972話 白銀に集う
冷たい。
ただそれだけが、倒れ込んでくるテミスの身体に触れた瞬間に感じた事だった。
全てを見ていなかったとしてもわかる。あのテミスが、こんなにボロボロにならなくては勝てなかった相手なのだ。途方もない激戦が繰り広げられていたのだろう。
だが、テミスの身体にはそんな戦いぶりを思わせるような熱など残っておらず、まるであの洞穴での夜のように冷え切っている。
「テミ――ッ!?」
思わず、不安に駆られたシズクは受け止めた小さな身体を揺さぶりかけるが、寸前の所でその手がピタリと止まる。
テミスの肩を掴んだ瞬間。腹の傷を押さえていた手がズルリと落ち、溜まっていた血がどぷりと溢れ出してシズクの脚を濡らしたのだ。
「嘘ッ……!?」
間近でその傷を見た途端、シズクは自らの顔から血の気が引いたのを自覚した。
その心に、油断があったのは間違い無いだろう。確かに出血は多い。だが、ああも果敢に戦っていたのだ。血止め程度の応急処置で済むはずだ……と。
「なんで……こんなッ……!?」
しかし、テミスの受けていた傷は途方も無く深かった。
一目見ただけで、治療の知識にさほど明るくないシズクでさえ、致命傷だと理解できる程に。
「ウグッ……ッ!!!!」
ごくり。と。
喉の奥からこみ上げて来たモノを、シズクは咄嗟に呑み下した。
吐いてしまえば……堪える事無くぶちまけてしまえば、楽になるのかもしれない。
けれど、シズクの意地がそれを許さなかった。
それをしてしまえば、私は二度とこの人の隣に立てない……。いや、この人の背中を負う事さえ許されなくなるッ!!
いままで、見たことすらなかったヒトの内部。今も尚だくだくと溢れ出る赤い血の中にチラリと見えてしまったそれを、シズクは決して零れ出る事の無いように、自らの手を優しく傷口へと当てた。
「ッ……!!」
「痛い……ですよね……。ごめんなさい」
深々と貫かれた傷口に触れた瞬間、テミスは僅かに呻き声を漏らしながらその顔を顰める。
だが、シズクは決意の籠った表情で腕の中のテミスへと謝罪すると、腹の傷口を押さえたまま腕を掴み、半ば背負うようにしてその身体を担ぎ上げた。
気が付けば、焦りに支配されていた心は驚く程静かに凪ぎ、固い覚悟が定まっていた。
今度は私が……この人を救うのだと。
「テミスは……ッ!?」
「申し訳ありません。見ての通り、一刻を争います。どうか護衛を」
「ヌゥッ……!! だ、だが何処へ行こうというのだ? 貴殿らの拠点は敵の手に落ちたやもしれんのだろう?」
「その為の護衛です。我々の拠点ならある程度の薬もあるはず……」
「ッ……!! 押し通ると……いうのか……」
「それしか、この人を救う道はありません」
狼狽えるオヴィムを、シズクは決意の籠った瞳で見上げて断言した。
こうして身を寄せていると良く解る。トクン、トクンと脈打つ鼓動が、こうしているあいだにも、少しづつほんの少しづつ弱くなっていく。
「……承知した!!」
数瞬の沈黙の後。
オヴィムはシズクへ深く頷くと、固く拳を握り締めて言葉を続けた。
「元より、彼女には返しても返し切れぬ大恩がある。たとえ幾千の敵が来ようとも、守り抜いてみせようッ!!」
「っ……! ありがとう、ございます!」
力強く告げられたその言葉に、シズクは微笑と共に頷きを返すと、テミスの身体を担いだまま急ぎ足で歩き始める。
だが、その数分後。
テミスが戦っていた地点から僅かに離れた時だった。
「シズクッ!! 馬鹿者ッ!! 早くこちらに寄越さぬかッ!!」
「ッ――!?」
唐突に背後から響いた怒声に、シズクはビクリと身を跳ねさせた。
しかし、驚きに身構える暇もないまま、背後から駆けてきたムネヨシ達が二人に追い付き、まくし立てるように言葉を重ねる。
「全てはリュウコという者から聞いたッ!! あのシロウと立ち会ったのであろうッ!?」
「えっ……!? シロウって……!?」
「いいから早く! 即席ではあるが担架を作ってある。そちらに移して急ぐぞッ!!」
「姉さん。貸してッ!!」
歴戦の古豪。
その名は、ギルファーに属する者であれば、知らぬ者は居ない程の猛者の名だった。
曰く、彼の者はギルファー最盛期より、この国へ攻め入る他種族を相手に戦い続けているという、伝説の武人だ。
シズクはムネヨシから告げられた名に驚愕を露にするも、その間に背に担いでいたテミスの身体が、カガリたちの手によって粗末な担架へと移されていった。
見れば、担架となっているのはどこか見覚えのある大きな鞘と、穂先に布の巻きつけられた血濡れた短槍で。
「移乗、完了!」
「よし。急げ!! シズク、カガリ。二人で運ぶのだ! 極力、揺らしてはならん。オヴィム殿、すまぬが護衛を頼みたい」
「……ッ!! 了解ッ!」
「承知ッ!」
シズク達へと追い付いたムネヨシの指揮の元、一行は傷付いたテミスを抱えて再び駆け出していく。
そんな一行を包み込むかのように、空を埋め尽くした厚い雲からは、しんしんと雪が降り続いていたのだった。
本日の更新で第十七章が完結となります。
この後、数話の幕間を挟んだ後に第十八章がスタートします。
ギルファーへと赴くテミス、ですがそこは様々な感情の渦巻く町でした。
人間と獣人。復讐と友好の狭間で、テミスは一人暗躍します。
そんな町で紡がれる新たな出会いと再会。
陰謀渦巻く雪深き町で、テミスはどう立ち向かっていくのでしょうか? そして、傷付いたテミスの安否は……?
続きまして、ブックマークをして頂いております577名の方々、そして評価をしていただきました94名の方、ならびにセイギの味方の狂騒曲を読んでくださった皆様、いつも応援してくださりありがとうございます。
さて、次章は第十八章です。
ギルファー内部で渦巻く様々な感情に触れたテミス。
ですがその策謀に立ち向かう中で深手を負い、倒れてしまいます。
そんなテミスの背を追う新たな仲間は、雪深き町で倒れたテミスに何を思うのか? そして、傷付き倒れたテミスの行く末や如何に……?
セイギの味方の狂騒曲第18章。是非ご期待ください!
2022/04/13 棗雪




