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1.雨の日の落とし物

 

 その日は、小さなぬいぐるみを失くした。

 高校の制カバンにぶら下げていた、テディベアのストラップ。


 いのりちゃんから貰ったものだ。

 去年の私の誕生日に、彼女がその手で作ってくれた。

 私の宝物。


(ない……。どこかで落とした? 確か学校を出るときはまだ付いていたはず……)


 気づいたのは、帰宅してすぐのことだった。

 なんとなくカバンが軽いな、とは思ったけれど。


 まさかよりによってコレを、このタイミングで落としてしまうなんて。




 すぐさま家を飛び出した私は、もときた道を小走りで戻った。

 どこかで落としたのなら、この道なりにあるはず。


 幸い、家から学校までは歩いても三十分ほどの距離だ。

 急いで探せばきっと見つかる――と、甘く見ていた私がバカだった。


 かれこれ二時間ほどは探しているけれど、ストラップの姿は一向に見当たらない。

 西の空は段々と赤みを帯び、辺りは少しずつ暗くなっていく。


「な、なんで……」


 思わず泣きそうになった。


 すでに通学路を二往復した私の足は震え始めていた。

 走るのに疲れたからというよりは、悲しくて仕方がなかったからだ。


 よりによって、このタイミング。


 いのりちゃんとは昨日、生まれて初めての大ゲンカをしたばかりなのだ。


 幼い頃からずっと一緒だった私たちは、たまに軽い言い合いはすることがあっても、ここまで大きなケンカをしたことはなかった。


 そして、今日もまだ仲直りはできていない。


 このタイミングで、彼女からの大事なプレゼントを失くしてしまった。


 毎日カバンにぶら下げていたストラップを、ケンカしてすぐに外してしまう――それはきっと、いのりちゃんからすれば、私の挑発行為にしか見えないはずだ。

 早く仲直りがしたいと思っている私の本心とは正反対の行動である。


(悪いことって、どうしてこう重なるのかな……)


 運が悪い、なんて思いたくはないけれど。

 それでも神様を呪わずにはいられなかった。


 溜息を吐いてから天を仰ぐと、ぽつりと鼻先に水滴が落ちてくる。


(もしかして、雨?)


 このタイミングで、雨が降ってきた。

 凹んでいる私に追い打ちをかけるような、ちょっと強めのにわか雨。

 容赦のない水責めに、髪も、制服も、すべてがずぶ濡れになる。


 今朝の天気予報では、今日は雨が降るなんて一言も言っていなかったのに。

 梅雨入りだって、まだ数日は先のことだと言っていたのに。


「……うぅ……っ」


 あまりの仕打ちに耐え切れなくなって、私はついに涙を零した。

 その場にうずくまり、膝に顔を押し当てる。


 情けない。

 高校一年生にもなって、路上でひとりで泣いているなんて。


 昔からそうだった。

 困ったことがあると、すぐに泣いてしまう。


 泣いても仕方がないのはわかっているのに、勝手に涙が溢れてきてしまう。

 こんな子どもみたいな姿、誰にも見せたくはないのに。


 けれど、幸か不幸か、この辺りはひと気が少ない。


 道の横には、暗い森の入り口がある。

 閑静な住宅街の中で、ここだけが異様な雰囲気を放っている。


 森の奥には、廃墟と成り果てた空き家がいくつもある。

 中には肝試しに使われるような薄気味悪い洋館もあって、普段はあまり人が寄り付かない。


 この場所でなら、少しくらい泣いたって誰にも気づかれないはず。


 と、そう思っていた、そのとき。


「大丈夫?」


 声が降ってきた。


 優しげな声。

 男の人の――。


(……誰?)


 私はそろそろと顔を上げた。


 すると、そこに見えたのは知らない顔。


 線の細い、中性的な顔立ちをした、大学生くらいの男の人だった。

 一瞬女の人かと思うくらいのきれいな人。

 ほんのりと垂れ下がった目尻が、どこか儚げな雰囲気を漂わせている。


 身なりは白いシャツに黒いパンツ。

 腰にはエプロンを掛けているので、どこかのお店の人だろうか。


「どうしたの。何か悲しいことがあった?」


 名前も知らないその人は心配そうにこちらの顔を覗き込み、そして、手にした傘をこちらへ傾けてくれる。


「……あ、え……。ええと……っ」


 いきなりのことに緊張した私は、顔面がカッと熱くなるのを感じた。


 泣き顔を見られた。

 うずくまって泣いているところも。


(は……恥ずかしい!)


