8話 少女テミス
――なぜ殺した!
うるさい。それしか方法が無かったんだ。
――手や足で済ませるとか……もっと別の方法があっただろう!
黙れ――……っ!
「っ! …………夢?」
荒い息と共に跳ね起きて周りを確認する。見覚えのない小部屋に設えられた、サラサラとした肌触りのベッドに寝かされていた。
「ここは……」
テミスは淀んだ思考で記憶を手繰る。確か、外套を買って食事か宿を探していたはずだ。
「……そうか」
意識が途切れた所まで記憶が戻り、ベッドの上で頭を抱える。なんと無様な姿を晒してしまったのだろうか。うすぼんやりとした記憶の言葉通り、ベッド脇の小さな机に綺麗に畳まれた外套と、少ない手荷物が置かれていた。
「腹が、減ったが……」
改めて室内を見渡すと、オレンジ色に変わった陽の光が、窓から部屋の奥にまで侵入してきている。
「クソッ……」
立ち上がろうとするが、まだ上手く体に力が入らない。ベッドの清潔さや部屋の雰囲気からして、かなり高級な宿屋のようだ。記憶の女性は金なんてと言っていたが、払わないわけにもいくまい。
「足りれば、良いんだが……」
足りなければ、いっそ働かせてもらう事も考える。だが、寝床の無い自分がそんなことをすれば、払いきれない分の借金が増えていくだけだ。
「目、覚めたかい?」
金の算段に頭を悩ませていると、聞き覚えのある声と共に部屋の戸が開き、恰幅の良い女性が姿を現した。
「え、ええ……。ご迷惑をかけて、申し訳ない……」
「ったく、ホントだよ。ソレかぶってたから男の子かと思ったけど、アンタみたいな可愛い嬢ちゃんが行き倒れなんて、ちっと自覚なさすぎなんじゃないかい?」
女性は腰に手を当て、ため息まじりに眉を寄せた。
「アタシはマーサ、この宿の店主だよ。事情は知らないけど、行く所が無いならウチに居ると良いさね。体調が治ったら、働いてもらうけどね」
「あ……いや、私には行く所が――」
「王都・ヴァルミンツヘイムかい?」
「っ!」
旅の目的地を的確に当てられて凍り付く。人間である自分が魔族の王都に行くなんて事を、衛兵にでも報告されたら、最悪ここで捕まる羽目になる。
「アンタの着替えを探したときに、地図を見ちまったんさ、悪かったよ。でも、あそこは人間の……それも、アンタのような娘が行く所じゃないよ」
マーサは腰に当てていた手を腕組みに変え、気遣わし気な視線で俺の瞳を覗き込んでくる。
「後で紹介するけど、私にもアンタと同じ年頃の娘が居るのさ。だから他人事とは思えなくてね、お節介だったら謝るよ」
「あ……いや、助かっ……りました。ありがとう……」
「あの子も、アンタみたいに落ち着いてくれりゃあねぇ……、お転婆で困ったものさ」
マーサが笑いながら近くの椅子に座る。彼女の話しづらそうな表情を見て、ふと自分が自己紹介すらしていなかったことに気が付いた。
「わ、私はテミスと言う……ます。自己紹介が遅れて、失礼した」
「ん、テミスね。一応言っておくけど、敬語なんて要らないよ? テミスの話しやすい話し方で喋りな」
「あ、ああ……」
この奇妙な感覚は、目の前の人物の人柄がなすものなのか。自らの全てを打ち明けてしまいたい、寄りかかりたいという感覚。それは形容しがたく、心の底がむず痒くて、温い湯船に浸かっているかのように暖かい感覚だった。
「ったく、どうしたんだいそんな泣きそうな顔して」
「えっ……」
「どんな事情があるにしろ、しばらくウチで休んでいきな。その顔を見る限りアンタ、色々と限界だよ」
再び、元気になったら働いてもらうけどね。と付け足すと、マーサが静かに椅子を引いて立ち上がる。
「もう少し休んで、動けるようになったら下りてきてくんな。何をするにも、根を詰め過ぎたら上手くいかないよ」
そう言い残すと、ニカっと笑ってマーサは部屋を出ていった。
