994話 因縁の地
一方その頃。
テミスから拠点の補修材などの調達を任されたシズク達は、目的の店を目指して町を歩いていた。
しかし、周囲の景色は賑やかで華々しい雰囲気の中心部とは異なり、何処か厳かで周囲を包む空気にも気品が漂っているようにも思える。
見れば、周囲を歩む人々の身なりも良く、通りに軒を連ねている店々も風格を兼ね備えている。
「あの……シズク……?」
「どうしましたか?」
そんな中を悠然と歩くシズクに、随伴するカガリは不安を隠せず袖を引いてその名を呼んだ。
けれど、当のシズクは何故カガリが不安気なのかすら見当も付かないようで、カガリを振り返りながら小首を傾げていた。
「何故……こんな所に?」
「何故って……決まっているでしょう。あの人に頼まれた物を買う為じゃないですか」
「ううん。それはわかってる。でも、わざわざエモン通りの方まで来なくても……」
「何を馬鹿な事を。あの方に頼まれたものだからこそ間違いの無いものを……です。私はこの辺りの店以上に良い品を扱う店を知りませんから」
「そうはいっても……」
だが、カガリの心配など意に介さぬかのように、シズクは堂々と胸を張ってその問いに答える。
エモン通り。ギルファーの王城の裾に位置する区画の総称で、ここには古くから王に仕える貴族の一家や、彼等が扱うに相応しい店が軒を連ねている。
つまるところ、他の国で言う所の貴族街なのだが、カガリの憂慮には大きな理由があった。
「大丈夫ですよ。昔の……家の馴染みとはいえ店は店、お客はお客です。お金を出すのなら問題はありません」
「そうは言うけどッ……!! こんな所を歩いてもしも、家の者達と出会いでもしたらどうするの?」
「その点も心配ないですよ。なんだかんだといってもギルファーは大きな町です。ちょっと買い物をしに顔を出す程度では、きっと顔を合わせる事なんて無いです」
しかし、シズクはカガリの言葉を聞き入れる事は無く、目的の店を目指して迷う事の無い足取りで進んでいく。
けれど、シズクの後ろを歩くカガリには、その膝が僅かに震えているのが見えていて。
姉が努めて気丈に、明るく振舞っているのは丸わかりだった。
「ッ……」
それを見て、カガリは唇を噛み締めると、油断なく周囲へと視線を走らせる。
カガリの憂慮。それは、シズク達の身の上だった。
ネコミヤ・シズク。ネコミヤ・カガリ。二人の産まれた家は、古くからギルファーに仕える名家の一角だった。
無論。将来は優秀な将になるべく、シズク達は多くの兄弟たちと共に幼い頃から、厳しいながらも質の良い修行を施されていた。
そんな猫宮家が、今回の騒動で取った立場は酷く排他的かつ過激なもので。
それに猛然と反発したシズクは厳格な父や祖父、兄姉たちと大喧嘩の末に家を飛び出し、そのまま当時の上官であったムネヨシの元へと転がり込んだのだ。
かくいうカガリも、当時の上官が融和的な立場を取っていたため、姉を連れ戻すように家から命を受けていたのだが。
「……なんでこんな事に」
ボソリ。と。
シズクの背を追いながら、カガリは小さく口の中で嘆きを呟いた。
命を受けたは良いものの、あの騒動から私は猫宮の家に戻っていない。
恐らくは私も、シズクと同じで家を裏切ったと見做されているはずだ。
しかし、今となってはそれも間違いの無い事実で。だからこそ、カガリには強大な力を持つ猫宮の家に真っ向から反発して飛び出したシズク程に強い覚悟は無く、今もこうして恐怖と緊張に押し潰されそうになっているのだ。
「もしも……」
もしも、こんな所に居るのを見付かって家に連れ戻されてしまったら。
考えないようにしようと思えば思うほど、不安と恐怖はかつてのあの光景を鮮明に思い出してしまう。
屋敷の中に響く悲鳴と怒声。そして、何かが壊れる音。障子を突き破り、血を流して庭を転げながらも、頑として意思を曲げないシズク。
優しくて大好きな姉が、家の恥だ。忠義無き痴れ者だと散々に罵倒される中、自分はただ怯えてそれを傍らから見ている事しかできなくて。
あの時、この胸の深々と刻まれた後悔は、今もなお残っている。
けれど。
「曲げる気が無いのなら、急ぐわよ。さっさと早く買い物を済ませて、見付かる前に戻らなきゃッ!」
「ふふっ……。カガリ、ありがとうございます」
カガリは今にも吹き出しそうになる恐怖を呑み込むと、足を速めてシズクに肩を並べてそう告げる。
そんなカガリの震える手に、シズクはクスリと笑みを浮かべて手を添えると、柔らかな例の言葉と共に優しく握り締めたのだった。




