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プラスチックの惑星

作者: 村崎羯諦

海を越え山を越え銀河を越え、

人が、人に会いに行く

────宇宙暦7年 銀河鉄道会社 広告キャッチコピー

「早く早く! もう電車が出ちゃうよ!」


  家の玄関でミサキが大声で叫んだ。小学生にしては若干大人びたデニムのショートパンツに白黒ボーダーのTシャツ。右手には可愛いらしい水玉模様の傘を持っている。外では惑星特有の硫黄酸化物が混じった灰褐色の雨が降りしだき、コンクリートの地面からは石炭の匂いが立ち上ってくる。しばらくすると部屋の奥からバタバタと人の足音が聞こえてきて、朱色のシャツにベージュのロングスカートという格好をしたユキエが、二本の傘を持って姿を表した。


「ごめんなさい、ミサキちゃん。もう一本の傘が見つからなかったんです」


 ミサキはユキエの頭から足先に向け、舐め回すように視線を下ろしていき、腕を組んで小さくうーんと声を漏らす。


「お兄ちゃんはロリコンだから、もっと可愛い服の方がウケがいいと思うよ」

「小学生の女の子が何を言ってるんですか! ほらほら、早く出ますよ!」


 ユキエは小さなミサキの手を握り、傘を広げた。重たい雨が傘のビニール生地にぶつかるたび、鼓動のような音を鳴らす。ユキエは左手にはめた銀製の腕時計に目をやり、声をあげる。


「って、本当に電車が出ちゃうじゃないですか!」


 ユキエとミサキが手をつないだまま、最寄りの電停まで駆け出していく。道路のあちこちには灰色に濁った水溜りができていて、雨の雫が無数の波紋を浮かび上がらせていた。清掃された道路の脇には宇宙から降ってきたプラスチックゴミの燃えカスがうず高く積まれ、焦げ付いた匂いと酸味がかった匂いが雨がもたらす湿り気に混じって二人の鼻にまとわりついた。様々な惑星の言葉で書かれた包装紙や熱で変形したペットボトルの隙間からは、尾が二股に分かれたトカゲが顔をのぞかせ、二人の足音に驚き再び姿を消した。住宅街を抜けたところに位置する電停にはすでに一両編成の電車が停車していて、まさに駅を出発しようとしているところだった。


「運転手さーん! ちょっと待って!」


 ガスの抜ける音を立てながら扉を閉めた電車に向って、ミサキが手を振りながら大声で叫ぶ。乗客の一人が駆け寄って来る二人に気が付き、気を利かせて運転手に何かを伝える姿が見える。電車は駆動音を周囲に轟かせながら再び前方の扉を開いた。ミサキとユキエが電車に乗り込む。閉じた傘の先端から灰色の水滴が垂れ、床に水の溜りができる。ギリギリセーフとミサキがユキエにピースサインを向け、ユキエは運転手にありがとうございますとお礼を言う。


「大人と子供一名で、銀河ターミナル前までお願いします」


 若い運転手が愛想のいい笑顔を浮かべながら運賃を受け取る。前方の扉がゆっくりと閉じていき、電車が小刻みに揺れながら動き出した。吹き出してくる汗をハンドタオルで拭きながら、ユキエとミサキが窓を背に、繻子のロングシートに腰掛ける。狭い1両の電車の中には十人程度の乗客が乗り合わせていた。ユキエがふと電車の奥を見ると、先程二人の姿に気が付き、運転手にそれを伝えてくれた男の人と目が合う。ユキエがぺこりと頭を下げると、彼もはにかみながら頭を下げ、ポケットから取り出したイヤホンを耳にはめて目を閉じた。


 ミサキが座席の上に膝乗りし、窓の外へと身体を向ける。ユキエも身体を捻り、ミサキと一緒に窓の外の風景に目をやった。うっすらと宇宙ゴミが積もったレールの上をガタガタ小刻みに揺れながら走っていく。先程よりも雨脚は弱くなり、分厚い曇天の向こうに、双子の恒星を囲む光の暈が透けて見える。糸のように細い雨の中には細かいゴミの破片がひらひらと雪のように舞っている。


 宇宙暦が始まって以降、指数関数的速度で交通網を発達させている銀河鉄道。そんな縦横無尽に宇宙空間を走る銀河鉄道の窓から投げ捨てられたゴミは宇宙空間を漂い、長い長い旅路を経て、やがてこの惑星へとたどり着く。それは車内販売で買ったお菓子の包装紙であったり、飲みかけのボトルであったり、次の降車駅では持ち込み自体が禁止されている植物であったりした。銀河鉄道を動かす人工風と宇宙空間内のプラズマ風が複雑に入り乱れ、誰かに捨てられた宇宙ゴミがいずれこの惑星へと誘われる。暗くて寒い、荒涼とした宇宙空間の中では、きっと誰かと一緒にいたいと思わずにはいられないのだろう。電車の窓に張り付いた焦げ付いたプラスチックの破片を指でなぞりながら、ユキエはふとそんなことを考えた。