「限界……か」
再びベッドに横になって、屋根を見つめる。思えば、元の世界から今日まで、気の休まる日なんか一日も無かった。糾弾されて、死んだと思ったら転生して。今度こそ正義を成さねばと、短いながらも殺伐とした世界を旅してきた。
「ハッ……」
短く息を吐いて、テミスは体を投げ出すようにしてベッドに倒れ込んだ。
自分の弱さに嗤いが漏れる。正義を成すのではなかったのか。正義を確かめるのではなかったのか? 意気込んだ結果が、このザマだ。足りない知識を教えてもらい、商品を安く譲ってもらって、果てには行き倒れて迷惑をかけて。
「一人じゃ、マトモに生活すらできない……」
強い力があって、女神とやらに転生させて貰って、一人で何でもできる気になっていた。物語の中の主人公のように、快刀乱麻の活躍をできると。だが何をするにも、それを支える基盤が必要だ。戦う為には体調が良くなければならないし、旅をするためにはお金が要る。
「生き急ぎすぎ……か」
かつての世界で、いつの日か言われた言葉を思い出す。俺は目標に固執するあまり、足元をおろそかにし過ぎた。運よく巡り会わせで救われたものの、次は無いだろう。
「よしっ……」
心を決めて、ベッドから降りる。まだ多少ふらつくが、歩けない程ではない。
どうやら寝かされていた部屋は二階にあるらしく、戸を開けて廊下に出ると、階下から騒がしい笑い声や食器の音が聞こえてくる。
「軽い酒場と食堂が併設されている感じ……か」
テミスはアニメや漫画そのものの風景に頬をほころばせながら、壁に寄りかかりつつ階段を降りていく。
そういえば、せっかく異世界に来たというのに、純粋にこう言った風景を楽しむ事もしていなかったな。
「あっ、あなたがテミスちゃんね?」
「えっ? あ、ああ……」
階下にたどり着いた途端に、フリフリのウェイトレス姿の女の子に声を掛けられる。
「ちょっと待っててね!」
そう言い残すと、その女の子もすぐにどこかへ行ってしまった。
「ずいぶんと、忙しそうだな……」
店内を見渡すと、まだ夕暮れ時だと言うのに、8席あるテーブルの内5つが埋まり、カウンターにもチラホラ酒を飲んでる人間がいる。
「ごめんね! 今ちょうど忙しくて……ちょっとだけ待っててくれる? ご飯は、食べれる?」
「あ、ああ……大丈夫……だが……」
バタバタと戻ってきた女の子に告げられて、頷くと同時に腹が鳴る。
「ふふっ、詳しい話はあとでねっ! ご飯もってくるからっ!」
栗色の髪を後ろで縛った、いわゆるポニーテールを翻して、再び女の子が駆けていく。裏では姿の見えないマーサさんが食事の腕を振るっているのだろうか。
「お待たせっ! だいたいあと1時間くらいで、最初のピークは終わるから……」
「っ!」
一番端の手近な空席に座った途端に、先ほどの女の子が料理を並べてくる。正直な所、早すぎて心臓に悪い。
「あと、お母さんから伝言。お腹がすいてても、ゆっくり食べなさいって! じゃねっ!」
「あっ……」
やはり、彼女がマーサさんの言っていた娘なのだろう。客の様子を見る限り、看板娘と言った所か。配膳の礼を言い忘れてしまった事に気付くが、空腹を訴え続ける腹に抗えずスープに手を付ける。
「……美味い」
現代で言う所のベーコンスープだが、使っている肉の質が良いのか、さっぱりしているにもかかわらず、表面にうっすらと脂が浮いている。マーサの忠告が無ければ、器を引っ掴んで一気に飲み干していただろう。
今夜のメニューは、細かく刻んだ野菜の入った雑炊と、トロトロのオムレツに小さくちぎったサラダ。そこに、先ほどのスープが添えられている。
「っ……」
不覚にも、涙が込み上げてきた。周りの客を見渡しても、同じメニューを食べている者は居ないし、どれも食べやすく消化に良いものが選ばれている。
「あたたかい……」
