971話 静かなる別れ
逸る気持ちを必死で律し、オヴィムはただひたすらに街路を駆けた。
崩れた建物が塞ぐ道を曲がり、抉れた石畳を避けて。
そして、辿り着いた先に広がっていたのは……。
「なっ……!!」
「っ……!!!?」
武器を構えた二人の戦士が、静かに向かい合っている姿だった。
周囲に積もる雪は激しい戦闘でまき散らされたであろう血によって赤く染まり、相対する二人の足元も血に濡れている。
構えた武器は漆黒の大剣と一対の手斧。間違い無い。と、視界に収めた瞬間に理解する。他でもないオヴィムが彼女を見紛うことなどあり得なかった。
「そんな……なんで……あんなにひどい傷ッ……!!」
そんなオヴィムの傍らで、シズクが掠れた声で呟きを漏らす。
その視線の先では、全身を真っ赤に染めたテミスが、今も尚ボタボタと派手に血を流しながらも、眼前の獣人を睨み付けている。
一方で、テミスの相対する獣人の傷は浅い。
確かに幾度かその身に攻撃を受け、少なく無い血は流しているようだが、刃を交えているテミスに比べれば掠り傷程度のものだろう。
「た、助けなきゃッ――」
「――止しな」
「ッ……!!」
まるで、自分を鼓舞するかのようにそう告げたシズクは、全身をがたがたと震わせながらも、自らの腰に提げた刀へと手を伸ばした。
だが、今の彼女を突き動かしているのが恐怖だけなのは一目瞭然で。
それを留めるべくオヴィムが口を開きかけるが、その言葉が発せられるよりも早く、傍らから響いた弱々しい女の声がシズクを制止した。
「あなたは……!!」
「…………」
敵か?
刹那。反射的に身構えたオヴィムの脳裏に、高まった警戒心が駆け抜ける。
ここは戦場。そして、投げかけられた声に聞き覚えは無く、その顔を見ても覚えは無い。
なればこそ、即座に動くのが戦場の道理ではあるのだが……。
「そっちの大きい人も、止しちゃくれないかい? どうにか目は覚ましたものの、見ての通りアタシゃこのザマだ。もう戦えないどころか、ここから生きて帰れるかどうかも五分ってとこだ」
「……仲間か?」
「いえ……ですが、知り合いです。名はリュウコ」
「フム……」
弱りながらも皮肉気に口角を歪めて二人を見上げるリュウコの言葉に、オヴィムは静かに喉を鳴らして一考する。
仲間ではなく、知り合い。
楽観的に推察するのならば、ここではない別の地で出会った冒険者といった所なのだろうが、今の時勢でギルドの元を離れ、こんな場所で倒れている冒険者が居るとは思えない。
で、あるならば……。
「クス……アタシの事より今大事なのはアッチの方じゃないのかい? そろそろ、決着だよ」
「ッ……!!」
「あっ……!!!」
そう告げられて、オヴィムとシズクはまるで導かれるように相対する二人へと視線を向けた。
だが、見るからにテミスは劣勢。体の軸はぶれ、構えも大きく傾いでいる。対する獣人の動きに淀みは無く、このまま黙って見ていれば、まず間違い無くテミスは斬られてしまうだろう。
しかし一人の武人として、一対一の決闘に水を差す訳にはいかない。
「クッ……」
「……そう心配しなさんな」
相対する二人からビリビリと放たれる緊張感は、少し離れた位置で見守っているオヴィム達の位置まで伝わってきていた。
シズクなど、その雰囲気に完全に呑まれ、刀の柄に手を添えたまま見入ってしまっている。
故に、今テミスを救えるのは自分だけ。
そう理解して苦悩するオヴィムに、リュウコは穏やかな笑みを浮かべて語り掛けた。
「安心してみてると良い。テミス……って言ったっけ? 勝つのはあの娘さ」
「馬鹿な……何故そんな事が分かる」
「当たり前の話さ。死にたがりと生きたがりがぶつかれば、勝つのがどっちかなんて目に見えているさね」
「だが――」
「――アタシの同胞の最期さ。どうか、見送ってやっちゃくれないかい?」
「っ……!!」
何故かテミスの勝ちを断言するリュウコに、オヴィムは食い下がるべく口を開こうとする。
だが、決して揺るがぬ確信があるのだろう。リュウコは静かな口調でオヴィムに言葉を重ねると、穏やかな視線を二人へと向けた。
そして。
「――ォオッッ!!!」
「――ゼァァアアッ!!」
オヴィム達が見つめる前で、二つの咆哮が響き渡る。
その瞬間。二人は閃光の如き迅さで交叉した。
決着は、リュウコの言葉通り。満身創痍ながらも、テミスは勝ちを収めて立っている。
「ッ――!!! テミスさんッ! テミスさんッッ!!!」
「……お主は、良いのか?」
直後。オヴィムの隣からシズクがテミスの名を叫びながら、弾かれたように駆け出していく。
その背を見送りながら、オヴィムは静かな声でリュウコへと問いかけた。
事情は何一つわからない。だが、今テミスが斬り伏せた獣人が、このリュウコという獣人の知己である事は理解できる。
ならば、敗れた者へ駆け寄る為の手くらいならば貸そう。
そう、思ったのだが……。
「良いんだよ。漸く眠れるんだ……。やっと……恨みも怒りも全部忘れて」
「………………そうか」
「そうさ。これで……良かったんだ……」
「…………そうか」
ただリュウコの傍らに佇んだまま、悲し気に零される言葉にオヴィムは静かに答えを返し続けた。
そんな二人の視線の先では、遂に力尽きてその身を投げ出すように体勢を崩したテミスが、必死で駆け寄っていったシズクの胸に受け止められている。
「……馬鹿な奴」
「…………」
だが、テミスを受け止め、慌てふためくシズクを眺めながら零された言葉は、深い悲しみに濡れていたのだった。




