970話 知る者と信ずる者
時は少し遡り、テミスとシロウの決着より少し前。
オヴィムに合流したムネヨシ達の一行はオヴィムの指揮の元、スラムを脱出すべく戦場を駆け抜けていた。
尤も、彼等が駆け抜けるのはただ、遺体や肉塊の散らばる廃都なのだが。
死臭と煤の臭いが立ち込める街は、シズクの目にはまるでこの町の外周に広がる廃墟群の新たな誕生を見ているかのようで。
今にも叫び出してしまいそうな不安の中、シズクは必死で心を律して脚を動かし続ける。
この人こそが、テミスさんの託してくれた秘策。最後の切り札なのだと信じて。
「ハァッ!! ハアッ……!! 急げッ!!!」
「フゥッ……フゥッ……ムゥッ……」
しかし、当のオヴィムはというと、先程空を駆けた一筋の閃光を見てから、焦燥を露わにして一行を駆り立てていた。
「こっちだ!! 早くッ!! 走れッ!!」
「ッ……ハッ……ゼェッ……!! ま、待て……速過ぎるッ!!」
「落ち着いてくださいッ!! 流石にこれだけの速度で走っていては、我々は兎も角、非戦闘員の皆さんが持ちませんッ!!」
「ッ……!! だがッ……!!」
先頭を駆けるオヴィムと共に駆けるムネヨシとシズクが、その余りの速さに見かねて忠告をする。
だが、オヴィムはしきりに空へと視線を向けながら言葉を濁し、二人の言葉に頷く事は無かった。
「いったい、どうしたというのですか? 酷く焦っているように見えます」
「ッ――!! これが焦らずに居られるものか! 先程空を走った閃光……あれこそテミスの月光斬ではないかッ!?」
「……なるほど。テミスさんの元を目指して居たのですね。ですがそれならば尚の事。焦らず確実に辿り着くべきかと」
「…………」
語気を荒げるオヴィムに、シズクは冷静な面持ちで静かに言葉を返す。
こうして言葉を交わしている間にかなり速度は落ちたものの、後に続く者達の表情は苦しい。このままでは、たとえスラム街を抜けるのではなくとも、テミスの元へと辿り着く前に脱落する者が出てくるだろう。
「……行きなされ」
「ムネヨシ様ッ!?」
しかし、シズクの言葉にオヴィムが逡巡する間に、チラリと後方へ視線を向けたムネヨシが口を開いた。
「何かしら……予感があるのであろう? でしたら、先に行くと良い。シズクもオヴィム殿に随伴せよ」
「ヌゥ……だが……」
「ッ……! しかし!!」
「非戦闘員を護衛しての行軍の場合、庇護対象の安全を鑑みるのであれば、先行偵察も必要になる」
そこから発せられた思わぬ提案に、シズクとオヴィムは言葉を重ねて抗弁するが、ムネヨシは柔らかな笑みを浮かべ、しっかりとした口調で言葉を続ける。
「なに、要は露払いだ。かといって、単騎で戦える者はオヴィム殿以外にここには居らん。だがオヴィム殿だけにそれを頼む訳にもいかぬだろう? よってシズク、お前が適任なのだ」
「でしたらカガリがッ――」
「――ならん。カガリは今のお前より戦える。万一こちから二人が離れた隙を突かれれば、手負いのお前では彼等を守り切れん」
「――ッ!!!」
まさに理詰め。
ムネヨシは盤面の上で駒を動かすが如く理論を重ねると、シズクの反論を封殺した。
だが、それはあくまでも言葉の上でのこと。
慎重を期すのであれば、行軍速度を落としてでもただでさえ少ない戦力を分散させず、このまま全員で向かうべきなのだろうが……。
「ッ……!! ご配慮、感謝するッ!!」
「えっ……?」
「シズク! 何をしておる!! 命令だぞ。続けぃ!」
「は、はいッ!!」
眉を顰めるシズクの隣で、微笑みを浮かべたオヴィムがそう言葉を残して一気に駆ける速度を上げると、戸惑うシズクにムネヨシの一喝が浴びせられた。
その一喝に、シズクは半ば反射的に返答を返すと、慌てて凄まじい速度で駆けだしたオヴィムの背を追った。
そして、全速力で駆けたシズクがオヴィムの隣へと並ぶと同時に、静かな問いが投げかけられた。
「……お主、テミスの連れであろう? であれば何故、平然としている?」
「えっ……? それはどういう意味ですか……?」
「…………。すまない、何でもない。忘れてくれ」
しかし、シズクは問いの意味すら理解できんと言わんばかりに小首を傾げただけで。そこからは邪心の欠片すら感じられなかった。だが、それだけのやり取りでオヴィムは理解していた。
この娘は未だ、テミスの隣に立って戦う域にまで至っていないのだと。
故に、比類なきテミスの強さを、ただひたむきに信じ抜く事ができるのだ。
「……? そう、ですか……」
「ッ……」
シズクは煮え切らぬオヴィムの返答に言葉を濁したものの、それ以上問いを重ねる事無く視線を前へと戻す。
その隣で。
空を駆け抜けたあの斬撃、意図して空へと放たれた物でないのならば、弾かれたか……あるいは反らされたかしたものに見えたのだが……。と。
オヴィムは胸中に渦巻く不安に蓋をして、ただひたすらに前へと駆けたのだった。




