986話 燻る種火
町が活気付いている。
数日を経て町の空気に触れたテミスが抱いたのは、そんなありきたりな感想だった。
貧困街は基本的に、その町に住む住人たちからは嫌われる性質にある。
だが、それも無理は無い話だ。町の人々にとって彼等は自らの安全と財産を脅かす危険な集団であり、かつこの町においては憎むべき異種族たちの集まりでもあるのだ。
ならば、過激派の連中がこれを討滅する為に動いたとなれば、世論が沸き立つのも無理は無い事だろう。
しかし……。
「少し……危険だな……」
「フッ……気付くのが早いな。流石の慧眼と言うべきか」
「下手な世辞は止せ。この程度少し気の付く奴なら誰でも判るさ」
そんな町の中をアルスリードの保護されている融和派の拠点を目指して歩きながら、テミスとオヴィムは声を潜めて言葉を交した。
活気付く。一口にそう言い表しても、その方向性は幾つも存在する。
テミスの治めるファントの町ように、人々が活発に交流し、共に笑い、飯を食い、時には諍う。そんな健全な活気の付き方もあれば、今のギルファーのように、肌を刺すようなピリピリとした緊張感と、近く起こるであろう争いの気配に昂った、危険を孕んだ者もあるのだ。
「クク……確かに、今の私が一人で出歩くには少々厳しいらしい」
テミスは目深に被った外套の隙間から周囲に視線を走らせると、怪し気な風体をした自分達へ向けられるギラギラと熱を帯びた視線に笑みを漏らした。
誰も彼もが戦いの熱に中てられ、さして戦う力の無い者達までもが血気に逸っている。
行き場の無い熱を持て余した彼等の前を、彼等の目からすれば小さい体躯をし、外套で正体を隠す怪し気な者が通りすがれば、容易にその矛先が向くのは想像に難くない。
「馬鹿な連中だ。臨検でも不意打ちでも、自らに正義があると確信するのならば、気兼ねせず襲い掛かってくればいいものを」
「ハァ……誰も彼もが、そうお前さんみたいに割り切れるものでは無かろうよ」
「何を寝惚けた事を……。つまるところ連中がやっている事は盗賊となんら変わりがないでは無いか。町の中で自らよりも弱そうな、勝てそうな奴を物色して牙を剥く。だろう?」
「負けるとわかって戦に飛び込む輩はそうそう居るまいて」
「フン……我が身可愛さに見て見ぬ振りか。自らの都合で出したり引っ込めたりと、連中が偉そうに掲げる大義とやらは随分と便利なものだ……」
穏やかに応えるオヴィムに対して、テミスは内心の苛立ちを吐き捨てるように呟きを漏らした。
結局の所、どんな言葉で着飾ろうと、彼等の中にあるのは損得勘定なのだ。
今ならば、あの怪し気な人影が獣人族に連なる者で無ければ、家も職も持たぬ浮浪者であれば、大義を楯に叩きのめして全てを奪い支配したところで、文句を言う者など一人としていないだろう。
故に、こうしてオヴィムという明確な強さを醸し出す大男が側に居るだけで、彼等が大義を掲げて動く事は無い。
「その点は同感だ。尤も、そういった心意気や信念を武人でも戦士でもない者に求めては酷かもしれんがな」
「酷なものか。連中から好き好んでこちら側へ来たのだ。前に立つのならば容赦などする必要もあるまい」
苦笑いと共にそう零したオヴィムに言葉を返しながら、テミスはギラリとその目を獰猛に光らせると、一丁前に隙でも伺っているのか、道の傍らから自分達へと視線を注ぎ続ける男を睨み返してニヤリと笑みを浮かべた。
そもそもの話。まっとうに、相応に、他者を害せぬ範囲で欲望を満たしていれば、力や技だけが物を言う血濡れた世界に道を踏み外す事など無いのだ。
「やれやれ……相変わらずお主は厳しいな?」
「お前が甘いんだ。戦う力が無いのならば、融和派なり過激派なり……然るべきところへ走ればいいではないか。軍人や衛兵なんて連中は、そのために存在するのだから」
「……で、あるな。だが、くれぐれも逸ってくれるなよ?」
だが現実では、怪し気な風体のオヴィムやテミスを見ても、誰一人として彼等の元へと通報に走る者はいない。
そんな者達から浴びせられ続ける熱気に応じて、テミスの纏う雰囲気が剣呑なものへと変わり始めた時。
言葉を交わしながらそれをいち早く察知したオヴィムは、足を止めて念を押すようにテミスへ問いかける。
「我等の目的はアルス様を連れて帰還する事。道中にお主が何を求めているかは知らぬが、互いに騒ぎを起こしている暇は無い筈だ」
「クス……そう怖い顔をするなオヴィム。わかっているさ。私とて、こんな連中に片端から喧嘩を売っているほど暇ではない」
「ウム。ならば……」
「ひとまず、ここからアルスリードを連れ出すとしよう」
オヴィムの問いにテミスは不敵な笑みを浮かべた後、おどけたように肩を竦めて言葉を付け加えた。
そんなテミスに、オヴィムが真面目な顔でコクリと頷くと、二人は眼前に悠然と居を構える融和派の屋敷へと視線を向けたのだった。




