978話 救い手の意志
「ッ……! これは……」
バサリ。と。
テミスの身体の上に被せられた布団を捲り、腹に巻かれた包帯を解くと、ミチヒトはゴクリと生唾を飲み込んだ。
目の前に現れた深い深い傷。
身体をぽっかりと貫通せしめているその傷は、薬師であるミチヒトの目から見ても間違い無く致命傷だった。
強靭な肉体を持つ熊人族や肉体の再生能力を持つ一部の異形の者達であれば兎も角、ただの人間の少女であるはずのテミスが、この傷を負って尚、今も生き永らえているという事自体が、普通では決してあり得る事の無い異常なのだ。
「……どうだ? お前ならば、治せるか?」
「全力は尽くす……だが……わからない……ッ!!!」
「馬鹿な……何を――」
「――騒ぐな。患者の傷に障る」
ムネヨシ達の施した手当のお陰だろう。赤黒く開いた傷口にはほとんど膿は見当たらない。だが、その孔から覗く臓腑が傷付いている。
故に致命傷。だがそれだけなら、ミチヒトの腕を以てすれば治す事は可能だった。
しかし……。
「彼女がこの傷を負ってから今日で何日目だ? ……時間が経ち過ぎている。最早一刻の猶予も無いッ……!!」
「ッ……!!」
緊迫感に満ちた声でミチヒトはそう叫ぶと、何処からともなく大きな薬箱を取り出してその蓋を開ける。
同時に、中途半端にテミスの身体を覆っていた衣服と包帯を取り去り、患部を完全に露出させた。
「これより処置に取り掛かる。護衛の君は彼女の足を、ムネヨシは身体を押さえる準備をしておいてくれ」
「何ッ……? 何故そんな事を……」
その洗練された動きに呆気に取られながらも、名指しで指示を受けた二人は辛うじて問いを返す。
だが、ミチヒトは目を丸く見開いて問い返した二人を鋭く睨み付けると、力強く口を開いて言葉を返す。
「ッ……!! 僕の薬は強力だ。けれどその分痛みが伴ったり患者の体力も使うんだ。いいかい? ここから先、イチイチ君達の質問に答えている暇は無い。こうしている間にも、彼女の命は刻一刻と零れていると心得るんだ」
「ム……」
「ウヌッ……」
「彼女の命を救いたいと願うなら質問は無しだ。僕の指示に従ってくれ。そこの君は膝を抱えて泣いている暇があるのなら、盗っていった清潔な布と新しい包帯の準備を。決して包みから下ろさないように」
ミチヒトの言葉に籠った気迫に問いかけた二人は言葉に詰まって黙り込んだ。
するとすかさず、ミチヒトは視線を部屋の隅で唖然としているシズクへと向け、淡々と指示を飛ばしていく。
それと同時に、自らも蓋を開けた薬箱に無数に並ぶ引き出しを開けながら、様々な薬を取り出しては傍らに並べていた。
「最後に……僕を止めた君。そう、君だ。君は扉の所に居て、何があろうと絶対に扉が開かないように押さえていてくれ」
「え……? は、はい……」
「よし。窓は……うん、閉まっているね。ッ……!! 始めるぞ!!」
即座に下されたミチヒトの指示に、シズク達は戸惑いながらも忠実に従った。
ムネヨシはテミスの枕元へとその場所を移動し、オヴィムは太刀を傍らへと置いて足元へと陣取っている。
そして傍らに薬箱を広げたミチヒトの隣では、唇を真一文字に結んだシズクが、自らがこの部屋へと持ち込んだ包みに取りかかっており、最後に指示を下されたカガリは、不思議そうな表情を浮かべながらも、既に自らの身体を楔として部屋の戸を塞いでいた。
ミチヒトは一瞬、言葉と共に一同を確認するかのように部屋の中を見渡した後、大きく息を吸い込んで口を開く。
「……我が作り出すは清浄なる領域。其れは内に一切の穢れを赦さず、いと清らかなる聖域。今こそ全てを祓い、ひと時の無垢を顕現させ給え!」
すると、ミチヒトが言葉を紡ぐ度に、部屋の中の空気が軽く清々しいものへと変化していった。
その変化は戸惑いの最中にあるシズク達であっても肌で感じる事ができる程で。
誰もが、獣人であるのミチヒトが、不得手であるはずの魔法を発動させたのだと理解した。
「ッ……。フゥ……よし……。まずは水晶麻の身の粉末を傷口に。続いて鬼爵石の粉と雲気龍の爪、魂露草の滴を混ぜ合わせる」
「っ……!!」
だが、鬼気迫る表情で気迫を迸らせながら作業を進めるミチヒトに声をかける者は居らず、その様子を見守りながら、祈るような気持ちで自らに与えられた役目に就いている。
そして、四人が見守る中でミチヒトは次々と様々な薬を作り出しては並べ、時にはテミスの傷へ、口の中へと投じていったのだった。




