2.宝石たちの晩餐会①
さて、残念ながらプセリの浪費癖を止められなかった日の夜。
蝋燭を灯らせた食卓で、集まった皆は複雑な表情を浮かべていた。
ことりと皿を置くザリーシュはわずかな微笑を残し、それがまた「今夜あたりどう?」と言われているようで……なんか生理的に気持ち悪い。
それはそうで、かつての支配者である彼を怖がる者は多くいる。
こうして長いテーブルで食卓を共にすることも無かったし、逆に配膳をされる側になるなど「夢か悪夢か」と不安げな表情を浮かべてしまう。
指輪により支配されていた時の記憶は薄いものの、いつキレるか分からない爆弾のような存在……いわば封印された悪魔という印象を皆は抱えているのである。
そしてもうひとつ、身を硬直させる理由はあった。
目の前には豪華ながらも品のある料理を、かつての主人から整然と並べられているのである。きめ細かな皿の盛り付けは、専属シェフかと思えるくらいのお洒落さで、ついつい皆はこそりと小声で話してしまう。
「ええーー、アイツって、こういう趣味だったの?」
「うむむ、この繊細な盛り付けは一体……、どうやったらマッシュポテトで花飾りを作れるのですかね」
「え、この飾りってまさか黒薔薇の館だからってこと? 芸が細かすぎて気持ち悪いっ!」
かつて身に刻まれた恐怖はまだ残っている。それだけに、ギャップのひどさへ皆はつい冷や汗を流してしまう。整った金髪といい顔立ちといい、しゃんとした姿勢の良さも相まって、黙っていれば格好良いのだが。
さわさわとした空気のなか、イブはザリーシュを呼びとめ、そして嬉しげに声をかけた。
「あー、凄い凄い、よくあたしの説明だけでニホンのレストランみたいに盛り付けたねぇ。褒めたげるからこっちおいで」
にひっと女性は笑い、そして跪いた彼へとハグをする。ぽすんと胸元へ鼻を埋められ、どことなく彼も嬉しそうだ。まあ、周囲の皆は冷や汗をさらに多く流しているのだが。
「嬉しいな。まだあたしの叩き込んだ料理を忘れてないだなんて」
「ああ、爪に火を灯すような極貧のなかでも、料理の質だけは落とせなかったからな……」
光の向きのせいか、彼は一転してひどく深い苦しみを感じさせる表情になった。
2人の過去に一体何がーー!?と、皆は心のなかで声をあわせて叫んだそうな。
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ひとくち食事をとると、皆は目を輝かす。
同じ食材にも関わらず、きめ細かな味わい、そして肉のうまみを逃さない焼き方へ感心したのだ。
固めの肉は薄切りにしてからミルフィーユ状に層を作り、そして柑橘系の果実を混ぜたソースにより臭みを取り、食材の味を高めているという芸の細かさへ舌を巻く。
なにこれナニコレ、と皆は明るい声を漏らしているのだが、なかにはズンと落ち込む者もいる。例えば蛮族の女戦士、そして神族の血を継ぐ聖司祭などがそうだ。
「ヤバい、あたいが作ってたよりずっと美味しい……泣きそう」
「それを言ったらダメです! ぼ、ボクなんてパンを切るくらいしか出来ないのに……」
ああ、かつて指を傷だらけにして作っていたというのに。その圧倒的実力差を見せつけられ、2人はひっそりと涙した。
「くそー、あんなに苦労したのによぅ……」
「あっ、ダーシャほらあれ見て、あれ!」
ぐすりと鼻声で文句を言っていると、少女から前方を指差された。
「うわ、ザリーシュがすごいスッキリした顔してる!」
「えー、マジかよー、ずっと我慢してたのか。その無意味な気づかいが腹立つわー」
美味いものに罪はない。
しかし悲しきかな、不味いものには罪がある。
ぐぎぎ!と歯ぎしりをする敗北感があってこそ、彼女らは成長するのだ。たぶん、きっと。
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ぽん!