それに、こんな美味い食事をとったのは、この世界に来てから初めてだ。どこの宿も硬いパンに干からびた保存肉か薄いスープで、外で食べるのは主にその黒パンを購入したものだった。
マーサの忠告を常に心がけながら、夢中で食事を平らげる。満腹による心地よい満足感と、腹と共に心まで満たされた感覚にため息まで出た。
「満足そうで、よかった」
気が付くと、踊るように各テーブルの間を飛び回っていたあの女の子が目の前に居た。
「あっ、ごちそうさまでした。美味しかった」
「うんっ! 食後の飲み物は紅茶で良いかな? 母さんもすぐに来るからもう少し待っててね! あっとと、看板看板っと……」
女の子は手に持っていたトレイを机に置いて、扉から外へ飛び出していく。
「フフッ……」
その姿を見て、このまま本当に好意に甘えさせてもらい、異世界の宿屋の店員として過ごす自分を夢想する。泊まりに来た様々な客をもてなし、注文をとり酒を運び、共に戦争を怖がって過ごす。そんな、夢のような未来を。
「どしたの? ニコニコして」
「ふぇぁっ⁉」
戻ってきた女の子に顔を覗き込まれ、変な声が出る。まさか、空想の中身を洗いざらい吐くわけにもいかないし……。
「ま、いっか。すぐ戻ってくるから!」
手早く空いた食器を片づけると、女の子はカウンターの裏へと消えていった。気が付けば、あれだけ賑やかだった食堂は人が居なくなっており、窓の外では日が暮れていた。
「待たせて悪かったね。私らも食べながらで失礼するよ!」
「テミスちゃんは、紅茶でっ!」
ほどなくしてカウンターの裏から、湯気を上げる食事を乗せたトレイを抱えて、二人がやってくる。
「アリーシャ、気軽に呼んでるけどアンタ、テミスに自己紹介はしたの?」
「あっ……と、ごめんね! 私はアリーシャ! この宿でお母さんを手伝ってるんだ!」
「テミスだ。よ……よろしく」
食事を並べながら嗜めるマーサに言われて気が付いたのか、手を止めてアリーシャが自己紹介をする。
「んで、どうするか決めたのかい?」
「……はい」
椅子に座るマーサの問いに、表情が強張る。このまま旅を続けるのはほぼ間違いなく不可能だ。かといってずっとここに居る事もできない。自らがこれから口にしようとする事の厚かましさに、顔から火が出そうだ。
「アンタは余計な気をまわしそうだから先に言っとくけど、アタシ達に気を使う事は無いんだよ。アンタがしたいと思ったこと、全部言ってごらん。無理なことは無理って言うけどね」
テミスはテーブルの下で、強く拳を握る。
認めよう。他に手が無いことを。
「……王都へは、絶対に行かなくてはいけません」
「っ……」
アリーシャが固唾をのむのが聞こえる横で、重い口を開く。
「ですが、今の私では、ほぼ間違いなく辿り着けない」
喉から声を絞り出し、両の拳を固く握りしめる。緊張に加えて、情けなさと申し訳なさで心臓が爆発しそうだ。
「恥を忍んでお願いします。皿洗いでも何でもやります。少しの間だけ、私をこちらに置いてはいただけないでしょうかっ?」
そう一気にまくしたてると、精一杯頭を下げる。今の俺が魔王城にたどり着くためには、減った路銀をここで稼がせてもらうしかない。
「テミス、何か事情がありそうだし、話したくなければそれでいいけど……アンタはなんで、人間領から無茶な旅をしてきてまで、王都に行きたいんだい?」
「それはっ……」
一瞬、口をつぐみかける。俺のやろうとしていることは、ある意味での裏切り行為だ。言うなれば、魔王と人間を見比べて、自分の付く方を決めるなどと言う利己的な旅と言える。そんな最低な事を、頼みごとをしている相手に告げるのは心証を下げるだけで良い事は無い。
しかし、行き倒れを救われただけではなく、更に恥知らずな頼みをしている恩人に対して、お茶を濁したり隠したりするのは正しい事だとと言えるだろうか?
