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1.忘れてしまった人

 


「……ただいまー」

「あら絵馬ちゃん、おかえりなさい。遅かったじゃないの。お腹空いてるでしょ、ご飯できてるわよ」

「ありがとう、ママ。でも今はお腹減ってないから……また明日食べるね」

「?」


 家に帰りついた頃には、時計の針は午後九時を回っていた。

 まもりさんの検査が思ったより長引いたのだ。


 帰りは例のごとく流星さんが車で送ってくれた。

 ついでにコンビニに寄ってオニギリやらサンドイッチやらも買ってくれた。

 相変わらず物腰は荒いけれど、根は世話好きな人なのだということがよくわかる。

 以前まもりさんが言っていた通りだ。


 きっと、不器用な人なのだ。

 見た目からはわかりにくいけれど、流星さんはきっと誰よりも繊細で、まもりさんや私のことを常に気にかけてくれている。


 だからこそ――迷った末に、『あの話』を私に打ち明けてくれたのだ。


「…………」


 私は自室のベッドへ倒れ込むと、そのまま静かに瞳を閉じた。


 そして先ほどの、病院での流星さんとの会話を思い出していた。






       〇






「まもりには記憶がねえんだ」


 開口一番に告げられたのは、そんな言葉だった。


「記憶が、ない?」


 私はミルクティーの缶を握りしめたまま、恐る恐る聞き返した。


 途中、看護師の女性が近くを通りかかったのを見て、流星さんは少しのあいだ口を噤んでいた。

 そうして女性が遠くまで離れると、彼は再び口を開いた。


「あいつが今まで、人の記憶を何度も消してきたことは前に話しただろ? 友達も、知り合いも、みんなあいつのことを忘れちまった。そして……まもり自身も、魔法の代償で記憶を失くしちまってるんだ」


「! そんな……」


 魔法の代償で、まもりさんも記憶を失くした。


 考えてみればそうだ。


 魔法を使うには代償がいる。

 周りの人がまもりさんを忘れたように、彼自身もまた記憶を失くしてしまっているのだ。


「まもりが周りの人間の記憶を消したのは、一度や二度の話じゃねえ。今まで何度も、あいつは人の記憶を消してきた。そうやって……周囲の人間との関わりを、何度も絶ってきたんだ」


 何度も何度も、まもりさんは周りとの関係を絶ってきた。

 そしてその度に、彼自身も記憶を失っていたのだ。


「そんな……。それじゃあまもりさんは、友達も、知り合いも、誰のことも覚えていないということですか?」


 もともと別の街に住んでいたから、この辺りには知り合いはいない――とまもりさんは言っていたけれど、あれは実はそうじゃなくて、ただ彼が過去のことを忘れているだけではないのだろうか。


「友達だけで済めばいいけどな。あいつは……自分の家族のことすら覚えてねえんだよ」


「! ……」


 その事実に、私は驚愕した。


 家族のことすら、覚えていない。


 魔法を使ってしまったことで、彼は友人どころか、家族の記憶すら失ってしまったというのだ。


「ど、どうして……。流星さんのことは覚えているのに、どうして家族のことまで忘れてしまったんですか?」

「俺がそうしろって言ったんだ」


 私が次の質問を投げかけるより先に、流星さんは改めて私の方を向き直った。


 すらりと背の高い彼の身体が、まるで壁のように私の前にそびえていた。

 その迫力に、私は気圧されそうになった。


「あいつは人が良すぎるんだ。自分の周りで困っている奴がいると、あいつはいつも簡単に魔法を使っちまう。あいつが無事に生きていくためには、孤独にさせておくしかない」


「それは……」


 誰かがそばにいることで、まもりさんはいつか死んでしまうかもしれない――それは確かに、私も否定はできなかった。

 けれど、


「で、でも。それじゃあまもりさんは、ずっとひとりぼっちになってしまうじゃないですか。友達だけでなく、家族のことまで忘れてしまうなんて……。確かに一人でいれば危険は少ないかもしれないですけれど、でも、それではまもりさんは、これから先もずっと寂しい思いを――」


「ならお前は、あいつが死んでもいいって言うのか?」


「!」


 その問いかけに、私は全身を硬直させた。

 何か応えなければ、と思うものの、口元が震えてしまってうまく声が出せない。


 そんな私を見て流星さんは、


「……悪い。嫌なことを言ってるよな、俺」


 と、気まずそうに目を逸らした。


 私は何も答えられなかった。

 けれど、彼の言いたいこともわかっているつもりだった。


 まもりさんに無事に生きていてほしい――と、そう思うのは私も同じだったから。


「言い訳するつもりはねえ。あいつがこうなったのも、全部俺のせいだ。あいつが魔法の報いを受ける度に、俺が気に病むから……だからあいつは、俺の思いを汲んで、周りとの関係を絶ったんだ。そうすることで、俺の不安が解消されるから。……ただ――」


「ただ?」


 流星さんは私の隣へ座り直すと、斜め下を向いたまま、いつになく力のない声で言った。


「一番最後に記憶が消えたとき――今から二か月くらい前だったか。あのときだけは、まもりは俺の意思とは関係なく、自分の判断だけで記憶を消したんだ。そしてそのときのことを、あいつは後悔している」


 二か月前。

 というと、私がまだあの店の存在を知らなかったときのことだ。


「後悔している……って、記憶を消してしまったことを、ですか?」


「たぶん……。まあ、細かいところまではわかんねーけどな。何せ魔法を使った当人の記憶があやふやになっちまってるんだから」


 言いながら、流星さんはがしがしと頭をかいた。


「ただ、これだけはわかる。あいつが今回失くしちまった記憶の中に、あいつが一番大切にしていた人間の記憶が含まれていたんだよ」


 まもりさんにとって、一番大切な人の記憶。


「それって、もしかして――」


 脳裏で、まもりさんの声が蘇る。


 ――僕は、人を待っているからね。


 間違いない、と思った。


「まもりさんがずっと待っている人って、その人のことなんですか?」

「たぶんな」


 その返答に、私は胸が苦しくなった。


 まもりさんが待っていたのは、まもりさんにとってとても大事な人。

 だけれど、その人のことをまもりさんは忘れてしまっている。


「会いたいって感覚だけが残ってるんだろう。魔法の代償で、一体どれだけの人間の記憶を失ったかは知らねえが――」


 言いながら、流星さんは瞳だけを動かして、私の顔を睨むように見る。


「俺は……あいつが待っているのは、お前のことじゃないかと思ってる」


 

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