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6.イヴリンとザリーシュの過去③

 

 ある朝、がばりとイヴリンは目を覚ます。

 地面から伝わるわずかな振動は、これまで感じたことのないものだ。


「東から、何かが来る……」


 ダークエルフは飛び起き、すぐ近くの樹木から顔を覗かせた。遠くの森からは鳥たちが大量に飛び立ち、その向こうからザワついた空気が届く。


「なんだろ……、嫌な感じだ」


 ぐいとローブを口元まで覆い、それから寝床を片付け始めた。



 正体を探るため森から森へ伝うよう移動をし、眼下を見下ろしてから理解した。

 どろどろと畑地を避けて進む一団は、装甲をつけた騎馬隊だ。彼らは次々と森から溢れており、一本の矢に似た隊形でこちらの防衛陣を貫こうとしている。


「戦争か……」


 何度か見たことのある光景だが、攻め込まれる感覚は初めてだ。この地域は気候が落ち着いており、滞在しているうち愛着を持つようになってしまった。


 逃げ出す兵士をあちこちに見かけるあたり、恐らくかなり不利な状況だ。地平線の向こうから煙はあがり、畑地を焼かれる匂いに人々は逃げ惑う。恐らくはどこへ逃げても安全地帯は無いだろう。


 何もできない悔しさを胸に、そっとイヴリンは離れることにした。



 この日、唐突に両国の同盟は破られた。

 ザリーシュの祖国は領土を広げるべく、政略結婚のため彼を預けていた最中、侵攻を開始したのだ。


 民が驚くのも、防備が十分でないことも理由がある。2つの国はつい先日まで共同遠征を成功させたばかりであり、切って返す勢いで同盟国を飲み込もうとしているのだ。



 もはやこの国から逃げるべきだろう。

 軍隊を相手にダークエルフの出来ることなど無い。

 しかしそのような理性的な考えを無視し、茂みを縫うようにしてイヴリンは城へ向けて駆け続けていた。


 薬指にはめられた指輪は、木漏れ日を受けて鈍く輝く。


 ――純愛の果実エディロファ


 愛の目覚めたとき、この物質具現化のファーストスキルは効力を定めるらしい。

 導かれるよう、彼女は城を眺められる丘までひた走る。そこにはザリーシュという青年がいるはずだ。せめて彼が無事かどうかだけでも確かめたい。


 そのような折に、左手からぞろりと現れた敵兵たちへ、イヴリンは慌てて大木の陰へと隠れた。馬上の彼らは金属鎧を鳴らし、幸い気づかれることなく駆けている。

 もうこんな場所まで来ているのかと驚愕し、息を聞かれないよう袖で口元を覆う。


 百名足らずの兵士らは、イヴリンと同じ場所を目指していたらしい。つまりは城を眺められる丘までたどり着き、続々と馬から下りてゆく。

 様子を伺っていたイヴリンの耳へ、兵士らの声が響いた。


「参謀殿、あちらを!」

「……ふん、ようやくザリーシュ殿下との再会か」


 彼らの会話に、慌ててイヴリンは大木から顔を覗かせ、眼下を見下ろす。すると大きく丸い塔の連なる城が見え、その高い場所に立つ青年ザリーシュの姿を捉えた。しかし両手は枷に封じられており、周囲の兵士から槍を向けられているのは……どういう事だ。


 彼の領地であるはずなのに、なぜ仲間から囲まれているのだろう。まるで人質のような扱われ方に、イヴリンは激しく混乱させられた。

 そんな中、参謀と呼ばれた男はあごひげを弄りながら口を開く。


「はっ、まだ人質になると信じているのか。まったく、政略結婚を信じるなどおめでたい奴らだ」

「どうされます、本隊を待ちますか?」


 張り詰めた兵士の声にも、その男は冷淡な表情を見せる。

 そして彼らへとこう命じた。


「射て」

「はっ? しっ、しかし!」

「生きているほうが面倒な男だ。滅ぼした国の血を残した廃皇子だぞ。憂いを残さぬよう確実に始末しろと王直々のご命令だ」


 男の言葉にイヴリンは目を見開いた。

 そういえばと思い出すのは、ずっと前にザリーシュの言っていた言葉だ。高貴な血は流れているものの、王位から絶望的に遠いこと。そして戦争でも無ければ評価をされないだろうという境遇……。