 思わずその場に立ち上がり、情けない顔を隠すようにしてすぐさま背を向ける。


「なっななななっなんでもないです!」


 すかさず逃げ出そうとした私に、


「待って」


 彼はそう言って、私の右手をそっと掴んだ。


「そのままじゃ風邪をひいちゃうよ。まずは身体を拭かなきゃ。すぐそこに僕の店があるから、おいで」

「え……?」


 言い終えるが早いか、彼は私の手を引いて、森のある方角へと足を進めた。


「えっ、えっ……。あ、あの、一体どこへ?」

「この奥だよ」


 彼の視線の先にあるのは、薄暗い森。奥に見えるのは、古びた洋館。

 その外壁はあちこちの塗装が剥がれ、さらには伸び放題の植物が絡みついている。


 通称・お化け屋敷。

 夏には肝試しの舞台となっているその洋館に向かって、彼は進んでいく。


「えっ、あの。もしかして、ここに入るんですか?」


 まさかの展開に、私は声をひっくり返らせた。


 お店、と彼は言っていたけれど。

 これはどう見てもお店じゃないし、ましてや普通の家でもない。


 こんな怪しい場所に連れ込んで、まさかとは思うけれど、怪しい薬を売りつけようとか、何か良からぬことを企んでいるのでは――なんて邪推していると。


「……ん?」


 足元。

 洋館の入口横に立てられた、小さな看板が目に入った。


 『OPEN』――と、黒板になっている表面にはそれだけ書いてある。


(……何がオープン?)


 その小さな立て看板を見下ろしながら、私は首を傾げた。


 薄暗い森の奥に建つ、ボロボロの洋館。

 と、そこに添えられた『開店』を示す文字。


 あまりにも不可解な光景に、私の頭はハテナで埋め尽くされる。


 けれど、私の手を引く彼はおもむろに洋館の入口を開けて、


「さあ、どうぞ。すぐにタオルを持ってくるから、中でゆっくりしててね」


 言いながら、部屋の奥を指し示した。


 私は恐る恐る中を見渡す。


 中は思ったよりも整頓されている――ように見えたけれど、ただ単に物が少ないだけで、床や壁はひどく汚れていた。


 だだっ広いフローリングの部屋に、四席のテーブルがある。

 洒落た造形のそれは磨けば光りそうではあるけれど、長年手入れされていないのか、そのあちこちに錆びや染みが目立つ。


 天井からぶら下がった照明は割れていて使えそうにない。


 窓が大きなガラス張りになっているので、そこから光は入ってくるけれど。

 それでも、外は高い木々に覆われているので、木漏れ日程度にしか光は届かない。


「ここが……お店?」


 正直なところ、廃墟としか思えない。

 しかしテーブルとイスが並べられているところを見ると、飲食店か何かだろうか。


 私は呆気にとられながらも周囲をきょろきょろと見渡す。


 そうしているうちに、彼はどこからかタオルを持って戻ってきた。


「よかったら座ってね。今、お茶を淹れるから」


 タオルを私に手渡すなり、彼はそう言って奥のキッチンへと向かった。


 半ば放心していた私は、そこでハッとした。


 飲食店(?)でお茶をいただくということはつまり、お金が発生する。


「! す、すみません。私、手ぶらで……今はお金を持っていないんです!」

「お金?」


 きょとん、とした顔で彼はこちらを振り返った。


「なに言ってるの。お金なんかいらないよ」

「え? でも、ここってお店なんじゃ……」

「うん。確かにここはカフェだけれど、君は僕が勝手に連れてきただけだからね。お金なんか取らないよ」

(カフェ……!?)


 お金なんかいらない――という彼の優しさを差し置いて、私の意識は真っ先に『カフェ』という言葉に驚愕していた。


 

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