「お姉さんとお出かけ?」


 ミサキの隣に座っていた老婦人が話しかけてくる。皺の浮かぶ顔を上品にほころばせ、口元からは白く透き通った歯をのぞかせていた。


「残念だけど、ユキエちゃんはまだお姉ちゃんじゃないんだよね」

「あら。まだってどういうことかしら?」

「ユキエちゃんはお兄ちゃんの彼女なんだよね。だからまだってこと。だけどまあ、あと数年くらいしたらちゃんとしたお姉ちゃんになるのかな」


 老婦人があらあらと口に手をあてくすくすと笑い出す。ユキエは耳を赤くさせながら「からかわないでください」とミサキを小突く。「若いわね」とユキエを茶化すようにささやく。


「え~。ユキエちゃん、私のお姉ちゃんになるのがそんなに嫌なの?」

「ミサキちゃんは大好きですけど……。シュウジくんも私もまだ二十代前半ですし、まだそういうことはなかなか……」

「だめよ、そんな悠長なこと言ってちゃ。二十代なんてあっという間に過ぎちゃうんだから。男性の方から何もしてこないなら、もっと自分からグイグイと行かなくちゃ」


 そのタイミングで電車がガタンと縦に揺れて停車する。陸地と湖畔の境界に停まった状態で、足元からギーコギーコと歯車が回る音が聞こえ始める。やがて、車体は進行方向方面に斜めに傾き始め、湖畔に浮かんだレールの上を左右のスクリューを回転させながら進んでいく。ゴミと油が浮かぶ灰色に濁った湖に、泡が混じった航跡波が浮かんでは消えていく。ミサキは電車の窓のサッシに手をかけ、顔を窓にくっつける。先程まで電車が走っていた陸地はすでに遠くに離れ、ぽつりぽつりと小島が浮かぶだけの静かな水上を、電車が線路に沿って進んでいく。


 外からごぉーという振動音が聞こえてきて、少しだけ開かれた上窓から生暖かい風が吹き込んでくる。ユキエが音の鳴る方へ目をやると、遠い陸地の岬に、田舎の惑星にはちょっとだけ場違いな、銀河最大規模を誇るごみ焼却炉がそびえ立っているのが見えた。宇宙裁判でこの惑星に対する作為義務が認定された銀河鉄道会社が、数年前に完成させた最新の施設。白磁色で横幅が広い円塔の形をしていて、その上には数本の煙突が建てられている。バースデーケーキの上に刺されたロウソクのようにも見える煙突からは、ピンクと藍色が混じった煙が絶えず吐き出され、曇天の空へと吸い込まれていった。


「来月ね、あのごみ焼却炉に工場見学に行くんだよ」

「そうなんですか、楽しみですね」

「だから、何か要らないものがあったら言ってね。私がついでに燃やしてきてあげるから」

「や、止めてくださいよ?! そんなことしたら怒られちゃいますからね!」


 冗談だよとミサキがおかしそうに笑う。老婦人がバックからお菓子を取り出し、一緒にいかがと勧めてくる。湖上の停車駅に電車が止まるたび、誰かが電車を降り、代わりに誰かが電車に乗り込んでくる。前方の壁に設置された電光掲示板に次の停車駅が表示され、すぐに宇宙旅行会社の広告映像へと移り変わる。湿気が混じった空気が窓から入り込んでくる。少しだけ離れた場所で、片目が潰れた淡水鯨が浮上し、大きな水しぶきを上げた。湖上に漂っていた対宇宙製スーツケースが波に飲み込まれ、そのまま姿を消す。波に煽られて電車が大きく揺れ、バランスを崩しかけたミサキの身体をユキエが反射的に抱き寄せる。


 一時間ほどかけてようやく電車は銀河ターミナル前に到着する。小島に建てられた駅舎の向こうには、人工島の上に建てられた銀河ターミナルと、その建物までを繋ぐ真っ直ぐに伸びた橋が見えた。数人の乗客とともに、ユキエとミサキが電車を降りる。音を立てながら扉が締り、電車が発進していく。ミサキが車内の老婦人に手を降ると、彼女もまた微笑みを浮かべながら手を振り返す。老婦人と電車はそのまま小さくなっていき、やがて、水平線上の小さな点となった。


「もう雨も止んでますね」


 ユキエが手のひらをかざし、つぶやく。二人は開きかけた傘を閉じ、銀河ターミナルまで続く橋を並んで歩いていく。水気をたっぷり含んだ木製の床板を踏むとじわりと灰色の水が滲み出した。橋の支柱の回りには宇宙ゴミが溜まり、その回りの水面には粘度の高い油でできた透明の膜が張っていた。