 ――俺は、ダークエルフとあまり変わらない。疎まれ、嫌われ、恐れられているからな。


 ずっと前に聞いた彼の言葉が、鮮明に蘇った。

 だからか、と腑に落ちる部分もある。ひょっとしたら、滅ぼした国の王妃などの間にできた子だったかもしれない。

 もしそうならば帰るべき祖国はとっくに消えており、偽物の政略結婚を迎えているいま、身内からも同盟先からも疎まれる存在ということになる。


「まあ、最後に国の役に立てて、ザリーシュ皇子もお喜びだろう。……分かったら、さっさと矢をつがえろ」


(そんなの……)


 可哀想だ。ダークエルフのあたしより、ずっと可哀想じゃないか。

 ぎり、と奥歯を噛み、イヴリンは眉間へ皺を刻んだ。



 さて、彼ら精鋭の操る弓は強力だ。

 ぎぃと矢をつがえると同時に、方陣が宙へと浮かぶ。射手と強化者の連携により、弓矢として本来ある物理限界を超え、獲物めがけて突き進む代物と化す。


 どしゅしゅしゅッ!


 一斉に放たれたそれは、魚群のように空へとわずかな放物線を描き、直後に完全な直線へと変わる。向こう側も狙撃に気づいたらしく障壁展開をしたものの、最初の半分は数階層の障壁を破壊、残りは獲物へと突き刺さった。


 ばっと弾ける鮮血は、ザリーシュの左右に繋がれていた従者らのものだ。

 しかし彼はというと、ガギギ!と熾烈な矢をはじき返す。見えぬ何かにより迎撃し、手足を縛られているなか、荒い息を彼は吐いた。

 突然の奇襲により、円形の見張り塔にいた彼らは混乱をきたしているようだ。


「おっと、もう守護獣を使いこなし始めているか。これは確かに厄介な血だ」

「で、ですが、どうすれば……!」

「矢を貫通特化にしろ。しばらく打ち続ければ、そのうちくたばる。急げよ、それが済んだら城壁を食い破るぞ」


 参謀と呼ばれる男の声は、影に潜むイヴリンの胸を突き刺すものだった。

 どろどろと音を立て、近づいてくる騎馬兵団は防衛陣を突破してきたのだろう。絶望しかない状況と恐怖に、身体の震えは止まらない。


 しかしふと、こう思う。


 このまま彼の死ぬところを見て、あたしには何が残るだろう、と。

 いいじゃないか、ダークエルフが恋をしても。

 思うまま、感じるままに行動したって良いじゃないか。


 かっと目を見開き、そしてダークエルフとして与えられた特性――精霊を身へ宿すという行為を、強い心で受け入れた。


「 あたしに、宿れ、勇気ヴァルキリィ……! 」


 勇気の精霊ヴァルキリィ。

 それは煙を上げそうなほど全身を熱くし、鍛えた筋肉を膨らませる。ばさりとローブを払うと、そこには野獣的な美しさを持つダークエルフが1人いた。


 ぐるぅ、という息を吐き、吐き出されるなにか、爆発するようなエネルギーに突き動かされてイヴリンは駆け出す。


 もうだめだ、もうあたしでも止めることは出来ない。

 それくらい思えるほど、吐き出された息はひどく熱い。


 飛び出してきたことへ何人か気づいたようだが、それに構うことなく弓をつがえている彼らの喉元をじぃっと見る。


「はぐっ!」「んう゛っ!」


 反射的に投射していたナイフは、狙いはずさず弓兵らの喉へと突き刺さったようだ。血の匂いを嗅ぎ取った馬は、ヒヒィと悲鳴をあげていた。


「ダークエルフ!? どこから出てきた!」


 うるさい、と思う。

 ザリーシュを騙し続けたお前が、あたしを馬鹿にするな、と思う。


 参謀らしき男の声を背中に受け、構わず鞘から剣を抜き放つ。ほんの少し反りのある片手剣は、ぎらりと陽光に輝いた。まるで唯一の相棒のように頼もしく、しかし勇気に満ちた笑みは動物的なものとなる。


 びゅうっ!