「わた……しは、魔王に真意を問いたいのです」
短い葛藤の後、打算を払いのけた俺は真実を語る事にした。
「魔王様の真意?」
「人間の領地では、大義を謳う人間は同じ人間をも迫害し、民は重い税で苦しんでいる。にもかかわらず、領主は贅を尽くし、それが当たり前であるかのように民を虐げている……私にはそれが、正義だとは思えない」
俺は、魔王の真意を確かめると言い訳をして、共に行こうと差し伸べてくれた手を振り払って逃げた。人間として戦い、内側から変えていく方法もあったのにも関わらず。
「だから……魔王の町を見て、意思を聞いて、正しいと思えた方で戦おうと……」
言葉にして再び、あまりに身勝手な考えに声が消え入る。マーサ達からしてみれば、魔王が気に入らなければ自らの敵になる危険分子。そんな奴なら助けなければよかったと、衛兵に突き出されても文句は言えない。
「で、今ん所のアンタの気持ちは?」
「えっ?」
罵倒と共に殴り出される事を覚悟していたため、予想外の問いに面食らう。
「この町だって魔王領さね。この町を見て、今アンタはどうなんだい?」
食事の手を止めたマーサが、真剣な眼差しでテミスを見つめていた。
「活気があるし、皆、笑ってる。魔族も人間も一緒に暮らしてて、こうあるべきだと……思う」
テミスはこの町を初めて見て、この町の住人とふれあい感じた事を言葉にしていく。人間領の惨状が間違っていて、こういう景色こそ正しい町の在り方なのだ。
「それだけかい?」
「ちょっ、母さんっ」
「いいえ」
マーサの問いに空気が張り詰める。見かねたアリーシャがすぐに止めに入るが、テミスはそれを遮って深呼吸をした。
マーサが聞いているのは俺自身の事だ。この町をどう思っているのかだけではなく、その先の事。これから、どうするのかを。
「それでも、魔王が私利私欲のために戦争をしているのであれば、私は人間に付きます」
きっぱりと言い切る。自分が、敵に回る可能性のある者であると。傲慢にも、自分で見て決めると。
「ん、なら良いさね。好きなだけ居て、準備が整ったら行くといいさ。それに、もしも行きたくなくなったら、ずっとここに居りゃいい」
軽く言うと、質問を終えたマーサが再び食事を開始する。
「えっと……マーサさん?」
そのあまりの軽さに、自分の言った言葉の意味が、しっかりと伝わっていなかったのかと感じる程だ。
「アンタがあそこで、それだけだと答えてたら、即、衛兵さんに突き出したさ。私如きとの問答で真意を見抜けないなら、魔王様と話した所で殺されて終わりだ。そんなだったら、ここで捕まえてやった方がいい」
マーサは淡々と言いながら肉を平らげて、言葉を続ける。
「それに、ブレない芯が無いとダメだね。貫き通す想いと言っても良い。あとは、個人的に筋が通ってれば良かったんだよ。その点、アンタは百点満点だ。自分を拾った私達への義理も通し、強固な意志もありそうだ」
「マーサさん……」
「つまり、母さんはテミスちゃんの事を気に入ったって事だよ。良かったねっ!」
安心したように、アリーシャがマーサの横から身を乗り出して、満面の笑みをテミスへと向けて言った。
「部屋は今の客室を使ってくれりゃいいよ。それと、働く以上はアリーシャと同じように給料も出す。自分の家だと思ってくつろいでくれていい」
自分の食べ終わった食器を重ねながら、アリーシャにそっくりな笑顔を浮かべてマーサが立ち上がる。
「体調が良さそうなら、端っこで夜の部も見ていきな。明日からはついに、ウチにも看板娘ができて大繁盛さね!」
「ちょっと! 看板娘ならここにも居るんですけど⁉」
マーサが豪胆に笑いながら、カウンターの裏へと消えていく。後で改めてお礼を言っておこう。
「人多いから、体調悪くなったら戻っちゃって大丈夫だからね?」
「ああ、ありがとう……」
二人の優しさを噛み締めながら紅茶をすすり、動乱の一日の夜は更けていった。
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