「ところでさ、ユキエちゃんはお兄ちゃんのどこが好きなの?」

「何度も言ってますけど、それは秘密です」

「そろそろ教えてくれてもいいじゃん。ケチンボ」

「恥ずかしいから教えません」


 ミサキの肩に空から降ってきたプラスチック片の燃えカスが舞い落ちる。ユキエが右手でそれをそっと払いのけてあげる。ふわりと燃えカスが宙に舞い上がり、風に乗って湖の方へと流されていった。


「こういうゴミばっかりの田舎の惑星だからさ、もっとこう、甘いものに飢えてるわけですよ。同じ学校の男子はガキばっかりだしさー。そういう話が全然できないんだよ」


 ミサキが右手に持った傘をブラブラと揺らす。先っぽに付いた水滴が二、三粒、弧を描いて飛んでいく。


「大丈夫ですよ。卑屈にならずに前向きに生きてさえいれば、きっといつか素敵な人と出会えますよ」

「えー、何それつまんない。そんな簡単なこと、誰でもできるじゃん」

「ミサキちゃんもいつかわかりますよ」


 上空から大きな汽笛が聞こえてくる。二人が顔をあげると、真っ黒に塗装された列車が雲を突き抜け、銀河ターミナルめがけて下降しているところだった。出かけたときにはあんなに分厚かった曇天の雲はいつの間にか薄くなり、雲の切れ間からは双子の恒星の陽光が、光の柱となって灰色の湖へと照射されていた。もう一度列車が大きな汽笛を鳴らす。差し合わせたようにさらに雲の切れ間が数個現れ、光の柱がその数を増やしていく。灰色の湖に真珠をばらまいたような光の粒が瞬き始める。


「あ! お兄ちゃんが乗ってる便じゃない!?」


 ミサキがユキエの方へ振り返り、満面の笑顔で列車を指差す。それからユキエの手を取り、銀河ターミナルへ向かって走り出した。


「転んじゃいますよ!」


 ミサキがはしゃぎ声をあげながらユキエの手を引っ張る。すれ違う人たちが微笑みを浮かべながら道を開け、二人を見送る。透明の硝子でできたターミナルの天窓がゆっくりと開かれる。銀河鉄道が内部へと姿を消し、それから、到着を知らせるための一際大きな汽笛をけたたましく鳴らした。


 二人が銀河ターミナルのエントランスに入ったそのタイミングで、正面に位置する到着出口からつい先程この惑星に降り立った人々が姿を表し始めた。ユキエとミサキはターミナルの支柱に背をもたれかけ、出口から出てくる人を一人ひとりじっと観察した。銀河の中枢から離れた小惑星であるため、降りてくる人間はまばらで、少ない。ビジネスキャリーを引きずりながら足早に出口へと急ぐ人、旅行帰りで都会の雰囲気が抜けきれていない人、そして出口付近でキョロキョロと周囲を見渡し、探し人が見つかった途端、顔を大きくほころばせる人。様々な人達が様々な理由を持ってこの惑星に降り立ち、そしてそれぞれが目的とする場所へと向かっていく。


「なかなか出てこないね」

「そうですね」


 車椅子に乗った老人とそれを押す息子らしき人が出口から現れ、それと同時に職員が金属のポールを移動させて到着出口を封鎖する。さっきまで賑わっていたエントランスから波が引いていくように人の姿が消えていく。ミサキがユキエの方をおずおずと見上げる。ユキエは優しい微笑みを浮かべながら、ぽんと片手をミサキの頭に乗せた。


「大丈夫ですよ。乗り遅れたか何かで、一つ遅い便に乗ってくるだけですから。きっと」


 ミサキがそうだねと微笑み返す。喉乾いたからジュース買ってくる。ミサキはユキエからお金を受け取り、奥にあるソファースペースに設置された自動販売機へと駆けていく。雨で濡れたミサキの靴がセラミックタイルの床をこすって、キュッキュと音を鳴らす。ユキエはミサキの小さな背中を見送りながら、少しだけ拳を握りしめる。それから、もう一度だけ到着出口の方へと視線を向けた時、ユキエの肩にぽんと手が置かれた。ユキエは振り返り、少しだけ驚いた表情を浮かべた後で、春風のようなため息をつく。


「一つ早い便に乗ってくるなら、そう言ってくれたらいいのに。そういうところ全然変わってないですよね」


 ユキエが荷物でふさがった恋人の右手にそっと手を伸ばす。先程より早いテンポで、ミサキの足音が聞こえてくる。手と手がふれあい、ほんのりと湿った温もりが伝わってくる。


「おかえりなさい」


 ガラスの天井から双子恒星の陽光が差込み、ターミナル内が柔らかな光で包み込まれた。

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