987話 いざ、潜入の時
「それで? 連れ出すにしても、アルスリードがこの建物の何処に居るかはわかっているのか?」
「っ……!! いや……」
テミス達は融和派の者達が拠点としている屋敷の前に場所を移すと、それとなく視線を屋敷へと向けて様子を探りながら言葉を交わす。
こうして見た感じでは様々な意匠の服に身を包んだ人の出入りも激しく、中に潜り込むのは容易に思える。だが、各所に配置された妙にその場から動かない者の存在をテミスの目は捕らえていた。
この分ならば警備は上々。過激派の連中が潜り込もうとしても骨が折れる事だろう。
「ハァ……ならば、預けた者との連絡手段は?」
「拠点に居る者に訊ねろ……と聞いている」
「……だろうな。策は?」
「ム……どういう意味だ?」
つまるところ、何一つ計画など無いのだろう。
そもそも、融和派の者達にとってオヴィムは敵ではない。ならば、オヴィムが保護する子供であるアルスリードを訊ねる際に、本来は正規の手段以外など必要は無いはずだ。
だが、事が今に至っては話が違う。
今、オヴィムは秘された拠点でテミスの看病を、負傷をしたテミスは傷の療養をしていなければならないのだ。
故に。ここに居るはずの無い二人に、正規の手段は使う事ができない。
実直なオヴィムの事だ、味方である融和派を欺く必要など無いと思っているのだろう。
「ハッ……そんな事だろうと思った。ここにはムネヨシもあの薬師も居るだろう。忘れたのか? 我々は今、ここに居てはならぬ者なのだ」
「っ……!!」
「ククッ……そういう訳だ。ここは私に任せて貰おう」
それだけ告げると、テミスはゆらりと外套を揺らして、ゆっくりと融和派の屋敷へ向けて歩き始めた。
だが、即座に伸びたオヴィムの手がテミスの肩を掴んで止める。
「待て……!! 儂から離れるなと――」
「――馬鹿が。これは潜入任務だ。二人で向かう必要は無い」
「ならば儂が向かう。お主はここで待っておれ」
「こんな所で……か?」
「ッ……!」
瞬間。肩を掴まれたテミスは抗う事無くピタリと足を止め、静かな声でオヴィムの反論に淡々と応じていく。
そして、テミスはニヤリと意地の悪い笑みを浮かべると、意味深に語気を強めて広い通りの向こうを顎で示す。
そこでは、相も変わらず一部の町の者達がテミス達へと視線を注いでおり、テミスが一人この場に残れば、ここが融和派の拠点の目と鼻の先とはいえ、ひと悶着が起こるのは確実だった。
「フッ……それに、お前はその体格だ。潜入するにはちと目立ち過ぎる」
「だが……」
「そう心配するな。間違っても融和派の拠点の中だ。外で立ち尽くしているよりは安全だろうよ」
微笑んだテミスが言葉を重ねる度に、その肩を掴んで留める手の力は緩んでいく。
それは、オヴィムの心が揺れ動いている何よりの証左であり、テミスが一人で向かうのが最も安全であるとオヴィムも考えている証明であった。
「任せておけ。アルスリードを確保できなくとも、一度三十分で戻る。戻らねばその時がお前の役目だ」
「……承知した。くれぐれも気を付けるのだぞ?」
「あぁ。わかっているさ」
オヴィムの忠告を背に受けながら、テミスはするりと肩を掴む手から逃れると、目深に外套を被ったまま融和派の建物へ向かって近付いていく。
その身を案ずるように渋い表情を浮かべてテミスの背を見送るオヴィムに対して、外套に隠されたテミスの表情はニンマリと意地の悪い笑みを浮かべていた。
そう。この任務では、決して誰にも見つからぬように気を付けなければならない。
ムネヨシ達は元より一兵卒にも、何処の誰から情報が洩れて、シズク達の耳に届くかわからないのだから。
「美味い食事の為だ。ここは少々気張るとするかね」
ゴキリ。と。
テミスは外套を被ったまま一つ首を鳴らすと、ゆらゆらと覚束ない足取りで多くの人々が融和派の拠点に出入りする人混みの中にその身を投じた。
無論。小柄とはいえ外套で身を隠した怪し気な人影を、各所に配されていた衛兵が見逃しているはずも無く、彼等もまた人混みの中をかき分けてゆっくりとテミスが飛び込んだ辺りへと近付いていく。
一方、衛兵たちが行き交う人の流れを歪め、せき止めたせいでテミスが紛れ込んだ辺りの人々は足を止め、不満気な表情を浮かべている。
しかし。
数分の時間が過ぎても大取物が行われる事は無く、首を傾げた衛兵が伝令に走る傍らで、人の流れは再び正常を取り戻したのだった。




