976話 隠れ家を暴く者
互いの現状を確認する為に数度言葉を交わした後、部屋の中を支配したのは重苦しい沈黙だった。
苦し気に呼吸を繰り返すテミスの傍らで、その額に浮き出た脂汗を拭うムネヨシも、部屋の隅で膝を抱え、顔を埋めて蹲ったシズクも、少し休むと言い残した後、壁にもたれ掛かってその目を閉じたオヴィムも……誰一人として言葉を発する事は無い。
誰もが、各々現実を理解してはいるのだろう。
自分達に打てる手が無くなった以上、テミスはこのままここで弱って行くのだと。
轟かせた武勇が更に積み重なる事は無く、漆黒に輝くブラックアダマンタイトの大剣が戦場に煌めく事はもう無い。
けれど、もしもその事実を口にしてしまったら、目に映る絶望が揺るがぬ現実のものとなってしまいそうで。
「っ…………」
出来る事は無い。けれど、本当にテミスが逝ってしまう最後の一瞬まで諦める訳にはいかない。
ただその一心で、この部屋に集った者達は今にも絶望に屈しそうになる心を、辛うじて繋ぎ止めていた。
そんな時間が、一体どれほど続いただろうか。
絶望に満ちた空気が、まるで湾処のように漂う中。壁にその背を預け、目を瞑っていたオヴィムが音も無く目を開き、その手が傍らの太刀へと伸びる。
「…………」
その数秒後。
「……っ!! 貴方……どう……ここ……」
「今……どうでも……。通……」
「なりま……!! ちょっ……!!」
閉ざされた扉の向こう側から、見張りに立ったカガリが何者かと言い争う声が漏れ聞こえてくる。
人間であるテミスの存在を好意的に受け入れていたものは少ない。故に、ムネヨシたちはテミスの負傷を隠し、このような場所で看病に勤しんでいるのだ。
故に、ムネヨシの側近と忠臣であるシズク達をの除いてこの場所を知る者は居るはずも無く、部屋の外で言い争う緊迫した声色から、訪問者は招かれざる客であるのは火を見るよりも明らかだった。
「…………」
蹲ったシズクが顔を起こし、ムネヨシがテミスを背に庇うように身構えると同時に、太刀を手にしたオヴィムが音も無く戸口へと忍び寄り、二人へ目配せだけして浅く頷いた後、その柄に手をかける。
テミスを害する何者かがこの隠れ家を探り当てたのならば、一刀の元に斬り伏せよう。
皮肉にも、先程までオヴィムの胸を満たしていた絶望と無力感にいつの間にか晴れ、その代わりに何があってもテミスを守り抜くという思いが満ちていた。
そして。
「ええい、離さんか!! ッ……邪魔をするぞッ!」
苛立ちに満ちた声と共に、ドタバタと派手に揉み合う音を響かせながら勢い良く部屋の戸が開き、一人の男が姿を現す。
その後ろでは、今にも泣きだしそうな表情で男の脚に縋りつくカガリが居た。
次の瞬間。
「ッ……!!」
「……動くな」
ピタリ。と。
部屋に突入してきた男の首筋に、目にも留まらぬ程の神速で抜き放たれたオヴィムの太刀が添えられる。
だが、男は僅かに目を見開いて足を止めただけで、口を開く事も無くムネヨシへと視線を向け続けていた。
一方。乱入者の男の視線を受けたムネヨシは驚きに身体を硬直させ、言葉を発する事すら無く凍り付いている。
そんな、緊張と混乱が綯い交ぜになった混沌とした沈黙が数秒もの間続いた後。
「貴様……何者だ?」
誰一人言葉を発さぬ現状に焦れたオヴィムが、押し殺した声で問いを口にする。
無論。カガリの様子を見れば、この乱入者の男が招かれざる客であることは、オヴィムにも理解できた。
だが、解せないのはシズクとムネヨシの驚愕。
故にオヴィムは、この男の正体を問うたのだ。
「フム……優秀な護衛だ。正直、想定外だよ」
「ッ……!」
「おっと……止してくれ。僕はミチヒト。君達の敵じゃない」
「……口では何とでも言える」
「参ったな……ムネヨシ。君からもこの屈強な護衛に口添えしてはくれないか?」
不敵な笑みを浮かべるミチヒトは軽くその両手を挙げて降参のポーズを取ると、軽い口調でムネヨシへと語り掛けた。
その間も、ミチヒトの首元にはオヴィムの突き付けた抜き身の太刀が押し当てられており、その柄を握るオヴィムは油断の無い鋭い視線を向けている。
しかし……。
「……それは私の問いに答えてからだ。何故、頭目の一人であるお前がここに? 例え我等の敵でなくとも、お前は一度彼女を拒絶したはずだ。その上で問おう……如何なる用で此処へ来た?」
表情すら隠し得ぬ驚愕から脱したムネヨシは一転、その顔に厳しい表情を浮かべると、静かな声で問いかけたのだった。