 勘だけで頭を横へ振ると、その位置へ強烈な弓矢は貫いていった。

 すぐ近くへ死があることなど、今はまるで恐れない。


 彼を救い出す。

 たまには良いじゃないか、忌み嫌われた者同士、手をつないで逃げ出したとしても。

 それを邪魔するというのなら……。


「何奴……っ!」


 邪魔だ、騎馬兵!

 無言で吼え、身をひるがえすと騎馬兵の喉を切り裂いた。ぶしぃ、と血を吐く様子に、宙でくるりとまわってから首を蹴りつける。

 ぐらあと落ちてゆく身体と入れ替わり、そして手綱を握った。

 真っ黒なその馬は、何事かとこちらへ青みがかった瞳を向けてくる。


 ばちっ!と通じた何かは、たぶん精霊を送り込んだせいだろう。

 装甲をつけた黒馬は全身の筋肉を膨らませ、周囲へと障壁を展開して突き進む。


 ――早く、速く、もっと速く!


 後方、そして城から射かけられながら突き進み、ガリガリと嫌な音をたてて障壁はひび割れてゆく。

 重騎馬の守護展開は、そう長くもたないだろう。

 しかし、死への恐怖はほど遠い。思うのは、ただ彼のこと。


 かわいそうだ。

 誰からも迎えられず、ただ抗い続ける日々を送るなど。

 そしてこのまま何も残せず死ぬなど許せない。


 どう!と射られた馬は跳ね、それに合わせてイヴリンは跳躍をする。

 全身のバネを理想的に使い、城壁にあるわずかな突起をさらに蹴った。


 上空から射掛けられる矢を左右へ避け、全身を操っているうち身へ宿した精霊はさらに活性化してゆく。これ以上つづければ、鍛え上げた身であろうと壊れてしまうかもしれない。


 いや、それはそれで構わない。どうせ彼を救えなければ捨てても構わない命だ。

 ビキリと腕へ血管を浮かせ、城壁をつかんで乗り上げた。


 綺麗な青空の下、そこには重装兵が大きな盾をいくつも並べていた。

 びょうと風は鳴り、さらけ出した褐色肌と長耳を見て、彼らはどよめく。

 しかしイヴリンは、ほっと安堵していた。それは彼らの向こう側にザリーシュは繋がれており、ギリギリ間に合ったと分かったからだ。


「久しぶりだねぇ、ザリーシュ」

「何をしに、来た……」


 それは随分なご挨拶だねぇ。

 脇の下を、そしてグイと頭を振った位置へと弓矢は貫いてゆき、いくつもの槍が突き落とそうと迫りつつあるというのに。しかし数年ぶりの声を聞くと、ドキドキするほど高揚してしまう。


 びょうと跳躍をし、重装兵の肩を蹴って回転し、その勢いをそのままザリーシュの枷へと叩き込む。鉄の枷は封術ごとたやすく断ち切られ、そして彼はようやく自由となった。


 すぐにザリーシュは怒気を放つ。


「お、お、お……っ!」

「構わぬ、殺せええっ!!」


 即時の命令は、おそらくザリーシュを恐れてのものだ。

 彼の持つ不可思議な力、参謀の言っていた「守護獣」なるものは、剣を持たずして周囲を切り刻んでしまう。攻撃しようとする者を切り裂き、手足の自由となったいま嵐のように大型の見張り塔へ吹き荒れる。


 ぐしゃりと重鎮らしき者の頭は潰れ、見えぬ一撃により兵士らは沈められてゆく。狂乱へ、降りかかる熱い血へ、イブは呆けた頭で眺めることしか出来ない。


「ははっ、はあーーっ! 死ねえ、クソどもが!!」


 吹き荒れる嵐は、彼の憤怒と鬱屈した暗い感情を表しているようだ。

 尚も殺しつくそうとする彼を、逃げるため外へ連れ出すのは一苦労だった。


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