外来魚 ~おつまみホラー~
こんなに水面を見つめたのは、子供の頃以来かもしれない。
あの頃はザリガニ釣り、今は写真である。
本格的な一眼レフカメラを購入して、世界が一気に広がった。何気なく見ていた風景も、カメラで切り取ると別の顔を見せる。
すっかり趣味にはまった自分にとって、徒歩圏内にある自然公園は絶好の撮影スポットだった。
その公園には大きな池があり、そこを源流とした川も流れている。川をさかのぼりながら公園を目指すと、都会とはいえそれなりの自然を楽しめるし、撮影しながらの散歩にもちょうどいい距離である。
それもまた、その公園に足繁く通うようになった要因だった。
その日もカメラを片手に、公園目指して散歩をしていた。
川辺でアオサギが魚を追い、鵜が弾丸のように泳ぐ。スッポンはのんびりと甲羅干し中だ。
今目の前を通り過ぎたのはカワセミだ。コゲラが木をつつく音も聞こえる。
こうして意識して見てみると、以外なほど生き物で溢れている。
すれ違う人たちは、川面などほとんど見ていない。
自分の生活圏内にどんな生き物が暮らしているのかなんて、きっかけでも無い限り気になどしないものだ。
ほらでっかいナマズだ。あれは外来種だろうか? あのぬるっとしたやつは雷魚だな。ヘビも以外といるもんだな。おや、あの排水口にいるのはタヌキじゃないか? カメはいつ見てもかわいいな。
お、水草がぐわぐわと揺れているな。あそこには何がいるんだろう?
水底には金魚藻を始めとする水草が繁茂している。水質がいいのか、艷やかな緑色をして、陽光にきらめいていた。
大きな鯉か? それとも水鳥でも顔を出してくるのかな?
身を乗り出すような気持ちで見つめていると、水草に絡みつくように何かが現れた。
見たことのない生き物だった。
モスグリーンの体に、目も鼻も無い。丸く空虚な口だけをもち、円筒形の体をくねらせるそれは、一匹だけではなく数匹が群れているようだった。
例えるなら、寸詰まりなうなぎだろうか。いや、コイノボリのフキナガシだ。
モスグリーンのフキナガシの群れだ。
バシャバシャと音がするが、何が起こっているのかわからない。水草を食べているのか、それとも隠れた獲物がいるのか。その場でぐるぐると絡み合う姿は、黒雲を巻き込む竜巻のようだ。
慌てて望遠レンズに付け替えをしているうちに、水面は静まってしまった。
興奮していたので長く感じたが、実際は数秒の出来事だったのだろう。もはやあの生物の痕跡は無かった。
しかし、一度気づいてしまったせいか、実はそれなりの頻度で姿を現していることがわかった。
一瞬から数秒、ぐるぐるぐると渦巻いて消える。予兆に乏しいので捉えづらいし、知らなければ鯉やナマズが体をくねらせただけにも見えるだろう。
だが確かに、フキナガシはいるのだった。
興奮と異質感にとらわれながら、いつしか公園にたどり着いていた。
狐につままれたような気持ちで公園を歩いていると、ひょうたん池の石橋の上に人だかりができていた。
青いプラスチックの桶や水槽が並べられ、まるで夜店のようだった。
のぼりには「外来種調査」と書かれている。
このところあちこちで見る言葉だが、こういうのは大好物である。
定番のアメリカザリガニにブルーギル、カダヤシにウシガエル、ミシシッピアカミミガメも。
最近は鯉やクサガメも外来種扱いらしいが、ちょっと手を広げすぎじゃないかと思わなくもない。
在来種もたくさん捕まえられていた。
テナガエビにスジエビ、ウキゴリにモツゴ、トウヨシノボリ。タガメやタイコウチもいる。
小さな水族館のようだ。子どもたちに混じって楽しんでいると、ふと目の端にフキナガシが映った。
ひょうたん池の中である。
ここにもいるのか、と目線を上げると、同じ方向を見ているひとがいる。
ゴム製の胴長に、泥だらけの袖。夜店の店主のように椅子に座り、ニコニコと子どもたちの相手をしていた初老の男性である。
今はなんとも言えない顔をしていた。
それもすぐ向き直り、またニコニコと説明をしている。
白髪に豊かな白ひげ、サンタさんのような容貌に親しみを感じる。
このひとなら話を聞いてくれるのではないだろうか。
こういった調査を行うぐらいだし生物にも詳しいだろう。このもやもやした気持ちを晴らすには、絶好の機会に思えた。
とは言え、人目も多い。自分でさえ信じられない荒唐無稽な話をするのは躊躇われる。
どうしようかと逡巡していると、男性が席を立った。どうやら仕掛けた罠を確認しにいくようだ。
この機会を逃すものかと後を追い、声をかけた。
「あの、すみません。いきなりこんなことを聞いて申し訳ないのですが……。」
私はあのモスグリーンのフキナガシについて説明し、あんな生き物は存在するのかと尋ねた。
相当おかしな質問だろうに、男性は嫌な顔ひとつしない。どころか、「あれをフキナガシと呼びますか。なかなかいい名前ですね。」と笑ってさえいる。そして、あの生き物を知っているのだそうだ。なんだか拍子抜けしてしまった。
「あれの名前はなんというのですか?」
「それが分からないんですよ。ヌタウナギに似てるので、私は勝手にウソヌタなんて呼んでますがね。」
そんなことを飄々と言う。
「するとあれは珍しい外来種なんですか?」
「いや、あんな生き物いないですよ。どの図鑑にも載っていません。あなたカメラをやりなさるようだが、撮ってみましたか?」
「いえ、まだ。」
「写りませんよ、あれ。」
満面の笑みだ。
呆気にとられている僕を尻目に、彼は滔々と語りだした。
「ここ5年くらいですかね、見始めたのは。仲間内でも見てますよ。最初はなんだなんだと捕まえようと躍起にもなってみたんですが、しっぽもつかめない。罠もだめ、死体さえない。」
「この池、この前かいぼりしたでしょ? 流石にそんときには痕跡ぐらいは見つかるだろうと思ってたんですが、まあ何にもない。」
「極めつけに、カメラにもビデオにも写らないときたもんです。こうなったらどうしようもない、お手上げですよ。」
「標本や画像さえないので同定もできない。新種かどうかさえわからないんですよ。確かに目で見て確認できているのに、学問上はいないってことになるんです。」
「幽霊生物、ですな。」そう言ってにやっと笑う。
そしてそのまま、罠のもとに降りていってしまった。
これには参った。想像もしていなかった答えだ。
証拠が残らない、それはなんと厄介なことだろうか。
眼の前にいるのにそれを証明する術がない。彼は幽霊と表現したが、私には妖怪のように思えた。生々しすぎるのである。
あれが何をしているのかも分からない。ただ、何かを食べているように思える。直感だが、とても大事なものを。
なんだかじわじわと内臓を内側から食い破られているような気になってきたが、それを他人とどう共有していいのか分からない。
厄介だ、ああ厄介だ。駆除すらできやしない。
あれがこれ以上増えないことを祈るのみだ。