贈り物である葡萄酒の封は、小気味良い音を残して開かれる。
これは黒髪の少年から贈られたものであり、滞在を許してくれた主人への礼という意味もある。
どういうわけか、少年は手渡すとき「結局ひとくちも飲めなかったなぁ」と心の声をそのまま口から漏らしていたようだが。
ともあれ、ルビー色をした葡萄酒は館の主人であるプセリへとまず注がれ、そして皆へと順に注がれてゆく。
ほどなくして静かに館の主人プセリは席から立ち上がり、自然と皆は視線を集める。彼女は背筋を正し、落ち着いた声を広間へと響かせた。
「皆、聞いてください。これからの事について決めたいのです」
その言葉に、皆は「ついに来たか」と周囲ときょろきょろ目配せしあう。
だれもが緊張した顔つきをしているのには理由がある。指輪による支配から解かれたいま、悪夢から醒めるようにして己という自我を持つことを許された。
しかしそれぞれに境遇は異なる。
戦争孤児や奴隷として金で買われた者、道端でわけもわからず主従関係を結ばれた者、決闘により敗れた者……などなど。これから己の扱いはどうなるのか、未来への漠然としていた不安はいま明かされてしまう。
プセリは憂いある宵闇色の瞳を皆へと向けた。
「私達は彼――ザリーシュにより、ひどい仕打ち、そして空白の時間を余儀なくされました。しかし今、黒髪の少年、そしてイブの手により私達はあらゆるものから解放されました。皆さんを縛るものは何一つありません」
ほう、と一部から安堵の息は漏れる。
言外に、金で買われた者はその借金を帳消しにすると館の主人、プセリは示したのだ。
彼女からの視線に促され、傍らの褐色肌をしたイブは立ち上がる。彼女らを解放した存在として、これからのことを伝えなければならない。
「どうも。堅苦しいことは抜きで行くから」
んんっと咳払いをし、皆からの視線を集める。色とりどりの瞳を注がれ、その綺麗さには思わず息を呑んでしまう。なるほど、これは確かに宝石箱と呼ぶにふさわしい、と感じたようだ。
「自由っていうのは良い響きだけど、逆に心配になった人もいるんじゃない? 実はあたしがそうでさー、明日からどうしよって思ってる」
とほほ、と困った顔を浮かべると、共感したらしい皆は思い思いに「そりゃそうだよー」「無職だもんねぇ」と声を漏らす。
しかし、これが大きな変化だった。
自虐的な会話ながらも、思ったことをそのまま口にし、そして笑いあう。これこそが自由なのかと感じ取り、身体の奥から高揚感は湧き上がる。
それに気づいた皆は、ぱちりと瞳を丸くさせ、そしていつのまにか強張っていた肩の力は抜けてしまう。
「そういうわけで、皆でこれから暮らすとか……どう? 幸い腕利き揃いだし、ダイヤモンド隊はトップチームだからさ。それにほら、ねぇ、みんな可愛いから玉の輿だって狙い放題だよ」
握った手から親指を覗かせる様子に、意味の通じる者だけは「さすがビッチエルフ」と大きな声で笑うか顔を真っ赤にさせる。そして意味の通じぬ少女らは小首を傾げるきりだ。
そんななか、青い髪から巻き角を覗かせた女性は手を上げる。
彼女は生まれつき魔族の血を残しており、それを表すよう白目のところは黒く、さらには象牙に似た色合いの巻角を有していた。
「もっと現実的に伝えてくれ。私たちの取れる道は、ここへ残るか他の隊へ行くしか無い。そう考えていいか?」
「えーと、帰るところがあれば別だね。もし帰りたければ馬車で送っていくし、他の隊への移動を希望するならあたしが紹介をしてくるよ」
きょとりと皆は瞳を交わす。
ダークエルフである彼女は、あやうく命を落としかけたほど一番の被害者だ。なのに小間使いのよう働きたがる姿には、どこか違和感を覚えてしまう。
思い当たるものがあるのか、先ほどの巻角をした女性、イスカは戸惑いつつも声を上げる。
「――私たちに贖罪を求めてるのか? 」
「う、だって……あたしが指輪の管理を失敗したせいだし……。とても悪いことをしたなと思ってるから」
泣かないよう目を押さえ、息を詰まらせながらそう応える。
贖罪を求めているのは確かだろう。今までひどい目にあわせたぶん、彼女らを幸せにしなければきっと自分で自分を許せない。
しかし皆からの反応は意外なものだった。
「なんだ、イブを許せない奴がいたのか? ん、誰だ?」
彼女らの食卓を見渡す様子に、イブはぽかんとしてしまう。てっきり憎しみの感情を浴びせられると思ったのだ。
「そう言われると少し腹が立つかな――あいつに」
「ああ、イブは許すが、あいつは許さんぞ」
そう言われ、指差されたのは壁際に控えるザリーシュだ。
彼は申し訳なさそうな顔をしているが、それはイブによる支配のせいだろう。かつてイブ自身がそうだったように、性格というのは主人に似てしまうのだ。
がぶりと肉を食らい、悪魔との混血である彼女はイブを見やる。
「というか徹底的に再教育してやったらどうだ。見たところプセリくらい恐怖を与えておいたほうがいいぞ。ん?」
「失礼ですね。私がいつ恐怖を与えましたか。ねえ、ザリーシュ?」
プセリは背後へ黒薔薇を咲かせるよう優雅に微笑みかけると、彼はガクガクと震えだす。
「そ、そうですね……、ハハ……」
ああ、これは確かに有効だわ、と周囲の皆は納得した。
彼女らの寛大な反応にイブは驚く。もじもじとワイングラスを指でいじり、それからこの館へ住まう以上、伝えなければならない大事なことを口から出した。
「その……、今でこそザリーシュは大人しくなったけど、許す必要は無いと思う。苦しかったのは事実だし、彼は無理やりに支配するなんてひどいことをした。だからこれからも決して許しちゃいけないんだ」
食事の場にふさわしくない暗い内容だ。記憶は乏しくとも確かなトラウマを残している者もいる。しかしこの苦しみを乗り越えなければ、彼女らは心から笑えないだろう。
言葉の意味は伝わり、涙を浮かべつつも皆はささやかな拍手で応えてくれた。この館から去る前に、まずは己を取り戻す。それこそが彼女らのすべき課題だろう。
若干一名、光の加減によって「俺の場合は?」と顔を暗くさせる者もいたが……気にしないでおこう。
宝石たちの晩餐会は、こうしてゆっくりと更けてゆく。