?」
「ククッ……つまりはそういう事さ」
アルスリードの問いかけに、テミスは階段を一段上ってからユラリと振り返ると、喉を鳴らして不敵な笑みを浮かべてみせる。
そう。なにもテミスとて自らの欲求の為だけにこの隠れ家を抜け出し、山の荷物を抱える程の買い物をしてきた訳では無い。
飯を美味くする為の調味料や、小腹を満たす干し肉の類など部屋の枕元や布団の中に十二分に隠せる。
それよりも本命は、安静という名の退屈を紛らわせるための物資にある。
「ハァ……全く……お主という奴は……。だからこんな物まで?」
「あぁ。たまには年頃の少女らしく、裁縫にでも励もうかとな」
「ン……ゴホッ……!! フッ……それにしては、魔獣の革や蒼鋼絹糸とちと素材が武骨だがな」
「……? オヴィム。どういう事ですか? 説明を」
皮肉と冗談を込めてテミスが言葉を続けると、オヴィムは唐突に何かを堪えるかのように噎せ返った後、ニヤリと微笑んで言葉を返した。
だがその一方で、アルスリードは不思議そうに小首を傾げるばかりで。テミスが発した冗談の意味も理解していないようだった。
「……アルス様。テミスは元より隠すつもりなど無いのですよ。調味料の類は兎も角、ですが」
「んん……? ですが、それでは外出した事が露見してしまうのでは?」
「あぁ……それはですな……うぅむ……」
「フハッ……!!」
ゆっくりとした足取りで階段を上りながら、テミスは背後で繰り広げられる微笑ましいやり取りに堪え切れず噴き出した。
真正面から問われた純朴な問いに狼狽える様……あのオヴィムが、まるで慣れぬ父親のようでは無いか。かつて剣を合わせた際、テミスに死すら覚悟させたほどに勇猛な男であるなど、この姿からは欠片も想像ができない。
「ハハハッ……!! オヴィムよ。可愛がるのは結構だが、少々純粋過ぎるのではないか?」
「ッ……!! 何を言うか!! アルス様は我が仕えるべき主なのだ!! 思慮深く、ただしその志は曲がる事は無い……真っ直ぐに成長していらっしゃる!!」
「だ・か・ら……言っているんだ。この手の手練手管、知らんと使わんのでは大きく違う。純粋無垢に育ったが故に外道を知らず、騙され貶められる……お前なら知っているはずだが?」
「だがッ――!!」
テミスは腹を抱えてひとしきり笑った後、今度はオヴィムへ意地の悪い笑みを向けて口を開く。
これは重症だ。まるで父親なんてものではない……最早、息子に溺愛する父親そのもの、最愛の孫を無限に甘やかす好々爺ではないか。
ならば、ここはひとつ……。
「いいか? アルスリード。よく聞け。これは一種の交渉のようなものさ」
「交渉……ですか?」
「ッ――!! テミスッ!! お主!!」
「馬鹿親は黙っていろ。そう……アルスリード、お前がここに居る時点で、少なくとも私かオヴィムがここを離れたのは露見する。わかるな?」
「は、はい!!」
階段を上り終え、後は部屋まで一直線の廊下を残すのみとなったテミスは、クルリと身を翻すと、顔いっぱいにニヤリと笑みを広げてアルスリードに語りかける。
途中、オヴィムが口を挟もうとするが、たった一言で切って捨てて黙らせ、興味津々といった様子でテミスへと視線を向けるアルスリードに説明を続けた。
「いくら怒ろうと、やってしまった事は仕方が無い。どうせ同じ外出を咎められるというのなら、いっそ目一杯やってしまうべきだろう?」
「ッ……!! なるほどッ……!!」
「――テミス」
「っ……と……わかったからそう怖い顔をするな。だが、あくまでもこれはもののついでだ」
クスクスと、まるで悪戯でも教え込むかのように笑いながら語るテミスに、オヴィムが低い声でその名を呼んで釘を刺す。
言葉の上ではあくまでも、いっそ開き直るべきだとでもいう悪しき教えだが、実のところはそうでもない。
必要最低限の出費、出血で最も大きな利益や戦果を生み出す為に、避けては通れない考え方だといえるだろう。
「……要するに、ですアルス様。テミスはアルス様をここへ招くのを隠れ蓑に、色々と謀を企んだという事です」
結果、痺れを切らしたオヴィムが、テミスが説明を続ける前に口を挟んで結論付けてしまう。
オヴィムの親心としては、このような企みとは無縁に育って欲しいところなのだろう。
「ククッ……そうとも言う……なァ……?」
「……アルス様はお主のような捻くれ者とは違うのだ。彼女たちが戻る前にさっさと床に着く準備をするんだな」
「わかりましたよ。お義父様?」
「ッ~~~~!!!! 止さぬか! お主に言われると寒気がするわッ!!」
「ハハハハハハッ……!!」
故に。テミスは自分を悪役にする事で小奇麗に話を収めた代償といわんばかりに、皮肉をたっぷりと込めた言葉を言い残すと、身震いをするオヴィムを尻目に笑いながら布団へと向かったのだった。




