981話 安堵の帰還
目を覚ましたら、布団の上で半裸の状態で寝かされていた。傍らには見知らぬ男が尻もちをついており、脚には腕利きの友だと信じていた男が覆い被さるように突っ伏している。
かと思えば、背後からはこの国での一番の協力者であるはずの少女が飛びついてきていて。
そんな、まさに混沌が具現化したかのような状態がひとまずの落ち着きを見せたのは、テミスが完全に意識を取り戻してから優に数十分が過ぎた頃だった。
「あ~……ひとまず、だ」
「…………」
「ひぐっ……ぐすっ……生きてます……動いてます……」
テミスは、訳の分からない事を口走りながらすすり泣くシズクの手を借りて自らの衣服を整えると、そのまま布団から半身を起こした状態で口を開く。
無意識のうちに振り下ろしていた大剣は傍らへと片付けられ、眼前にはオヴィムが深々と頭を下げて畏まっている。
「お前が劣情に負けて怪我人を襲うような男でない事は承知している。私の振るった剣を躱したのだろう? 理解しているから頭を上げてくれ」
「しかしっ……!!」
「そもそもだ。数多の戦場を駆け、永きを生きてきたお前だ。今更私のような小娘如きの裸を見たところで何とも思うまい?」
「…………つくづく意地が悪いな。テミス。如何様に答えれば満足なのだ?」
「答えなくていいからさっさとその鬱陶しい態勢を止めろ。いざ現状を理解できるようになったかと思えば、口を噤んで頭を下げたまま微動だにせぬ男など、それこそ気色が悪い」
ニンマリと不敵な笑みを浮かべたテミスがそう告げてはじめて、オヴィムはゆっくりと頭を上げて笑みを覗かせた。
その瞳には、思慮深く穏やかな光が宿っており、大袈裟すぎる謝罪そのものが彼の気遣いであるとテミスは理解する。
事実。お陰で事態を整理する取っ掛かりと考える時間を得る事ができた。
傍らで何やら器を片付けている男にはほんのりと見覚えはあるがその名までは思い出せず、シズクはひたすら私の調子を気にかけながら、事あるごとにただ大丈夫ですかと繰り返すだけで話にならない。
故に。内容の馬鹿馬鹿しさと現状の整理を始める切っ掛けとしては、オヴィムの話題は最適であった訳で。
「……ならば、早速説明を頼めるか? 悪いが記憶が曖昧だ。察するに私は、戦場に出て倒れたのだろうが」
「相打ちさ。かの戦鬼と名高いシロウとね。君が何者であるかを思えば、大金星とは言い難いけれどね」
問いを発したテミスが言葉と共に場の空気を切り替えると、ミチヒトは空になった器を弄りながら答えを返す。
その言葉はとても事務的ではあったが、それはせわしなく手を動かし続ける彼が、今尚意識を手元へと向けているためだろう。
「……付け加えるのなら、僕は薬師だ。患者の肌に雑念を抱く程やぶじゃない」
「コホン。ミチヒトが言及するのならば私も……孫娘程に年の離れた少女にそのような感情を抱くなど――」
「――その話はもう良いッ!! 蒸し返すなッ!!」
だが、直後に呟かれたミチヒトの言葉の所為で、漸くまともに転がり始めた話は即座に脱線し、テミスは思わず叫びを上げた。
……瞬間。
「――っ!!」
クラリ。と。
目の前がチカチカと明滅を繰り返したかと思うと、テミスはそのまま態勢を崩して傍らに控えるシズクへと倒れ込む。
幸い、シズクが咄嗟にテミスの身体を支えたお陰で大事は無いが、グラグラと揺れる視界に、テミスは再び腹の底から嫌な嘔吐感がせり上がってくるのを感じていた。
「テミスさんッ……!!」
「君は……もしかして馬鹿じゃないのか? ついさっきまで死にかけていたんだよ? それに、大怪我で体力が消耗している所にあんな無茶苦茶な方法で魔力を通したんだ。叫ぶなんて自殺行為だ」
「ぅ……ぐっ……!!」
「そら。話をするくらいなら構わないから横になる。あと、話しながらで構わないから傷の様子は診させて貰うよ」
「クッ……」
呆れたような表情を浮かべてミチヒトがそうまくし立てるが、テミスは腹の底からせり上がってくる何かを飲み込むのに必死で、返す言葉ごと反論を呑み込んだ。
その隙にミチヒトは淡々と話を進めると、シズクに指示を出してテミスの身体を布団へと横たえさせる。
「ッ……ハァ……ハァッ……。ま、まあいい。こうしてシズク達がここに居るという事は上手く行ったんだな?」
「ウム。我々もかなりの被害は出てしまったが、スラムの者達は救い出せたし全滅は免れた。テミス殿が斬り込んできてくれたお陰で救われた。本当に……ありがとうッッ!!」
「フン……。礼など要らん。私はただ、連中のやり口が気に食わなかっただけだ」
「ふふっ……。あ……ごめんなさい。でも少しだけ、安心してしまいまして」
改めて深々と頭を下げたムネヨシに、テミスがそっぽを向いて冷たく言葉を返すと、テミスの枕元に陣取ったシズクが小さく微笑みを漏らした。
そして何故か、それはオヴィムも同様のようで。
「フッ……なれば順に、お主が眠っていた間の事を語り聞かせるとしよう」
穏やかな笑みをテミスへと向けると、コクリと頷きながら口を開いたのだった。




